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ksk@ぴよによるノンジャンルみだれ手記

2024/2/13の雑記 演出の言語化について考える

以前にアニメの分野……だと思うんですが、何かの記事で「演出がどんなことをしているか」というようなフレーズを見て、ふっと「そういや『演出』という分野の言語化って難しいな」ということをふと考えました。

 

せっかくなので言語化に挑戦してみたい……と思ったのですが、これがまた難しい。もしかすると近いのは「プロジェクトマネジメント」なのかもしれないと思ったのですが、でも演出家の事は一般的にマネージャーとは呼ばない。しかし、やっていることが大きく違うかというと、オーバーラップしていることも多いような気がする。

なぜ表現分野、たとえばアニメ、映画、芝居、舞台では「演出」と呼ばれる分野が普通にあるのに、そうではない事務仕事、技術分野では「演出」とは呼ばないのか。

ということをいろいろ考えていました。

 

理屈パートに入る前に先に結論を置いておくと「ゴールを受け手の体験の最大化ととらえ、文脈を理解し最大の効果を取るのが演出だよね」と考えました。

 

では理屈パートです。

たとえば「アニメ演出家の仕事とは」みたいなことを調べてみるとこんな記事が出ます。

www.amgakuin.co.jp

 

これは……監督とは違うのか? たぶん違うんでしょう。監督との違いを調べると所掌範囲と権限責任の差が出てきます。

 

じゃあ舞台だとどうだろうか……

www.tca.ac.jp

 

この文章だと「監督を兼ねる」みたいなことが書かれてます。確かに舞台とかだと「演出・脚本・監督」みたいにまとめてクレジットされてることがあるような気がする。映画でもありますね。

両者の差は作業規模が関わっているのかもしれない。

自分でも舞台上の事をやっているとき「これは演出をやっている」と自覚して作業をしていることはありましたが、それが具体的に「なにをしているのか」というと様々で、言葉をいれる、色を入れる、音を入れる、説明を入れる、いろんなことをやっているけれど「これは演出である」「これは演出ではない」みたいな切り分けはあまりないように感じていました。

 

「プロジェクトマネジメントなのかもしれない」と思った件について分析します。

プロジェクトマネジメントが何をするのかについては具体的な表記があり「プロジェクトを成功に導く」というのが「プロジェクトマネジメント」のお仕事だと書いてあります。

つまり「プロジェクト」には設定しチームで共有されている「成功=ゴール」があり、成功のためにするあらゆる行動はマネジメントということです。わかりやすい。「製品Aを完成させる」→「そのためには人員Bが必要である」→「そのためには予算Cと交渉DとスケジュールEが必要である」非常にわかりやすい。

「プロジェクトマネジメント」が必要になるのはプロジェクトが大きくなるほど「人員B」は多く必要で、人員個々がプロジェクトマネジメントを理解しているよりも、人員は完全に作業に没頭してもらって、マネジメント部分はプロジェクトマネジメントを専門にやる人が頑張る方が効率的だからです。船頭が多くなって船が山を登る心配も減ります。わかりやすい。

 

ここまでで引用してきた「演出」のお仕事紹介と、プロジェクトマネジメントのことについてはかなりの領域で応用が利きそうです。人員を確保、交渉やスケジュールを調整していくのは演出のお仕事にも記載があります。

一方でこれは違うかもしれない、という箇所は「成功」の定義でした。「演出」が「成功する」というのはどういうことか。

自分の言葉で表すと「体験が最大になる」ということではないかと思います。

制作物を通して受け手が得る感情が、演出が介入したときと介入しないときで演出したときの方が大きければそれが「演出の効果」で、効果が大きければ大きいほどよくて、最大になれば成功です。

ただし「最大」は数値化が難しいか、またはできないので「演出がうまい」「演出がよかった」といったファジーな評価にならざるをえず、ここが「演出」が「こういう仕事だ」と言いづらいところになるのかもしれません。

 

ミニマムにすれば実作業は簡単です。「青信号の時に横断歩道を渡りましょう」という知識の伝達を演出するとき、赤から青に変わる信号機、横断歩道、停止している車、横断者、そういった「演出物」を用意できた方がより知識を呑み込みやすくなります。こういうことです。

実際に「演出する」というときに必要なものをより分解していくと、まず根本には「青信号の時に横断歩道を渡るということを伝える」という”文脈の理解”が必要になります。ここがもっともおろそかになりやすいところです。

なぜならば「教える」だけで知識の伝達作業は完結するからです。仮に「青信号の時に横断歩道を渡るということを伝える」ということの文脈への理解が乏しくても「青信号の時に横断歩道を渡りましょう」と口に出しておけば「教える」という作業は滞りなく終わっています。あとは受け手にゆだねることができてしまいます。

しかし「演出する」ためにはこの文脈を掘り下げていかなくてはいけません。相手は何を知っていて、何を知らない状態なのか、自分は伝えるために何を使うことができて、してはいけないことはなにか。なんだか授業の上手い先生と下手な先生の差のようですね。

文脈の掘り下げが上手くできないと、適切な手段を考えることできない。手段についての知識が広く深くないと、掘り下げた文脈に対して適切な手段を選ぶことができない。非常に総合力が必要です。「とりあえず目に見えるものを増して演出してみました」では何かを伝えるにも単にノイズが増えるだけでマイナスかもしれない。

 

手段について。たとえば「青信号の時に横断歩道を渡りましょう」と口頭で伝える、このときに「青信号の時に横断歩道を渡りましょう」という語順は適切か、フレーズとフレーズの間はどの程度溜めるべきか、全体は何秒で発音するか、だけでも演出のしがいはあり、ここに身振り手振りを入れる、BGMを入れる、小道具大道具を使う、他のキャストを入れる、となると無限に方法は拡がっていきます。

 

その中で、担当する範囲の効果を最大にするのが演出なんだと思います。実際の作業ではかけてよい時間的、人員的、金銭的コストなどのリソースが決まっているので、その中で最大を目指すことになります。

すばらしく丁寧に演出されたものは狙っていた効果をしっかりと引き出すし、余計な負の効果も生み出さない。それがどういうものか感じたり、学んだりするためには実際の作品を鑑賞し分析し続けていくしかないのだと思います。

 

「作品」ではなくても、日々生きることのすべてに我々は何らかの伝達を行っているわけで、その伝達がちょっとでも伝わりやすくなるようにするのは小さな領域でも演出なのであり、無限に学びであると思います。

 

以上です。「ゴール」が数値化しづらいことが大きな違いだと感じていますが、ゴールを定めるとおおむね「プロジェクトマネジメント」と近いように思います。なんにせよ日々生涯勉強で、ノリと勢いだけではできないものだなと思います。