二日酔いで秋葉原の有隣堂を歩いていてふっと目に入り、購入してしまいました。
注目したきっかけは上野千鶴子さんの帯コメントがあったから。
上野千鶴子さんは僕にとっての肩書は「社会学者」です。「社会学者」が何かというと、こういう「ハウツー本」っぽく見える本にいちばんコメントを書かない類の学者だとここでは乱暴に言っておきたいと思います。そのくらいにしておかないと字数がいくらあっても足りない。
上野千鶴子さんがコメントを書くということは、これは単純に下世話なハウツー本ではない、と判断しました。
結果としては「ストンと落ちる」本でした。自分が普段考えていることに近い。これは「モテる」と書いてあるけれど、つまりはよりよい人間関係の為の本で、それを「モテ」というワードと、ライトな表現で論じていく。
特に前半では類型や、「キモチワルイ」といった言葉を使って、とにかく「自分について考えること」を促されます。「どうすればモテてウハウハだよ」とは決して言ってはもらえないのです。
そう。結局のところ「自分」なのです。今回は「モテ」という言葉で通して行きたいと思いますが「モテるかどうか」って「心を開くに値するほど『自分』が開示できているか」ってことなのだと思うのです。
それはまんまちょっと前にエントリで書いたことと同一だったりします。
漫画「最終兵器彼女」の中ではっとした言葉があって、細かいところまではよく覚えてないですが、ちせに対して先輩が言う「セックスは普段人に見せない一番敏感で弱いところを使うんだ」というものです。
モテの先の展開の一つにセックスがあるとして、外性器は、露出した臓器です。心を開いてない人間に、臓器を差し出せますか。僕は無理です、怖いです。
よって「自分はこうだよ」と伝えられることが必要なのであって、それは正直なものでなくてはすぐ相手に看過されてしまうものであって、だからそれができるためにはまず「自分が何者か」を知らなくてはならない。認めなくてはならない。
そうじゃないと、いくらモテようと行動したところで、相手からしたら「この人は自分を開示してない」→「そんな人には怖いから内臓は晒せない」と、思うのです。
それが、この本が最初に諭してくれることでした。
そこから先の章は、他人との関係のトレーニングになっていきます。一応「モテる」ための。でもそれはやっぱり「テクニック」ではなく「自分を知ること」なんですよね。
ってな本なのですが、これがなんと初版は16年くらい前の本でした。ティーンの頃に出会っていたらもっと人生ちがったかなぁ、と思いつつ、この本を読んで「モテない」が変わるかというとそれはそれで難しい気がするので、惜しかったとは思いませんでした。
面白い本ですよ。