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ksk@ぴよによるノンジャンルみだれ手記

生活苦になっても絶対に借金をしてはいけない話

新型コロナウィルスの脅威に際して何か書いておこうかなと思い、ちょっとくらい役に立つ話をするかと思ったので書いておくことにしました。

 

収入が減るなどして生活が厳しくなった時、絶対に借金をしてはいけない、お金が足りなくなった場合は生活保護を受ける、という話をします。

よしわかった、という場合はここから先を読む必要は一切ありません。お疲れさまでした。

 

ということで、以下はお金の話をしていきます。なお借金については、いわゆる消費者金融を想定していますが、親族友人に借りられる場合は話が複雑になりそうなので割愛します。

 

お金を借りる、という行為が合理的になるのは、借りたときの収入や効用が借りないときを上回るときだけです。

ざっくり二種類挙げておきます。

・商品を100仕入れれば儲けは最大になるが、手元の資金では10しか仕入れられない

(借りたときの収入が借りないときの収入を上回る)

・先50年住むのに適した住宅だが、購入資金が溜まるまで30年かかる

(借りたときの効用が金利を含めても借りないときの効用を上回る)

こんな感じです。

 

生活苦になったときに借金をしてはいけないのは、借金をしても経済的に何も解決していないからです。

 

数の話をします。

「収入」を「支出」が上回ってしまうような状態に陥った場合、生活に関係するお金は「資産」まで含めて考えないといけなくなります。

つまり「身の回りのもので売れるものがあるかどうか」です。お金が足りないときには、借りるより先に身の回りのもので売れるものがあれば処分するほうが合理的です。

買い戻せるものはあとで買い戻す考えにしてください。

なぜかというと、あとあと生活保護だ、もしくは借金苦で裁判くらった、となったときにその「身の回りのもので売れるもの」というのは資産として認定され、換金して当然のものという扱いを受けるからです。

これはルールブック(法)上そうなっているので、日本で生きていくなら受け入れないといけないです。

 

それら、お金に換えられるものがなくなったときですが、借りるより待ってもらうほうが合理的です。「資産まで含めて考える」と書きましたが、資産とはプラスのものもマイナスのものも合わせて資産です。たとえば家賃電気ガス水道合わせて20万を支払わなきゃならない「債務」があったとします。これらは「-20万円の資産」とします。ではこれを、消費者金融で20万円借りて払ったとします。そうすると家賃電気ガス水道は払えましたが今度は消費者金融に対する「-20万の資産」が残ります。しかもこちらは金利付きです。内容が変わっただけでなく悪化しています。

 

更に「金融業者」はお仕事の中心が「貸し借り」なので、当然取り立ても専門です。民間事業者は裁判所を経ないと強制徴収はできないですが、裁判はどうやったってお金も手間もかかるので、となれば当然、法に触れない範囲で借りた人の心にダメージを与えにかかります。そうして、借主の収入から優先的に弁済を受けようとするのが最も合理的な方法なのです。

ではそうではない、それこそ家賃電気ガス水道、そのほかの業者は「貸し借り」はお仕事ではないし「債権回収」もメインのお仕事ではないので、少なくとも金融業者ほどの動きはできないと思います。

なので、借金はしてはいけないです。

 

ということで、財産も処分したがそれでも生活苦だ、ということであれば生活保護を受給しましょう。プライドどうこう言っている場合ではありません。

借金してもだめだったら生活保護を受けよう、という考えもNGです。「生活保護」でもらうお金はあくまで「生活に足りない分」ですが、ここには「資産」の考えはありません。「資産」が残っていれば当然それらを処分してから生活保護を受給することになるでしょうが「マイナスの資産=借金」があったとしても、その分が生活保護に上乗せされるわけではありません。

生活保護で現金が手元にあるとするならば、金融業者はあなたのところへ債権を回収しに行くでしょう。それを助けることは誰もできません。なぜなら「生活苦でお金を借りる」という前提をどんな法も持っていないからです。お金を借りる前提は最初に書いた通り「今持っている資金以上の収入・効用を得るため」というときだけです。なので、借金に対する解決は、自己破産か、金融業者と合意の上で債務に関する約束をするしかないです。

 

ということで、生活苦になっても絶対に借金はしてはいけない、という話を書きました。民放を観る時間はずいぶん減ったんですが、現在も消費者金融は民放にCMを流しているのでしょうか。世の中が苦しくなるとどうしても借金をする人が増えるので、お金に関する知識がもう少し高まればいいなと思う今日この頃です。

ライザのアトリエ~常闇の女王と秘密の隠れ家~ 感想

ガストのアトリエシリーズ「ライザのアトリエ」をクリアしました。

プレイ時間は40時間弱、スタッフロールが終わるところまで。 

www.gamecity.ne.jp

 

 

ネタバレはしないつもりで感想を。

面白いゲームでした。アトリエシリーズザールブルグ3部作をプレイして以来なので実に十年以上間があいているのですが「たる」や「うに」など懐かしい用語も健在でうれしかったです。

ゲームは当時の限られた期間でリソースを管理しながら進めるのではなく、純粋なRPGに加えて錬金術でアイテムや装備を作成するという方式。

ゲーム中はストーリーを進める、錬金術をする、メインではないクエストをする、という三本を並行していくような形式でした。

 

戦闘はリアルタイムバトルなので、戦闘のルールを理解するまでが大変でした。なまじごり押しでもある程度進めてしまうので、強敵でようやく戦闘のルールを真面目に考えるという状態に。

 

ストーリーはジュブナイルな感じですが、思い返すとボリュームは大きくなかったような。作中、移動する範囲があまり大きくないのでそう感じるのかもしれません。小さな範囲での人間関係の展開、古い大人たちとのやり取りがドラマの中心で、わかりやすく若者たちの成長物語です。すっきりした読後感でした。

 

最近のハイエンドなグラフィックのゲームで実写的なもの、アニメーション的なものを遊んでいたためどうしても映像に関するハードルが上がってしまい、キャラクターのモーションの少なさ、動きの甘さがちょっとだけ気になってしまいました。特にあれだけビジュアルで話題になった主人公ライザの動きのパターンが少なくてもったいなく感じます。各イベントや見せ場での動きは1パターンだけ、さらにクエストで描かれる日常の風景も、思った以上にキャラクターが動かない。ちょっともったいないです。マップも走っているとちょっと地面との間を滑っているような感じで、贅沢を言っているなという自覚はありつつも、同時期の他ゲームと比べてしまいました。

 

期限の縛りのない錬金は本当にどこまでこだわるかで、錬金をこだわりだすとストーリーが進まないままどんどんプレイ時間が重なります。一つのアイテムを作るのに素材を投入すればするほど完成品は強くなり、さらにそれぞれの素材も完成度の高いものを作っていくためにその素材の素材を吟味して……というところで、素材の投入量は(ある程度)決まっていたザールブルグシリーズとは違う、いくらでもインフレできるからこその大変さがありました。

 

音楽はとても素晴らしかったです。サントラほしい。

 

ということで、楽しいゲームでした。DLCはちょっとお値段も張るし、ゲーム後の話ではないので購入は見送り予定。キャラクターには愛着が持てたので、今後にも展開があると嬉しいなぁ、と思うところです。

【ネタバレ】感想追記:ミッドサマーの叙述トリックを分析する

前回のエントリでミッドサマーが自分対象の映画じゃなかったことを書いたんですが、SNS見てるといろんな視点が表れていて面白かったので、もうちょい整理していきたいと思います。

結果、面白い映画体験になってます。映画に関連して起こったことが面白いという意味です。

 

ネタバレします。未見はご注意。

 

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【ネタバレ】映画「ミッドサマー」感想 ~ミッドサマーを怖いと言う人がちょっと怖い気がする~

ホラー映画「ミッドサマー」を観てきました。

 

www.phantom-film.com

 

以下、ネタバレ付きの感想を書きますのでご注意ください。

 

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演奏オフの楽譜ってもっといろいろ書いてあったほうがいいんじゃないですかっていう話

楽譜のプロダクトデザインの話をします。

 

この記事には「演奏オフの楽譜ってもっといろいろ書いてあったほうがいいんじゃないですか」ってことが書いてあるので「たしかにそうだよな」と思っている方がこの続きを読んでも大して得るものはないと思います。もっといろいろ書いてあったほうがいいよね。

 

では続けます。

 

演奏オフ、というものの定義については「その日オープン募集で集まったメンバーで(自作の)楽譜を演奏し、解散する」というものを想定しています。

 

こういう方法で演奏する、という形式を、現代で見る一般的な「楽譜」が想定しているかというと、おそらくしていないと思うんですね。

 

我々が普段見る楽譜というのはざっくりと考えれば

・プロ奏者がそのプロ奏者に求められる力量で迅速に十分リハーサルに臨める情報量

・アマ奏者がコンサートやライブ本番までじっくりと取り組みリハーサルに臨める情報量

に最適化されているのではないかと思っています。

 

つまり演奏オフのような

・アマ奏者がその日一日だけその楽譜を演奏し、解散する

というのは、一般的に見る楽譜が想定していない用途のだと思うのです。

 

 

なぜそう思うのかについて。

google等で「楽譜」「汚い」で検索を行うと、過剰なまでに書き込みがなされた楽譜が表示されます。この楽譜画像についてのネガティブな意見は多いのですが、どうしてここまでの書き込みがなされたのか、なされることが合理的になるのか、と考えてみると、つまりは

・練習を重ねるにつれて、必要な追加の情報を繰り返し書き込み反復で内面化する

・練習を重ねるにつれて、当初そこに書かれていた情報は奏者本人に記憶され不要になった

ということが同時に起こり、それが極端化することで、追加された情報だけが見えるように残されたか、もしくはそれすらも不要になったため楽譜であった「紙面」を形式的に譜面台に配置すればよくなった、のではないかと思うのです。

 

その方法がいいのかどうかは置いておいて、つまり楽譜には「書き込みをする」。

・時間経過=習熟によって情報が追記されるための余白が想定されている

ということになります。

 

楽譜は視覚で受け取る媒体ですので、楽譜上の情報が過剰になることによって、本来吸収すべき情報が吸収されない事態は望ましくありません。作編曲者が想定した演奏方法は楽譜に書かれている情報以上に言語で、もしくは非言語で存在していると思われますが、それらをすべて事細かに記述する手段をとると、煩雑であることによってその効果は損なわれる。

 

だから、通常使用される楽譜は情報量が制限されており、アマ奏者の習熟とともに書き込みによって変化していく。

(プロフェッショナルで予想すると、プロは通常に書かれている楽譜に対し共通して、アマチュアよりも高度な段階の共通認識を持っており、通常の楽譜の情報量で充分に習熟した演奏に到達することができる。)

 

マチュアではその間を指揮者、指導者が埋めていく、ということなのだと思います。

 

楽譜を使用して演奏するには、高い水準の認識か、もしくは一定の時間や指導を経て習熟することが必要、ということです。

 

が、演奏オフはそのどちらの条件も欠落することが多いです。時間は一日しかないし、演奏技術も、お作法までバラバラです。

 

それならば、翻って、楽譜は「演奏オフ」においてはより情報量を持ったほうがいいのではないでしょうか。

一般的な演奏会を目指すタイプの集団では普通に起こる合奏で調整する、演奏者が自身で書き込みを入れる、反復することで身に着ける、そういうものがすべて欠落していくのが演奏オフですので、楽譜が採用しなかったけど必要なものが、補われないまま消えていく。

 

楽譜を主体としてここまで書き綴ってきたので、言い換えます。

「演奏オフの場合は、楽譜の情報量を増やしたほうが演奏が上手くなると思う」

ということです。

 

ここは躓きやすいから気を付けてねとか。テンポぶれやすいからねとか。臨時記号気を付けてねとか。落ち着いてねとか。新たな発想記号を生み出していくのもいいかもしれない。

近年ではタブレット端末に楽譜を表示する人も増えていますから、そうなるとさらに書き込みはしづらい環境になっていくわけで、最初から書いてある情報の重要性は増すと思います。

 

演奏オフ、という形態はこれまで想定されてこなかったのだから、それに合わせて楽譜のプロダクトデザインは変化したほうがいいアウトプットになるんじゃないかな、と思うのです。

 

ここからは蛇足です。

 

そういう風に思うのは、自分は集団、というのはおおむね一定の性質を持っていて、オープン募集ならどんな地方・条件でやって、人が変わっても大体「同じような結果になる」と考えているので、唯一クオリティがコントロール可能である「楽譜」にこそ気を使うべき、と思うからです。

 

でも、なかなかそうはならないんだろうな、と思います。たとえば下記のような理由で。

 

・奏者の引きが悪かった、と言えてしまう

 オープン募集なので、今日はうまい奏者が居なかったんだよねー、っていえば楽譜の完成度は問題になりません。

 

・そもそも、お手本となる「演奏オフ最適化」の楽譜が存在しない

 大体楽譜にはこのくらいのことが書いてあるよな、というお手本は既存の楽譜=演奏オフを想定されていないデザインの楽譜になるので、どの程度の書き込みが適当なのか基準がない

 

・しんどい作業のゴールの先を走らなくてはならない

 楽譜制作自体がかなり困難なのに、一般的な認識で言えば「完成している」楽譜にさらに手を加えなくてはならない作業が苦痛

 

・こだわったところで大して有難がられない

 そもそもプロダクトデザインに「気づいてないけど行動がコントロールされる」という側面があるので、こだわったところで書いた人の苦労や工夫はなかなか気づいてもらえない

 

・締め切りを破る

 楽譜制作自体がかなり困難なので、締め切りはギリギリになるし、手を出さずに/出せずに終わるし、そもそも制作者にとっての目標にならない

 

こんな感じです。

 

が、こういう「演奏オフ」の形式が今後もっと拡がっていくなら「演奏オフ特化」の楽譜、という認識が拡がったほうが、充実した結果が生まれるんじゃないかと思います。