「エロゲー」の衰退について話題が盛り上がっているらしい。
こちら発端のツイートと思われる。
タイトルにも書いたけど、エロゲーを実はまともにやったことがない。
そういう立場で何を語るんか、というとそりゃもちろん「エロゲーをやったことがない人から見たエロゲーというジャンル」について語る。
エロゲーはやったことがないけれど、エロゲーから地続きの様々なジャンルについては広く浅くやってきたので、その観点からざっと思ったことを書いてみようと思う。
ちなみに元ツイートで言うエロゲーとは「18禁ビジュアルノベル(以下ビジュアルノベルはVNと略)」のことを指していると思われ、もろもろ紛らわしいのでこの記事では「18禁VN」と区別しておくことにする。
けど、この段落以前で書いた「エロゲー」は、もう少し広い意味を持っていてもいいような気がする。その理由は後述。
18禁VNをプレイしたことは記憶を思い起こす限りないのだけど、18禁VNがもたらした様々なインパクトは知っている。今第一線で活躍しているクリエイターの中に元18禁VN出身の作家は大勢いるし、現在話題になっているゲームの多くに18禁VNが着火剤と思われる各種の要素が含まれているからだ。
ただ、これは自分の記憶によってつらつらと書いているので、前後関係が怪しかったり、事実と異なるところも大いにあると思う。でも調べるのがめんどくさいので、本筋のところを納得できるかどうかだけで許してもらえたら嬉しい。
ということで本筋だけれど、本筋は「Trueエンドってすごいね」ということを話したい。
これは自分が18禁VNが熱かったと思われる時期の「あと」に、発売されてからかなり時間のたったPSP一般向け移植版元VN、または18禁VNの流れをくむレーベルが発売したVNをいくらか遊んで思った結果だ。具体的には「CROSS CHANNEL」とか「車輪の国、向日葵の少女」とか「EVER17」とかをプレイした。
その時に素直に思ったのが「Trueエンドという概念ってすごいな」ということだった。「ギャルゲ―/ノベルゲーは個別エンドしかない」というのがそれまでの自分の観念だったのだ。
たとえば「ときめきメモリアル」は藤崎詩織が最難関のヒロインだと言えるけれど、各ヒロイン間の扱いに差はない。「かまいたちの夜」は、本線の犯人を犠牲者なく暴けばめでたしだけど、むしろそのほかのシナリオに全く別種の味がある。「やるドラ」シリーズも、まだどれかのエンディングを達成したことで「ゲーム全てが解決するお話」にはなっていない。
それってどういうことだってばよ、というと「用意されたシナリオを全部読む必要がない」のだ。それでも十分楽しんで終えることができる。PS版を少し齧った程度だけれど「To HEART」も個別ヒロインエンドだけだったはずだ。
けれどある時期から、VNは明らかに「シナリオを全部読まれること」が前提の作りになっていたと感じる。これはものすごいことだと思った。遅れて遊んだからこそ感じたけれど「全キャラクターの個別エンドをみないと最後までたどり着けない」とか「CGをすべてコンプリートしないとたどり着けない」とか、条件がものすごい。
(18禁)VNは「なぜかプレーヤーがTrueエンド到達までゲームをやめない」という「お約束」が確立していたことによって、守破離の「破」を成立させる条件が整いやすかったのではないかと思っている。
この頃に18禁VNに同時に起こっていたのは「アダルトメディアだけれど、アダルト以外のところが凄い」ということだと感じていた。たとえば「泣きゲー」というシナリオの感動重視だったり「プレーヤーがゲームをプレイすること自体をゲームのシナリオの中に組み込む」などだ。だから18禁要素を排除しても、十分一般向けとして再発売されることができる。たとえば「車輪の国~」はVN、もしくは18禁VNの「お作法」をきちんとたどりながら、最終的には大型の「叙述トリック」を見せてもらえて、明らかにこっちが主役だ。
基本的に守破離の「破」はきちんと成立すればものすごく面白い。
そして、それはおそらくそのことが起こっていた「当時」は「なんでそれが起こっているのか」についてはあまり正しい理解がされていなかったのではないかと思う。(これも当然、自分はその時代にきちんとプレイしていないから、印象でしか話をしていない)
というのは「プレーヤーが最後までゲームを遊びきる」というのはどう考えても「プロダクトデザイン」が優れていた結果なのだけれど、二十年前頃~十年前頃はおそらくプロダクトデザインの概念は一般までは浸透していなかったのではないかと思うのだ。
だから「プロダクトデザイン」が優れていても、体験としては「シナリオが凄かった」「泣けた」「キャラクターが最高」という言葉の表れ方になったのではないだろうか。
「破」が起こると、同時にその周辺というか、メディア自体が作り手も受け手も活気づく。
VNを離れて自分自身の体験で言えば、FCB(ファミコンバンド)や「リトルジャックオーケストラ」から始まった「アマチュアがクラシックの楽器で舞台上でゲーム音楽を演奏する」という「破」は2007年ころからちょっとした旋風を巻き起こした。
一般ゲームで考えれば「Undertale」以降はドット絵のゲームがSteamをはじめとしたDL市場で盛り上がっていたと思う。
「伊藤計劃」という一人だけで、ハヤカワ文庫またはSFは再燃していたように感じる。
「ゲーム実況」とか「(バーチャル)ライバー」とか「ボーカロイド」とか、様々な新しいジャンルで「破」が起こるたびに活気づいていった。
活況になればその場にクリエイターもお金も集まるし、消費者も集まる。だから必ずしも「破」の条件を満たしていない同種のメディアでも勢いを増す。
そして、最終的に第一線のクリエイターは「離」して新しい活躍の場を作る。「離」が起こったあとのそのジャンルは、それまでに起こされた「破」も本線のお作法の一つになって、落ち着いていくのだと思う。
自分の体験で言えば、今ではゲーム音楽を演奏することになんの新規性もない。
今(18禁)VNではTrueエンドという概念に新奇性を感じる人なんていないし、Trueエンドは一般向けの概念に代わっていったし、もっと言えばTrueエンドの存在が通常になった結果、VNの流れを汲むと言っていいだろう「十三機兵防衛圏」はバッドエンドの概念が消えた。
ということで、ここ数年では「18禁VN」の話はせいぜい「ネコぱら」くらいしか目に入ってこなかった。
以上のように、自分としては(18禁)VNって「Trueエンド以前/当時/以後」という感覚で観ている。
そういう意味で完全に「以後」である今は衰退期だと言えてしまうのかもしれないけれど、衰退期と言ってしまうと再燃はしない印象があるので、再燃する可能性を考えてそういう表現は使わないことにした。
たとえば「漫才ブーム」もしくは「芸人ブーム」に相当するものは複数回起きていると思うけど、そのたびに「ステージ」という媒体で演じられる芸は新しいものが発明されていたと思う。
だから「(18禁)VN」という媒体で表現されることは今後もおそらく新しいものが発明されていくと思うし、アダルトというのは換言すれば人間が生殖機能を持つ限りは消せない欲求に基づいているので、自分がここまでで言った「Trueエンド」のような新しい「発明」があれば、もう一度盛り上がるのではないかと思う。以前に読んだ「エロマンガ表現史」では様々に発明された表現方法に関心したし、生殖機能とは関係がない「一般小説」もまだ死ぬ気配はないのだし。
ただしそれは人によって「(18禁)VNとは言えない」という評価になるかもしれない。「アダルトゲーム」と「18禁VN」も違うものだと言えるし、ダイアログがあっても「十三機兵防衛圏」みたいにテキストウィンドウを持たない作りのものはVNとは言えないのかもしれない。「なろう小説」と「ラノベ」は違うカウントをする人と「小説」というジャンルで同じカウントをする人の違いみたいなものだ。
だから最初に「エロゲーは広い意味を持っていてもいい気がする」と書いていた。
まとめとして。
・「エロゲー=18禁VN」が以前(Trueエンド当時)より勢いを減らしているのは納得感がある。
・ただし「18禁VNが盛り上がっていた」のは「Trueエンドのような『プロダクトデザイン』の優れた『発明』がユーザー体験を助けたから」だと思っている
・現在はそれらの『発明』は新奇性を失っている
・性的欲求は根源的なので、新規の『発明』があれば再燃は大いにあり得ると思う
・新たな『発明』を得たものを18禁VNに含めるかどうかは人によると思う
こんな感じでメモしておこうと思います。