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ksk@ぴよによるノンジャンルみだれ手記

ポート7144より愛をこめて

先日、久しぶりに自分が7144勢であるという話をした。その直後、YPの一つであるTPが閉鎖になったと聴いた。なかなかタイムリーで、いろいろ懐かしいものを思い出したので、最近感じたことを書いておこうと思った。

 

7144勢というのは、peercastというソフトを使用してゲーム実況をする人のことを言う。今でこそ身近になったゲーム実況だけれど、自分が配信をはじめた2007年頃は配信をするのもみるのもハードルが高かった。peercastというソフトを導入して、ルーターのセキュリティ設定をして、配信ソフトの設定をして、PCにキャプチャボードをつけて、と買い物も調べ物もたくさんしなくてはならなかった。7144というのはpeercastを正常に動作させるために設定が必要なルーターのポート番号だ。

 

自分がどうして配信を始めたのかはよく覚えていない。インターネットを介してリアルタイムで何かを伝えられる、というのが自分にとって面白かったことはよく覚えている。だからpeercastの前に、winampshoutcastを使って音楽を流して、それが誰かに届いて楽しかった、という遊びをした記憶もある。そこからの流れでゲーム配信の方法にたどり着いたのだと思う。

 

友人を誘ったりしてのめり込んだ4,5年間くらいのゲーム実況配信生活はなかなか楽しかった。新しい友達も増えた。スペックの低いPCをどうにか工夫して配信用に仕立て上げ、フリーソフトを組み合わせ、毎夜のようにゲーム実況を配信していた。過去にやり損ねたゲームを沢山買って遊んだ。

 

楽しかったのは、ちょうどよい人口で観てくれる人がいたからだったのかもしれない、と今は思う。「おいすー」が7144勢の挨拶だ。配信をはじめればタイトルに興味のある人やよく来てくれる人が挨拶をしてくれる。逆にこちらも誰かの配信を観るときは「おいすー」とコメントする。それが毎晩だ。

 

コメントは楽しい文化だ。これはつまるところラジオのおたよりコーナーのようなもので、とにかく「自分が書いたもの」を読んでもらえるのが楽しいのだ。書いてから表示されるまでのタイムラグ、表示されたものへのリアクション、会話とはほんの少し違う流れの中にある、気楽なコミュニケーション。

 

これが崩れたのは、ニコニコ動画にゲーム実況文化が流入して、ニコニコ動画上でも生配信ができるようになったころだったかとぼんやり記憶している。2010年とかそのあたりだ。ゲーム配信は当たり前のものになって、ゲーム実況者、観覧者両方が大幅に増えたとき、気楽だったコミュニケーションがじわりと減った。「おいすー」は観られなくなって、いつしか虚無を感じて自分はゲーム実況から離れた。何かが変わったな、と思ったけれど、この時はまだあまりうまく言語化できなかった。

 

近年ようやく、その一端が言語化できるようになった気がする。自分がゲーム実況に求めていたことは「誰かの家に遊びに行くこと」と「誰かを家に招いて遊ぶこと」だったのではなかったか。

小学生から中学生のころ、学校が終われば毎日のように誰かの家に集まって、もっぱらゲームをした。格闘ゲームだったり、桃鉄だったり、がんばれゴエモン4のミニゲームだったり、スマブラだったり、ゴールデンアイだったり、マリオパーティーだったり。ここには「完全には固定していない、でもおなじみの遊びのメンバー」が居て「気楽な言葉のやりとり」があって「自分は持っていないけど誰かが持っているゲームを観たり、自分がやっているゲームを見せたり」する時間があった。友達がテレビで一人でゲームをするあいだ、自分は携帯機でゲームをしたり、友達のPCを借りてBMSフリーソフトをした。

 

この時間と空間の共有が大事だったのだ、と感じたのは、コロナ禍でdiscordを使って友人たちと遠隔・半固定の緩い交流の空間を持つことが再び可能になったことがきっかけだった。

人のゲームを観ているのも楽しいし、自分がゲームをしているのを観てもらうのも楽しいということを久しぶりに感じた。複数のグループから人が集まり、交流して、文字と音声で会話するのが楽しいと感じた。これは、自分がpeercast実況配信を通じて感じていたものと近いような気がした。

 

ゲーム実況は2022年現在、全く新しいものではなくなった。Vtuberが無数にいて、ツールも発達し、twitchのような配信サイトも整っている。でも、人口が多くなりすぎている。「ニコニコでは絵も描けない音楽もできない踊りもできない人がたどり着くのがゲーム実況」と友人から言われたのはいつの日だったか、今ではゲーム実況はある種ショウビジネスの最前線で、それゆえ地獄のように人気商売だと感じる。

 

Vtuberのようなものは全く憧れを感じなかった。最新のエンタメだと思いつつも積極的に調べる気持ちもあまり湧かなかった。強がりのようなものだろうか、とも考えていたけど、でもたぶん違っていて、きっと「遊びに行く」「遊びに来る」という感覚と遠いところがポイントだったのかもしれないと思うようになった。非対称なのだ。アイドルに近いのだろうけど、アイドルは急に沼にハマるもので、こちらの方向性で考えると、自分はたまたまVtuberの沼にはハマっていない。

 

どんなものでも人口が多くなれば、コミュニティは似たような経過をたどって性質を変える。ゲーム実況配信もそうだし、ゲーム音楽演奏もそうだ。e-sportsもそうらしい。たぶんこれからはRTAもそのフェーズに入る。仕方のないことなんだろうと思う。

 

それでも、自分にとって「誰かの家に遊びに行く」「誰かに家に遊びに来てもらう」ということは大いなる楽しみであることに変わりはない。コロナ禍で過去のような活動方法が難しくなって浮き彫りになった。だから自分にとってちょうどいい人口で、興味のある分野のところで、気楽なコミュニケーションをしながら遊ぶ、そういう場所を探し続けるか、作り続けるのだと思う。

 

また、誰かと「おいすー」のような挨拶を、日々に交わせる関係を求めて。