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ksk@ぴよによるノンジャンルみだれ手記

【感想】NieR:Automata(ニーア オートマタ)

PS4のニーアオートマタ(GOTYエデュション)をプレイしました。感想はネタバレを一杯いれますので、プレイしていない方は注意してね。

 

 

 

 

感想目次

・2Bが心に刺さりすぎて始める

・およ? となる物語とその背景について

 

プレイしましたってどこまでプレイしたんだよ! ということで下記の通りです。

・最初にエンディングがちゃんと流れるところまでは何も見ないでプレイした

・エンディングが出たのでよし、攻略記事を解禁しようと思って解禁して「これまだ解禁しちゃあかんやつだったんじゃん」となった

・仕方ないのでA~Eまでのエンディングはプレイした

 

こんな感じ。それは最善の楽しみ方じゃない! と思われる方も居ると思いますが、それは承知の上で。ニーアレプリカントも文字上だけで知識を吸収したました。DODはやってない。でもこの方法でしか自分には時間を確保できなかったので、この続きもその前提で書いていきます。

 

・2Bが心に刺さりすぎて始める

TwitterのTLなんかを流れていく2Bのキャラクター画像をいいなぁと思っていて、かねてより遊んでいた「グラビティデイズ2」のキャラクタースキン変更で主人公キトゥンのコスチュームを2Bのものに変える機能があり、その状態でごりごり動くのを見て「これは衣装が強すぎる」と2Bへの興味を深めておりました。そんなころにGOTY仕様のソフトが発売されるとのことで、これは遊ぶ! となって購入を決めたのでした。

プレイしても2Bすごくいい……というかこの感じ「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」では!? と思ったらニーアオートマタのほうがリリースが先だった。これはヴァイオレットちゃん2Bちゃんをキャラのモデルとしているのでは。と思いながらプレイしていました。

 

・およ? となる物語とその背景について

ずっと考えてプレイしなきゃいけない問題が「命」の定義についてです。この世界ではアンドロイドと機械生命体が戦っていて、人間に与するものがアンドロイド、人間に相対するエイリアンに与するものが機械生命体。だけど人間もエイリアンももう居ない。(語弊があるかも)

ゲーム中ではずっとアンドロイドや機械生命体は自我がないものとして設定されているけれど、でもそれを観測するプレーヤーからは「とてもではないけれど自我がないとは言えない」という感想を抱かせるものになっている。アンドロイドはその容姿と明らかに声に現れている感情から、機械生命体はその文化や文明の模倣から。でも上位に位置付けられている人間とエイリアンの存在からずっと、自我があるのか=生命であるのかということは棚上げされ続けます。

事実の認定がないまま、アンドロイドと機械生命体に対する思いだけをプレーヤーは育てていく。この二つだって本来的には区別するような言葉ではないけど、ゲーム中で巧みに使い分けがされていて、いつの間にか刷り込まれていわけです。

で、それが急にはしごを外される。前提にしていた「人間」と「エイリアン」の退場を知って、事態は風雲急を告げ、更にその「事態」に対する解決は見せてもらえるけれど、でも実際にはこの「世界」のことはなんにも解決していない。アンドロイドと機械生命体がなんなのか、ということは最後まで宙に浮いています。(……浮いていたはず)

 

と、いうところまでが「およ」。遊んでいるプレーヤーとしての自分の解決は、そこで「人間(この場合はゲーム世界ではなく、現実も含めた)ってなんだっけ?」という疑問に立ちかえることで、そうなってしまうと、ゲーム世界中にいるアンドロイドと機械生命体はどちらもこのゲームの舞台の支配的な存在であり、事実上「人間と同じ位置」に居るということがわかるわけです。

我々人間が現実世界で自分の存在がどこからきてどこへいくのかわからないけれど、生きていくしかないし、時にはその存在を見失って自死を選んだりするように、アンドロイドや機械生命体も(はしごを外されたことで)どこからきてどこへいくのかプレーヤーにとってもわからなくなり、それでも彼らは生きていくしかなくて、時にはその存在を見失って自死を選んだりする。

そういう、現実の世界を参照し対比することで、ゲームの世界のキャラクターと、現実の世界とがどちらも浮き彫りになる、そういう仕掛けの世界観でした。

 

 

と、いうことを考えさせるのが凄く面白いしかけだな、と思い、折りたたまれたそのデザインの美しさと、それを壊さないのにゲームとしての楽しさを詰め込んだ諸要素を見て「ゲームデザインが素晴らしい」ということを感じたのでした。

 

で、このゲームの背景にあるのかな、と思ったのは、90年代~00年代に席巻していたであろう(あろう、と書くのは自分がプレーヤーとして当事者ではない認識があるから)PCのアダルト向けで主にリリースされていた各種ノベルゲームでした。(実際に自分が遊んでいたのは後からPSP版等に移植されたものなのですが)死生観についてだとか、キャラクターに目を向けさせて上手にその世界について刷り込ませて、途中で綺麗に仕掛けに落とし込んでプレーヤーに大きなテーマを否応なく意識させる手口は、そのあたりのものではないかな、と考えてます。どうなのかな。

 

 

キャラクターデザインとか、音楽とかはとても素晴らしいんだけども、でももっとメタな部分、言葉にしづらい部分でとても整ったゲームになっていて、でも言葉にしづらいから「2Bちゃんが凄い」とか「9Sが可愛い」とか「音楽がいい」みたいな間違いのない話にしたいんだけど、でもせっかくだから言葉を尽くしたいと思うんですよね。「こんな風に自我とか世界とかについての根源的な謎に自然に触れさせられると思わなかった」

これを自分の感想としておきたいと思います。

 

小説も買ったのでこれから読んでいきたいと思いますです。