paper-view

ksk@ぴよによるノンジャンルみだれ手記

NHKの受信料契約受託事業者と結構しっかり話をした話

お恥ずかしい話なんですけど、NHKのBSってスクランブルかけられて、自分が見れてるのはノンスクランブル枠だけだと思っていました。

 

ってなことで、自宅(集合住宅)はBSの入るアンテナを設置しているということで、それに気づいていなかったまま地上デジタルの契約のみだった自宅に受信料契約受託事業者(以下事業者)の方が訪問に来ました。

 

月に千円弱受信料が変わってくるということで、それは何も話を聞かずにサインはできないなぁと思ってしっかり話を聞いていくことにしました。というか、しっかり放送法64条と日本放送協会放送受信規約を読みました。(読んでるあいだはこの事業者の方は待ちぼうけなので、たぶん真面目に30分くらい玄関先で応対させたんじゃないだろうか)

 

自分のスタンスについてですが、NHKを日常的に見ていて、反対に民放をあまり見ておりません。朝起きてから出勤まではNHKのニュースを、民放はニチアサとアニメくらい。理由は報道番組や知識を得るにあたって民放は情報ノイズが多すぎるからです。ニュースにBGMが乗ったりコメンテーターが煽ったりするのが不快で、そういう余分な情報が乗らないNHKを信頼しています。

 

なので、地上デジタルの契約をするのに何らの戸惑いはなく、喜んで契約していました。が、BSについては普段見ているわけでもないし、見ていないのに月千円は体感的に高い。そしてBSまで見ているほどの時間的な余裕はない。ので、その時点で納得はできなかったわけです。

 

で、結局のところ、BSが受信できる設備を持つ集合住宅に設置してるテレビを持っていたらBSの受信契約をしなきゃいけないということがわかりました。

 

最終的にBSの契約にサインをしました。理由は条文を読んだ限り契約は避けられないなと感じたからです。「NHK地上波は今後も見たいんだけど、BSは要らないんだよなぁ」というのは選択できないんだ、ということを理解したからです。

 

なに言ってんだ消費者を顧みないNHKの暴挙に屈したのかよ! と思われるかもしれませんが、そうじゃないです。法を読んで解釈したうえで、法を破るつもりはなかったので契約に踏み切りました。

 

放送法のNHK受信料関係については調べると64条の文言が出てきます。

協会の放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、協会とその放送の受信についての契約をしなければならない。ただし、放送の受信を目的としない受信設備又はラジオ放送若しくは多重放送に限り受信することのできる受信設備のみを設置した者については、この限りでない。 

 (wikipediaより)

 

ということでテレビを置いたら払わないといけません。えーっそれ暴挙じゃないんですか!? って思うところかもしれませんが違います。これは法なので、設置する時点でこっち(設置者)が知っていないといけないことです。

つまり、「NHKを受信することができる」テレビを置く私たちは放送法を理解し、64条を知り、設置場所=自宅電波受信状況を知った上で「設置」しなくてはならないわけです。

これに基づいてNHKが受信契約を促すことはおかしいことではない。そして自分がそのことについて了解していなかったのはこちらの瑕疵である。

 

しかし、同時にアンバランスなような気がしますよね。知らないうちにお金を取られることになったような実感はぬぐえない。ではこれってどこに問題があるのか。この構造であれば問題は「電気店」および「不動産業者」から説明がないことだと思います。

自宅に置くテレビを購入する際に電気店から「これはNHKを視聴することができるテレビなので、NHKとの契約が必要です、料金はおいくら」とか「BSも見れるのでご自宅のアンテナが対応していればBSの料金も必要です」とか説明したほうがいい。

でも説明しませんよね。そりゃそうです。今NHKとの契約が必要ないテレビなんてないんですから。知らなかったんですかご購入者様! そりゃあまずったって感じですね! と言えちゃいます。法ですからね。まさか知らないなんて。

不動産の方は説明しといてほしいなぁ、と思いますよね。賃貸の大家さんとか、売り買いの業者さんとか。さすがにBS見れるアンテナ入ってるかどうかまではぱっとは判らないので……

 

ということで、この法の条文なら説明すべきはその受信設備の販売者だと思うんですよね。たとえば資格が必要なトランシーバーとかならamazonとかでもちゃんと説明してくれてます。でもNHKと契約が必要なテレビ(国内流通品はほぼ全部ですけど)は説明してくれてない。

 

なぜか。NHK(の代行事業者)にヘイトが行く文化だから、別にいいと思っているのかもしれないです。これが資格要のトランシーバーだったら「資格が必要じゃないか、どうして事前に説明しないんだ!」ってクレームを受けるのは販売者です。でもテレビの契約料のクレームはNHKが一心に受けてくれています。法の構造としては同じだと思うんですけども。

 

ということで、受信設備を買ったら、その方式に応じて受信料を払わなくてはならないので、自分の知識不足であったということがよく分かったので契約をしたのでした。

 

色々調べて面白かったんですが、特に64条第二項。

協会は、あらかじめ、総務大臣の認可を受けた基準によるのでなければ、前項本文の規定により契約を締結した者から徴収する受信料を免除してはならない。

 この条項があるってことは、NHKは契約を締結した人からは確実に受信料を集金しなきゃいけないし、それをしなきゃいけないってことは、実質的に「契約していない人」「契約をしていないが、契約している人と同じ状態=NHKを観れる状態にある人」から集金をしないと、契約し支払いをしている人との不平等が生じます。

だからワンセグだって支払いの対象だと主張しなきゃいけないし、そのほかの方法も。(実際にワンセグは「設置」ではないので対象外となっていますが、それでもNHKが「受信料支払いが必要だと解釈している」というのは上記の平等性から考えて全く妥当な話です)

 

と、いうことなんですが……これ、著作権法の通りに委託業務を行っているJASRACがヘイトを受けて、肝心の本丸の著作権法が変わらないのと構造が全く一緒なんですよね。

 

ということで、きちんと知った上でテレビを買いましょうね、ですし、テレビを買うときには電気屋さんはちゃんとそこらへんを伝えて欲しいなぁと思ったのでした。

焼酎を割るのに適したノンアルコールビールのレポート

ノンアルコールビールは焼酎を割るのにいい」という話題を聴いてこれは試してみるしかないということになり、各社銘柄を揃えて割って飲み比べをするという非常に頭の悪い酒クズな会が催されましたのでレポートいたします。

 

まず焼酎はご存知下記の二銘柄。

宮崎本店 キンミヤ焼酎

眞露株式会社 JINRO

 

最初はキンミヤだけでいいかなって考えていたのですが、集まった面子的にこれはキンミヤのボトルは瞬殺だな……と思いJINROを買い足しました。この判断は結果的に正解。

 

ノンアルコールビールは下記の四銘柄。

アサヒ ドライゼロ

サントリー オールフリー

キリン 零ICHI

サッポロ 麦のくつろぎ

 

条件を対等にするのであればそれぞれの注ぐ量を均等にしてテイスティングすべきなんでしょうが、酒を飲んでるときにそんなこといちいち考えてのまないなということでどのように適当に割ってもいいルールになりました。

 

先に、焼酎について。こっちのほうが劇的に合う! という感想はなく、どれもキンミヤのほうがやや甘い、という当然の結果になりました。

 

さて、気になるそれぞれの銘柄でのレビューは下記の通りです。

 

・アサヒ ドライゼロ

甘い。どう考えてもビールとは程遠い。発泡酒とも違うもの。どちらかというとJINROと合わせたほうが甘さが抑えられて合うような気がする。

 

サントリー オールフリー

同じく甘いがアサヒほどではなく、アサヒをのんだときのややベタつくような甘さは抑えられている。それでも甘いことに代わりはない。

 

ここまででようやく缶に書かれた成分表示を読みまして、つまりは人工甘味料アセスルファムがこの甘さを生み出しているようだという感想となりました。

 

・キリン 零ICHI

ここでついに「甘くない!」という感想が出ました。零ICHIにはアセスルファムが使われておらず、甘さを感じさせそうな原材料は水あめ。

味わいはちょっとした発泡酒のようで、それまでの「甘いなんか炭酸のアルコール」とは違ったはっきりした感動を覚えたのでした。

 

そして最後に残ったサッポロです。

・サッポロ 麦のくつろぎ

こちらはアセスルファムが入っているにもかかわらず、商品のアピールポイントの通りフルーティーさが加わり、まるでベルギービールのような味わいに。ホワイトベルグヒューガルデンホワイトのような方向性を思わせます。これなら「そういうもの」として飲めそうです。

 

 

以上の通り4銘柄で比べたわけですが、結論としては「発泡酒とかホワイトベルグ買ったほうが安い」という身もふたもない結論となりました。

そりゃそうだ。

もともとホッピーの代替になるかと思って飲み比べをしてみたわけですが、ホッピーとは似て非なるものとなってしまいました。

 

しかし、ノンアルコールビールは上記の4種類のほかにも様々な銘柄が出ており(大手じゃないところも多くて非常に見つけづらいのですが)まだ可能性があるのがノンアルコールビール×焼酎と言えるのではないでしょうか。

 

言えなくてもいいかもしれない。

 

ちゃんとしたビールが飲みたいです。

 

最終的にキンミヤもJINROもボトルが空いてしまったのでウィルキンソンのジンを飲んで会は終了となりました。あるのか次回!

【感想】スガリさんの感想文はいつだって斜め上(平田駒)

 

スガリさんの感想文はいつだって斜め上 (5分シリーズ+)

スガリさんの感想文はいつだって斜め上 (5分シリーズ+)

 

 表紙がちょっと良かったので何回か見て買ったパターンです。たぶん四六判くらいの大きさだったかな……

5分シリーズ、と書かれていますが、文体は軽いものの五分で読めるお話ではないです。

 

高校生の女の子が書く読書感想文と、感想文にリンクした人情話が展開されるオムニバス形式の現代モノ小説です。「斜め上」と書かれているけれど、きちっとした読み込みがなされているので、突っ込み役の先生の精神的な幼さが際立ってしまいますが、他のキャラとの関連で考えて、キャラクターの置き所としてはこれでいいのでしょう。スガリさんの読みの深さが際立つところ。

 

似た種類のものとしては「金魚屋古書店」だったり「ビブリア古書堂」だったり、いわゆる本を紹介するお話、という感じですが、多くの人が知っているお話で構成されているので、この本によって新たな出会いがある、というよりは、知っている本の他人の読書感想文を読む、という感じです。

 

それなりの大きな本だったんですけど、中に入ってるエピソードは二つだったので、ちょっとライトな感じ。最近のweb小説の出版ものはこんなもんかなぁ。

荒木比奈が成長するほどに荒木比奈のPでいることに危機感を感じている話

私は荒木比奈のPである。

 

dic.pixiv.net

 

これは荒木比奈が苦手になってきたかも……という辛い話をする回なのだけど、あくまでnot for meになってきたかもしれない、というつもりで書いていきます。

で、それはとにかく自分との相性の問題なので、荒木比奈というキャラクターについての分析の記事だと思っていただけるのがありがたいです。

 

さて、荒木比奈に関わらず自分が好感を持ちやすいキャラは(それが実在か非実在かに関わらず)懐が広い、許容してくれそうなキャラであるという、多くの人にとって心底どうでもいい話をこのブログでも何回かしていると思います。

というわけで、比奈についてもその方向性で気に入りました。比奈はいわゆる「だめ」の側に属するキャラクターです。ですが自己評価は決して低くない。「非リア」に属しているけれど、前に進もうとはしている。

 

荒木比奈[N]から[N+]の各種テキストではそういうキャラクターに位置付けられていると読めるわけです。

 

これは比奈に限った話じゃないんですけど、シンデレラガールズのキャラクターって、後にリリースされるカードになるほど、キャラクターが成長したり、時間的に言うと後であると読み取れるようになっているんですね。

 

で、待望の最高レアリティ、SSR! が2種あるんですけど、それまでN→SRと成長した比奈はどうなっているか。

 

おう。比奈、プロデューサーのこと好き好きになってるな。

 

と。

 

どんどん、プロデューサーとの関係が親密になってるんです。SSR[シーサイドドリーム]なんて完全にプロデューサーとのデートの描写なので、なんかどっぷりなんです。仲がいいのは良いことだ。でもなんか、すごく依存度が高いと感じる。

 

Nカードのときには、アイドルになる前の日陰者からアイドルになろうとする努力、苦難。

SR[ブルーフロートパーティ]ではアイドルになってからのオフとオンの切り替え。

SR[夏の思い出]ではプライベートでプロデューサーと二人のようだけど、適切に距離感がある。信頼できる仕事のパートナーだ。

SSR[ネクスト☆ページ]ではプロデューサーとの気兼ねないプライベートと、アイドルとして高みをみている描写。

SR[always]では他のアイドルとの関係。

 

なんですけどSSR[シーサイドドリーム]では決定的なことがあって[シーサイドドリーム]ではアイドルとしての今後の話を全然してないんです。

 

完成しちゃってる。イベントSR[Needle Light]でも結構な割合、自身のアイドルとしての姿をすでに自分の物にしているんです。

 

それはいい。アイドルになった、それはいいけど、同時に「プロデューサーに依存している」描写が濃くなってる。それはまずい。上を目指す描写がなくて、誰かへの依存が高まると、それは致命的な停滞になりかねない。

私事なんですけど、自分も何度となく現実で経験があるんです。「今いる場所」が既得権になってて、それで「他人に依存を強めて」その場に停滞してしまう人。背中を押そうと思ったけれど、それを「思い切り甘えていいサイン」だと誤解してしまう人。

 

そういう怖さ、みたいなものを感じてしまったので「あ、荒木比奈のPでいることに危機感ある」ってなってしまったんです。もしこのまま荒木比奈の続発カードがプロデューサー好き好きに終始してしまったり、前に行くことを辞めてしまうと、担当する甲斐が消えてしまう。

 

 

ということで、感じたことを文字化してみました。次のカードはどうなるか注目したいと思います。

デレステのホーム画面はシーサイドドリームからもう少し手前のカードに変えておこうと思います。絵柄がブッスリ刺さるので「夏の思い出」あたりにしておこう。

コンサートでコントラバスの音が聴こえていないことはあまり問題ではないと思う話(転)

吹奏楽の演奏会に出ていると有難いことに「コントラバスの音、良かったよ!」と言われることがあります。

これは本当にありがたいことです。まずこれは先に置いておきますね。重ねて言います。コントラバスの音を褒められるのは本当に嬉しく思っています。いいですか。嬉しく思っていますよ。

 

ではここからの話します。

コントラバスの音、良かったと言われたとき大体半分以上の割合で「ほんまかいな」と思っています。

これは自分の技術について自信がないとか、謙遜しているとか、言ってくれた方が嘘をついているとかそういうことではなくて、実際それが聴こえているのかどうかっていうと奏者である自分には聴こえていないことの方が多いからです。

 

そもそも、弦楽器は管楽器に比べて楽器一本あたりの音量が絶対的に小さいです。吹奏楽コントラバスが入ることは珍しくはないのですが、楽譜で同じ音を演奏している他の楽器にはほとんど音量で負けます。

更に、吹奏楽の「バランス」では40人程度の団体でコントラバスはせいぜい1人、2人だと多いな(他増やしたほうがよくない?)みたいな話になります。バランスの差を覆せない。6人くらいコントラバスがステージに乗ってる吹奏楽団とかないと思うんですよね。練習場でも邪魔過ぎる。

ともかく、結果として、コントラバスは低音の響き増強やピチカートの限定的な音色で重宝はされるんですが、活躍の機会はまぁそんなに多くない楽器なんです。(別にディスってるわけではないんですよ本当に)

 

そんな環境なので、演奏会なんかに出ていても自分の音がちゃんと聴こえるぞいってことは殆どないんです。これは自分の技術的なこともあるのであくまで主観で話をしてますよと注意を入れておきますが本当に聴こえてないです。

f:id:ksk_piyo:20190501212855p:plain

 

じゃあお前何もわかってないんかいっていうと「あ、いま自分の出してる音間違ってたな」ってのはすごくよくわかります。理由は楽器の反応が重くなるからです。周りで鳴っている音の周波数と相性の良くない音は楽器からの反応として返ってくるので、音はほとんど聞こえてないですが「今自分間違ったな」ってのは判ります。弦を押さえ弓を持ってる腕の側でわかる。

 

そんなわけで当事者である自分からして自分の楽器の音が聴こえていないので、「ここは本当にいなくてもいいのでは?」とか思っているわけなんです。それでもコントラバス要るよ、コントラバスよかったよって言ってもらえちゃったりする。正直に言うと

 

ちょっと暗示的な要素があるのでは?

 

と思っていたりします。

でもそれでいいんじゃないか、というかそれこそが重要なんじゃないか、と思っています。コントラバスを演奏し始めて10年以上たったわけですが、その間ずっと「ヴィジュアル担当(楽器が見えていることが一番大きな役割)」と言い続けていました。

 

それ自体は皮肉みたいなものなんですが、でもたとえば。視覚を隠してテイスティングすると、何食ってるんだかわからなくなることはバラエティ番組なんかでよくある話だと思います。透明なミルクティーに違和感があったり、とにもかくにも視覚を持っている人にとって認識の最大の装置が視覚であるからには、味だって音だって皮膚感覚だって、とにかく視覚の影響を受けているはずなんです。

 

ってことはコントラバスだって耳で聞いているもの以上に目でみているものが聴くという行為にとって重要なんじゃないかと思うんです。「演奏会を現場で聴く」という行為はかなりの量、視覚の分野に頼っている。もしも聴覚だけで済むのであれば弦楽器における「弓順を揃える」とかは一番最初に無視すべきことだと思うんですよ。(音型を揃えるって話はありますけれども)

だから、コントラバスを聴いているときも結構な割合、視覚的なことに頼っていると思うし、それが普通なんだと思うんです。意識してやってることじゃないけど、コントラバスを目で聴いている。

 

それでいいんじゃないかと思うんですね。聴いて何をしているのかというと「満足」をするためにお客さんは来ているんだと思うわけで、その得点を最大にするためならどんなことだってやろうと思う。

たとえばチタンのネックレスつけるとすごく運動能力が上がるらしいって聞くと「ほんまかいな」って考える人もいると思うんです。でも大事なのは「本人マジでそれでタイム縮んだらしい」とか「それで本人めっちゃやる気出てるらしい」っていう「効用」のほうであって、科学的なことは二番目である。

だからコントラバスの音が実質的に聴こえているのかどうか、というのは、中心ではなくて「聴こえた感じになる」ふるまいを演奏会でするのが大事だと思っているのです。そのためには音にならないようなフレーズをしたり顔で演奏したり、実は練習不足なんだけど隣の人ととにかく弓順だけでも揃えようとする。

そうすると「いい感じのコントラバスの音が聴こえた感じになる」のなら、それはもう目指すしかないことだと思うのです。

 

この話を書こうかなって思ったのは、コントラバスオカルトみたいなものが否定されうるのを何度か見るからです。たとえば、楽器倒す方向はどっちでもいいよとか寝かしてもいいとか、楽器の前が客席側を向いてても聴こえにあまりいい影響はないよとか。

いや、いいと思うんですよね。それはそうなんだと思う。(理由も調べたときに同じものが出てきたり出てこなかったりする)でもこのお作法を無視したとき、たぶん聴きに来た人の満足度は下がると思うんです。楽器を置くときに倒す方向は決まっているらしい、ということを知っている人が演奏会見てて、その知識に反するものを観たとする。

そのあと「いや、楽器倒す方向って別にどっちでもいいんだよね」とか奏者から言われたら「なるほどなー、そうなんだなー」とは思ってもらえると思う。

 

でも一方で「コントラバスの音、よく聞こえたよ!」って言ってもらえなくなると思うんですよね。理由は目で聴くの邪魔しちゃってるから。

 

コントラバスを例にとってはいるんですけど、こういう楽器についての色々ってプロの方が言うものとか、科学的に正しいこととか沢山あるんですけども「どういう満足を得たか」というのを評価指標にするしかないので、特に人に評価される芸術である限り、守破離の「破」をするには相当の説得力がないといけないんじゃないかな、と思うわけです。

 

なので、コントラバスの音が聴こえていないことはあまり問題だと思っていなくて、聴こえてるよって言ってもらっても本人には実感がないので「ほんまかいな」と思っているのですが、コントラバスが良く聞こえたよ、と言ってもらえることは(冒頭で繰り返した通り!)嬉しくありがたいことですので、その「効果」を最大にすることは重要視したいし、物理・科学的に正しくても、オカルトのほうが「効果」が高いならそっちを選びたいなー、と思っているのでした。

令和も雰囲気で、コントラバス

【感想】NieR:Automata(ニーア オートマタ)

PS4のニーアオートマタ(GOTYエデュション)をプレイしました。感想はネタバレを一杯いれますので、プレイしていない方は注意してね。

 

 

続きを読む

web媒体で小説文を書くときに意識するといい体裁の話

webでSSイベントを主催するなどしてネット上の文章に触れることが多くなったので特にそう感じることが多くなったのですが、文章のデザイン面、体裁に気を遣ったほうが圧倒的に読みやすくなると思いましたので記事化しておきます。

 

とはいえ文章とデザインとでは分野が大きく異なり、文章を書く人にデザインを気にしてと言ってもどういうことだかよくわからないと思いますので、ここでは実例を挙げて実感していただくとともに、最終的に「これだけ気にすればいいと思うよ」ということをお伝えしたいと思います。

 

結論を先に。

・多くのSNSは理想としている体裁が既に決まっているので、その理想に合わせたほうがよい

・pixivなどの縦書き横書き表示を選べる場合は、段落の改行有無によってこちらから縦横を指定した方がよい

・縦書きの場合は小説本の体裁にできるだけ近づけたほうがよい

 

ということです。

筆者の側でコントロールすることはひとまず2点のみでよいでしょう。

・地の文の段落頭を一字下げるかどうか

・段落ごとに改行を挟むかどうか

 

この2点です。とりあえずこの二つだけでも気にしておけば大幅に変わってきます。

「いやでもそんな変わらんでしょ」という方もいらっしゃるとは思うんですが、大量の文章を読むことになると、ほんの少しの差が読み疲れするかどうかに関わって来て、かつその体裁の読みやすさ自体が作品の評価につながってしまうこともあるわけです。

 

凄くいい内容だったんだけど、疲れちゃって二度と読みたくない、と思われるよりかはまた同じ人の作品を読みたいなぁ、と思ってもらえる方がよいでしょう。

 

「体裁がよくなかった」ということに読む人が気付けるとは限らず、疲れの原因が体裁にあったとしても「あなたの作品は体裁がよくなかった」とは言ってもらえません。しかし体裁を綺麗にすればそれだけで内容の評価までもが上がる可能性があるわけで、やる価値は大きいと思います。

 

以下は実際の文章を見ていただきたいと思います。

各サンプルは画像で用意していますので、縦幅または横幅を適宜調節して見比べてください。

横書きの場合は行間を広くとって、さらに改行も適宜加えていく方がすっきりします。

まず行間が狭く、改行がない文章。なお、MS明朝でポイント数は全て同じです。

f:id:ksk_piyo:20190427212700j:plain

余白が多いですが、どのくらい縦に伸びるかも見て頂こうと思って統一しています。ご容赦ください。

続きまして行間は変わらず、改行があるもの。

f:id:ksk_piyo:20190427212823j:plain

すこしブロックが分かりやすくなったと思います。

さらに行間を開いて、改行も入れたもの。

f:id:ksk_piyo:20190427212900j:plain

だいぶすっきりしました。

行間があっても改行がないとちょっと詰まって見えます。

f:id:ksk_piyo:20190427213134j:plain

また、ここまでのサンプルは字下げを入れましたが、横書きの場合は字下げが無くてもあまり読みやすさに影響はなさそうです。

f:id:ksk_piyo:20190427213301j:plain

 

このブログ記事も字下げしていないです。

 

次に縦書きで同様に見ていきます。縦書きは画面の横幅によりますが、横書き文章より行間が狭くてもあまり視認性を損ないません。一方、字下げがないと読みづらい印象があります。

まず字下げなし、行間は詰め、改行はなし。

f:id:ksk_piyo:20190427213614j:plain

ここからは左側に余白があります。媒体によってはサンプル画像が見づらいかも……

次に同じ条件で字下げを入れます。

f:id:ksk_piyo:20190427213742j:plain

これで概ね小説本と同じような体裁です。

では次に、改行を加えていきます。

f:id:ksk_piyo:20190427213849j:plain

読みづらいということはないですが、テンポ感に差が出てくると思います。

ちなみに、PCのモニターなどはどうしても横長で、横に文字が伸びていくととても読みづらくなります。(なので、こういうブログなどの媒体では多くの場合横の長さを制限して調整しています)pixivの縦書きモードでは、ipadの横持ちなど媒体によっては画面横幅一杯に文字を表示するので、改行がないとかえって煩わしく感じる場合もあります。

さらに行間を開けてみましょう。

f:id:ksk_piyo:20190427214308j:plain


このくらい伸びます。小説文っていうよりも詩っぽい印象に寄って行きます。段落ごとの繋がりが弱まっていく感じです。

 

サンプルはひとまず以上です。

 

ということで

■横書き媒体の場合

改行は段落ごとや会話文の前後など多めに。字下げするかどうかは好みで。

 

■縦書き媒体の場合

小説文なら改行はなくてもよい。字下げはあったほうがいい。

 

以上を自分としてはお薦めします。pixivは投稿時に作者側が縦横どちらの形式で表示するかを選択できますので、文章の状況により選択しておくとよいと思います。

 

参考になりますれば。