以前から少し気になっていた「ちょっと今から仕事やめてくる」という小説を読みました。
220ページくらいで、かつ会話文が中心の本なのでサクサク読めます。シンプルな構成ながら、適度に謎なんかも入っているのでぐいぐい先を読んじゃう。よくできた本だと思います。敢えて難点を挙げるなら、問題になりそうなところが思ったよりさくっと終わってしまって、もう少しハイライトを期待してたんだけどな、といったところでしょうか。
お薦めできるかどうかというとわりとお薦めです。でも仕事を辞めるかどうか悩んでる人にはそんなにお薦めできない、というよりかはこれを読むなら職業モノ(勤労賛歌ではなくて、単に何らかの職業に関するもの)のお話も一緒に読んだほうがバランス取れると思います。
で、読んでいてふっと、自分の学んだ社会学は自己決定には役に立たないよな、と思い出しました。
これは比較的社会学でよく言われることである一方、よく反論されることでもあります。
なんでか……の話する前に、社会学はクッソ広い学問なので学ぶ場所、師事する研究者によってかなりスタンス変わってきますよ、とだけ先に言い訳しておきます。なお、僕の学んだところはどちらかというとかなり「べき論」を嫌うほうだったと思ってます。他人は他人、自分は自分でいいじゃない、という感じ。押し付けとか嫌う。たとえば原発とか安保法案みたいなセンシティブな問題ですら、賛成でも反対でも構わないよ、というスタンスだったと思う。他がどうかは、正直わかりませんが。
なんでか。せっかく冒頭に引用したので就職や就労の問題で行きますと、社会を俯瞰的に観る学問なので、就職や就労について「こういう問題が生じている」というお話はできる。できる限り客観的に、ある種では正確性をもって分析することができます。
が、それが「自分が生きるため」になるととたんにそのままでは役に立たなくなる。理由は、
・客観的に俯瞰した全体と、自分が直面する個別ケースは全く別のものだから
→アイドルグループメンバーの顔を平均化してもどのアイドルにも似ないように、全体を分析することは直接個々の問題とは関わらない
・そもそも一般的に、社会を俯瞰したような見方を修めてる人はほとんどいないから
→文責した視点を誰かと共有して個別ケースに対する処方を議論できたらいいが、そんな視点を持つ人と出会うことはほとんどない
といったところです。よって、社会に起こっていることを分析できても、自分の生きることになかなか役に立たない。
就職率が下がっていることと、自分が就職できないことは別なのです。
一方で役に立つともいえます。ひとつにはきちんと学んだ結果、上記のことを悟るので、自分のことは自己決定しないといけないということも同時に実感するから。そして、視野狭窄に陥いらない訓練ができているので、一般的ではない別の選択ができるようになるという点。
たとえば、今回紹介した小説では主人公が仕事に悩むのですが、自明を疑う学問なので、そういう思考から自由になりやすいと思っています。
たとえば
・学校は通うべきなのか
・恋人がいるべきなのか
・家族とは仲良くすべきなのか
・結婚はすべきなのか
・子どもはつくるべきなのか
・(正社員として)就職すべきなのか
といった、ある種標準ともいえる価値観から常に自由になりやすい。
両面書いたんですが、それでもタイトルの通り「役に立たなかった」という風に書いたのは、この学問そのものは観てのとおり「自己決定するかどうか」にすら根本的に無頓着というか、そもそもそれを気にするような学問じゃないので、そういう意味では役に立たないのです。自己決定するクセは自分でつけないといけない。というのは何度か痛感しました。
選択肢が増えることは選択の補助にはならない。むしろ、選択肢が一つだけの方が、その選択に猪突猛進できる、とすら思うことがあります。
たとえば小説の主人公がもっと俯瞰的な視点を持っていたらどうか、と思うと、それはそれで結局同じだけ悩んだんだと思うんですよね。そして主人公を取り巻くいろんな人が俯瞰的な視点を持っていたらどうか、というと、やっぱりそれがあっても主人公は同じだけ悩むんだと思うんですよ。そういう無力もよく感じるし。だから、社会学は自己決定には役に立たないよなと思わされたのです。
とはいえ、自己決定の役に立たないからといって要らんかというと、別のことや思考の整理にはまぁよく役に立ちますので、そういうところで社会学についてのフォローはしておきます。(笑)
オチは特にないです。ただ、自己決定しないとまぁまぁ漫然と(社会に)殺されるかもしれないから気をつけなきゃいけないよなぁ、とは、社会学を学んだうえでこの本を読んでいて思ったことなのでした。