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ksk@ぴよによるノンジャンルみだれ手記

2016年を振り返る話 その2 クリエイト編

前回に続きまして、今回はなに作ったかについて振り返っていきたいと思います。

2015年もいろいろ実現した年だったんですけども、2016年もそれなりにいろいろやりました。

 

■1~2月くらい

オリジナルキャラクター企画「くもがみちゃん」始動したころ

www.pixiv.net

きっかけはたまたまギャルゲーの話をしていたことから。なんとなく「アマガミ」への熱が周囲でにわかに再燃し、そう言えば最近はアイドルものは多いけど、いわゆるギャルゲー、恋愛モノのゲームって見なくなったなぁ、というところでお話をしていて、そこからいつのまにかオリジナルキャラクターを作ってみようよ、というところまで行きました。

言いだしと、設定と、テキスト、スケジュール周りをやっております。

キャラクターはどうしても、物語だったり、存在感を作り切るまでに時間がかかる、たとえばアイマス、デレマス、ラブライブだって最初は数年かかってようやく認知されてるわけで、商業ベースですらそれなので、同人の我々はもっと時間がかかるはずです。

なので、さいしょに「長くやります」というお約束からはじめました。もうすぐ1年、でもまだまだこれからです。高い高い山の一合目にも届いてない感じ。

ちなみにくもがみちゃんはようやく2/12のコミティアでオリジナルキャラクター企画として出典する予定です。まだ数年間は、とにかく知ってもらう、をつづけることになるかなと思っています。

 

 

で、1~3月はそれ以外の目立ったアウトプットがないみたいです。ただこの名前じゃないところでやってたってこともあるのと、GAMEバンドの本番が近づいてきたってところが大きいんだと思うんですけどね。

 

■4/24 M3春 ととΘωθ CD新作リリース

ととΘωθ -課題図書系音楽サークル-

既存作品をもとに音楽を作ろう! 企画でCD二枚目。スケジュールの動かし方は少しずつ判ってきたので、もうすこし知られるためにどうしたらいいかなというのを考えているところです。2017年のための動きはいま少しずつやっております。2017年のM3春には間に合うと思う。

 

■5月 一年間で50万字書く

2015年の5月から一年間で50万字書くぞ、という個人的な目標、無事達成できました。単純に自分に課していた縛りだったので、誰がどうこう、ということは一切ないんですけど、こういう「とにかく書いたよ」という経験は何より自分に作用するなと思っています。

ちなみにこの後「毎日一枚以上絵を描いていく」ということを考えたんですけど、途中で辞めてしまいました。理由は、主に人体のポーズなどを描き表して説明するくらいのことはできるようになったから、です。関節をどう書き表すか、がちょっと身についたので、普段の創作活動で誰かと打ち合わせるとき「ここをこういう感じに」という説明がメモ描きのようにできるようになった。ここはひとつ目標点だったので、それは達成しました。

で、ここから「巧くなる」には、パーツを回数描いて、バランスを取って、慣れて……という段階で、それはちょっと時間がかかりすぎる、時間をたくさん充てないと足りない……と、思ったところに至ったため、そっちは思い切ってストップしました。

上手に描ける、というのはあこがれだしできれば楽しいとは思うんですが、なかなかそこまでの時間を取り続けることが難しいですね。

 

■6月 GAMEバンドREコンサート

www.gameband.net

この活動ももう10年です。

MC原稿を作成しました。この時の設定は「謎空間に放り込まれてしまう司会者と観客」というもので、言ってしまえばレベルEのパロディです。

自分はずっとGAMEバンドを「舞台芸術の格式を利用して遊ぶ」絶好の機会だと思っていて、毎度毎度楽しくやらせてもらっています。次回もテーマは決まっております、MC原稿やらせていただく予定ですのでお楽しみに。

 

■8月 コミックマーケット90 ラブライブイズ! マニアックス 発行

ラブライブイズ! 研究会

ちょうど1年前に出したものの続編で補完編です。

あらゆることに言えますが「それどうやって勉強すんの?」というのがあって、僕にとってはそれがポケモンの厳選でした。

いろいろ恵まれてここまでたどり着けて、同人誌デビューみたいなこともできて、恵まれているなぁ、という感じです。

この企画、1冊目がカラー/モノクロ混在でコストが高くなっちゃって、それで色々費用的には大変なところがあったのですが、なんとかかんとか2種分の印刷費はペイできるところまで来ました。

サンシャインは……今のところ企画はありません(笑

 

9~11月は全体的に準備準備でした。

 

■11月 GAMEバンド身内イベント ボイスコント作成

GAMEバンドの身内アンサンブル大会で、音声と画像でやるコントを作りました。アイデア自体は二年位前に思いついていて、周りにも話したことがあったんですが、機会がなく、ようやくこのときに実行に移せました。

可能だったら後日に公開したいなーと思っています。身内とはいえたくさん笑ってもらったので幸いでした。

 

■12月(予定が多い)

コミックマーケット91

1日目 Cozzilla(東V-52a)

・塊フォト魂(塊魂二次創作同人)

お手伝いで参加です。

友人のしまじゅんが創った塊魂本のお手伝いをしていました。この企画、2016年の一年間でじわじわ制作を進めていて、ようやく形になりました。塊魂の人形を作って、現実の風景にモノを散らばして写真を撮ろう、という企画で、実際に4回ほどロケを行いました。モノ散らばすのは楽しかったです。

 

・連打ゲーム読本(コラム本)

ゲームジャンルの日なので、こちらに委託する形で発行することにしました。いっせいさんと一緒に作ったコピ本です。なんだか本を作る気持ちが高まっていたので「やりましょう!」と声をかけてやることに。これは「ぴよんち」の連打ゲーム回がきっかけです。

ぴよんち

7本くらいちいさなコラムを書きました。

 

3日目 Hexdrunk(東メ-51b)

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こっちは主催サークルです。ラブライブイズ本を作ったときの「ラブライブイズ! 研究会」名義だと、ラブライブの活動しかしようがないので、自分が責任者で動かせる汎用的なサークルを新たに作りました。

・あの忘れえぬ日の香り(一ノ瀬志希LiPPS小説)

www.pixiv.net

これは別建てで書こうかなぁ。宣伝記事と思い出話でね。

 

・友人の結婚式印刷物

完全に身内モノですが、いっしょうけんめい印刷物作成してました。なんとか終わりそうなのでほっとしています。

 

 

2016年もいっぱい作った年になりました。2017年ももっと頑張りたいと思います。

どうぞよろしくお願いいたします。

映画「この世界の片隅に」を観てきた話

先日「この世界の片隅に」を観てきました。ネタバレはしないようにしておきましょう。

 

konosekai.jp

 

面白かったです。原作未見だったのですが、見終わった後の自分の感覚と、映画として何がどう描かれていたのかを確認するために原作も読むことにしました。

 

ネタバレはしないようになにを書くかというと、この映画を観たときに感じたのは「生」の描き方が素晴らしかったよ、ということを書きたいと思いました。

 

作品そのものが、この時代と人々と主人公すずの生きる姿をそのまま描いたものなので、その「生きる」こと自体に、壮絶だけれど時代性以上の過度なドラマはない。けれども、映像化の際に、その生きる姿の魅力がぐっとクローズアップされるようにきちんと演出されている。

 

些細なところですけれど、主人公すずが、物語の中で男と女のドラマの中にあるときは、ちょっとだけカメラが傾きます。これだけで、すずの姿がちょっと美しく、艶っぽく演出されるんです。元の絵があのかわいらしいタッチで描かれているけれど、その中の艶をすごくクローズアップして出してくるんです。

 

今の時代を生きていると、生活のしかたには定型があって、当たり前のようにそういう生活をしているけれど、足りない、奪われる、失う、そういうことが日常的なところでどうやって生きるか、は、食事も命もそこにあるもので生きていくしかなくて、そういう場面を物語の中で知っておくことはきっと、大事なことだと思うんですよね。

戦後から時間が経って、戦争にまつわる色んな事が、思想とともに発信される日々ですけども、でもそのときにどういうふうに生活が影響を受けるのか、ということには自覚的でありたいよなぁ、と思ったのでした。

2016年を振り返る話 その1 ゲーム音楽の話 の、補足

読み返したら思ったより悲観的だな、という印象を受けたので、補足します。

 

アマチュア楽団の出る幕はないでしょう、と書いた件についてですが、これは「ゲーム音楽を聴こうという人達」という集団の持つテンションを、アマチュア楽団がけん引できないところに来た、ということのつもりで書きました。

 

この中身をちょっと詳しく書きます。

 

作り手と受け手がいるものには、

・作り手側の自分のテンション(個人):1

・作り手側の他人のテンション(集団):2

・受け手側の自分のテンション(個人):3

・受け手側の他人のテンション(集団):4

 

の、四象限のテンションがあると思います。ゲーム音楽を聴こう、という人達の集団の持つテンションは4に相当します。

 

未開拓の分野では、1のテンションがまず高くなります。「こんなことやったら面白いんじゃないの!?」という段階。ただ、これは2、4の人にはまだ前例がないために伝わりません。

 

実際に動き出しはじめると、2のテンションが上がります。「これ面白いじゃん!」となるのは、それが手探りだったり、経験のないことだったりで、掘り進める楽しさがあるからです。

 

2のテンションが上がり、作り手の気運が高まると、4のテンションが上がります。新鮮な体験だからです。

4のテンションが上がると、1と2のテンションがさらに上がります。追い風を受けた状態です。

全体が盛り上がると「これ、お金になるかもしれないな」となって、資本が投入されていきます。

 

この辺までいくと、受け手の人達が慣れます。それがあって当然、という状態になっていくということです。それがあって当然、という状態になっていくと、これまで追い風のあった状態がなくなります。同じコストをかけたとしても、リターンが小さくなっていく。

 

そうすると、どうやったって2のテンションが下がります。人数が少なければ、主体が頑張ることでテンションを維持したりできるのですが、人数が多いと流石に全体を支え続けることが厳しくなっていく。

 

こういうことはどんな分野だって起こります。2ちゃんねるも、AAも、電車男も、FLASH動画も、ニコニコ動画も、ゲーム実況も、ボカロも、だいたいそんな流れです。ゲーム音楽もそういう流れになった。

 

ゲーム音楽はなかなかに特殊なジャンルで、世代差があります。ゲームをたくさん遊べた少年時代を中心に遊んできているものに偏りがあるので、演者にも観客にも、世代に偏りが生じます。

 

そうすると、アマチュアの活動はどうやったってライフステージの制限を受ける。自分と同じくらいの年代、自分と同じくらいの年に活動が始まった楽団は、いま結婚ラッシュが終わりころになり、そろそろベビーラッシュになってきているのではないでしょうか。子どもが生まれ、歳も取れば、過去ほどのリソースは投入しきれない。

 

過去ほどにリソースを投入できず、かつ観る側の慣れによって過去ほどのテンションの高さ、フレッシュさを維持しきれないときに「これまでゲーム音楽を演奏してきたのだ!」という過去の記憶で頑張ってしまうと、思うてたんと違う、と感じてしまうこともありそうだ、と。なぜなら、1が頑張っても、同じ理屈では2や4のテンションをけん引しきることは結構難しいことだからです。

 

と、なると「ゲーム音楽アマチュア楽団」みたいなのはどうなるか。動きとしては初めて突入するゾーンになるわけですが、状況としては「地域の楽団」がモデルとして参考になるだろう、と思うのです。

ゲーム音楽楽団は、地域の楽団とはちょっと成り立ちが違う。だけど、現代に来て、プロのゲーム音楽コンサートが蔓延したことによって、構造がクラシック音楽などのプロオケに対するアマオケの立ち位置に似てきている。

 

なので「維持する」や「ふたたび盛り立てる」ということを考えるときには、これまでみたいなゲーム音楽の文脈ではなく、地域楽団の文脈に寄った方がよいだろう、と思います。これは今までにたくさんの事例があるから、想像しやすいはず。

 

というわけで「ゲーム音楽を演奏してきた私たち、アマチュア」が今後楽しく活動をするカギは「ゲーム音楽についてアマ楽団が何かできる時期は過ぎた」からの「日々のストレスをちょっと軽減する、友達との活動としてのゲーム音楽演奏」への転換だと、思うのです、ということを補足しておきます。

 

ん? 補足のほうが長くない?

2016年を振り返る話 その1 ゲーム音楽の話

2016年は自分にとって、いよいよ自分がなんでゲーム音楽を演奏しているのかわからない年になりました。

 

そんなに明るい話じゃないので、先に書いてしゃっと終えておこう。

過去にこんな話を書いてます。

paperview.hateblo.jp

 

ここで書いたことと2016年に自分が思っていたことはそんなに違ってません。

 

全体的な傾向としては、ゲーム音楽というジャンルの演奏会は格段に増えました。もうアマチュア楽団の出る幕は少なくともゲーム音楽というジャンルにはないでしょう。

アマチュア楽団はゲーム音楽という土俵よりも、地域楽団に近い、情報でつながった縁による楽団ってことでいいと思います。

 

つまりそれはどういうことかっていうと、地域楽団が抱えやすい様々なことを、そのままゲーム音楽団体は抱える/抱えている/抱えていた、ってことです。

 

で、2014年に書いたようなことが、いよいよ現実味を持って自分の身に降りかかってきたような気がしました。

ほかの活動もいろいろしてきたので、自分を相対化していくいいきっかけになっていたこともあるんだと思うんですけども、ゲーム音楽を聴いているとき、なんとなく色々と物難しいことを考えて頭の中がぐちゃぐちゃになっている自分にふっと気づいたのでした。

 

バンドの活動が辛いとかそういうことではないんですよ。ゲーム音楽や、ゲーム音楽活動についてのネガティブな感情ではない。 ただ、活動にまつわる色んな事を考えて悩んだり試行錯誤したり、行動したりしながら、どうにもならない袋小路に居て、結果として面白くない顔をしている自分がいる。

 

そんなことをしてる間に、知ってる人がやっているゲーム音楽演奏会から足が遠のきました。Twitterとかで見るいろんな告知を見て、行こうかなー、を検討しない自分に気づく。RTもなんとなくしてない。それでもいろいろあって行ってみたら実際、楽しんでいる顔にはなっていなかったみたいでして。

 

まぁ、そういうときもあるのだと思う。

 

一時期はプレーヤーでゲーム音楽を再生するのも億劫だったんですけど、これを書いている最近ではまたなんとなくゲーム音楽をプレーヤーから再生するようになってきて、2017年からは次の演奏会のために頑張るようになるでしょう。「ゲーム音楽を演奏する」の中にはいろんな要素があるので。

 

いろんな要素があって、大きな流れがあるからこそ避けられないこともいっぱいあります。自分のチカラだけでも、たぶん人のチカラを借りても、どうしても避けられないこともある。

流石にそろそろ、そんなことを意識しつつ、できることの見極めはしていこうと思いながら過ごしたのが、2016年だったなぁ、という感想でした。

 

あ、ゲーム音楽で一番はまってたのはundertaleです。

その次がデレマス曲……だけどデレマス曲をゲーム音楽っていうのはなんか違和感があるんだよね。

 

次はそれ以外の2016年のことについて書くよー。

個別が先か? 全体が先か? の話

先日、アンケートを実施してみました。多くの方に拡散していただきまして、291票に達したのでとりあえず、回答者の偏りは減らすことができたのではないかと思ってます。ご協力いただきありがとうございました。

 

 

一般的なケースにするために「貸し借り」というシチュエーションを選んだんですが、これを書いたことによって複数の人から「ごめんあれ返してないや」とご連絡をいただきまして、自分はとくに悲しんでいるわけではないということはお伝えしておきます(笑)

 

なんでこのアンケートを思いついたのか? ですが、仕事中の一幕でして。後輩が先輩に、ある案件についての対応を尋ねていました。自分がそれを横で聞いている。先輩は方針を伝えていたのですが、後輩はあんまり納得していない様子。

 

自分はというと「後輩は納得しないだろうなぁ」となんとなく思いながらそれを眺めていました。

ここにはややっこしい問題がありまして。

先輩の考える対策は、通常自分たちが依拠しているルールの中で「できる」対策なんですね。それをすることができる。

ただ、通常依拠しているルールの中で「できる」対策を「すべての案件に平等に適用することができるか?」となると、それはあやしい。

恐らく後輩がひっかかったのはそこなのだと思うのです。後輩は最初に「そのケースを全件に適用できるか?」を瞬間的に考えている。

 

考えかたの広さの違いです。

ある対策Aがルールに合致しているからOKだと考えるか。

ルール上できてもやや特殊な取り扱いをしていると考えると、その対策を全員にすることが問題あると判断できるなら対策Aを取りうるべきでないと考えるか。

個で観るか、全体で観るか。

 

後輩はそういう意味では視点が広い。

ただ、全体を見て動きが鈍くなると、個別ケースの対応が遅れる。もしくは、対策をしきれない。この間のバランスが難しいと思うわけです。

 

というわけで、質問のシチュエーションに戻りまして。

この案件についてはAは本を返せよ、Bはいっぺんくらい催促しろよ、で現実的な対策は出るのですが、いくつか質問に際してワーディングを配慮しました。

Aが3年借りているというのは、一冊の本に対しては明らかに借りている時間が長すぎます。つまりAには明確な落ち度がある。

Bは悲しんでいるということだけを書きました。つまり、Bは貸したものが自主的に返ってこないと、催促をする前にマイナスな感情を抱く。

 

「この件については」Aに返してね、と言えば終わる話だとしても、Bは今後もいろんな人と貸し借りをして、それがかえってこないたびに悲しいと思うかもしれないわけです。

そこで、Bが期日を設定して貸し出すことで、この悲しみをある程度の割合で軽減することができるわけです。何日までに返してね、と言えば、良識ある人はまぁ返してくれますから。

じゃあ、日常的に期日を設定したほうがケースを重ねるなら悲しみの軽減に実際的じゃん。と考える――みたいなことを瞬時にやるくせのついている人は「Bが期日を設定していないことが気になる」んじゃないかな、と思うわけです。

 

その狙いに合致した答えをいただいたかどうかはわからないですが、アンケート結果は概ね4:1で分かれまして、やっぱり圧倒的に個別ケース対応が先に考えられるわけですが、一方で「そんなの期日設定しときなさいよ」という考え方も一定の支持があり。面白いなと言ったところです。

 

どちらがいいか? というのは評価の仕方によって変わってくると思いますが、瞬間的な判断の違いが現れてくることは、意識してみると面白いです。

小説の話 20161120

最近活字読みたい時期に突入しました。

 

■ストーリー・セラー

有川浩先生の、小説家小説で恋愛ものでもある。仕掛け付きの小説なので、あまり多くを語る、というよりも読んで体験してもらったほうがいいですよ、という小説。

有川浩先生の小説はそれなり読んでいるのだけど、どうにも恋愛絡みの描写のところが少し苦手。なんだろう。苦手というのは嫌悪感じゃなくて、すごくくすぐったく感じさせられてしまうような感じ。これもそういう描写が結構あったのでくすぐったかった。 

ストーリー・セラー (幻冬舎文庫)

ストーリー・セラー (幻冬舎文庫)

 

 

■いなくなれ、群青/その白さえ嘘だとしても

ずっと表紙で気になっていたのでついに買った。

四冊まで出ているシリーズの第一巻と第二巻。

ある特殊な閉鎖環境に置かれた登場人物たちの生活と謎とで展開していく。「サクラダリセット」 と舞台装置は似ているけれど、特殊能力モノではない。ただ、独特の空気感というか、この人が書くキャラクターたちのなんとも淡泊な魅力が光ってる。続きも読んでいく予定。

 

いなくなれ、群青 (新潮文庫nex)

いなくなれ、群青 (新潮文庫nex)

 

 

 

その白さえ嘘だとしても (新潮文庫nex)

その白さえ嘘だとしても (新潮文庫nex)

 

 

 

■小説 スマイルプリキュア!

 スマイルプリキュアの小説版。テレビのお話のその後を描いている。文句の付けどころがない完全続編で、メイン脚本家の方がしっかり書いている、原作を大事にした小説。シリーズを見ていた人は読んで損はないと思う。

ただ一点、背表紙のあらすじでものすごいネタバレが書かれているので、書店で購入の際はカバーをかけてもらうとよいと思う。

小説 スマイルプリキュア! (講談社キャラクター文庫)

小説 スマイルプリキュア! (講談社キャラクター文庫)

 

 

 

君の名は。Another Side:Earthbound

 同名映画の番外エピソード集。全体的に、映画の補完をするような内容になっているので、映画を観た人は読んで損はない一冊。かゆいところに手が届く感じ。特に三葉の父親に関するエピソードは神話関連の力の入り方もあって、バックグラウンドも丁寧に説明されているので読んでおくと映画の理解が深まる。

君の名は。 Another Side:Earthbound (角川スニーカー文庫)
 

 

 

■何者

映画予告編を見て原作を読んでみようと思った作品。読んでいる人に対しての仕掛けの置き方が絶妙。素晴らしい舞台装置だったと思う。

なんだか現代のライトノベルではなく、いわゆる文壇というか、そっちの作品って共通して持っているような文脈というか、文章の傾向みたいなのがあると感じていて、この作品もそっち側の文脈に居ると思う。けども、そのうえでしっかりと、わかりやすく仕掛けに落とし込んでくれて、かつ現代的なものをテーマにしていて。それでいて、最後にどうするのだろうと思っていたけれど、筆者の人のよさ、やさしさみたいなところを見せてもらったような終わりになってる。

これ読んだあとになんか色々書くとこれ読んだ人みたいな感じになってなんとも言えない気分になるのが難点かもしれない。読むか観るかしたらわかると思います。(笑)

 

何者 (新潮文庫)

何者 (新潮文庫)

 

 

 

 

 

FCB13thLIVEを手伝ってから観てきた話―正月特番ネタ番組としての舞台―

FCBファミコンバンド

 

FCB!! ゲーム音楽を演奏。ファミコンバンド(FCB)

 

12thLiveには奏者として参加させてもらっていて、そのときにFCB「さん」とよそよそしくしないようにと言われた記憶があるのでFCBとざっくばらんに呼称させてもらいます。

怒られたら直す。

 

これから書くことは賛辞のつもりなんだけど、賛辞ととれないかもしれない。でもたぶんこの視点で書けるのは自分くらいなんじゃないかなって自負もちょっとあるので、思った通りに書いてみることにします。

 

今回やるよ、とお話いただいてしばらく悩んだ後に今回はごめんなさいしました。自分のスケジュールがつめっつめだったからです。いくつかミスったら全部コケそうだ、というくらいのスケジュールで色々やっていて、ちょっと体調不良の回数が増えたら影響が大きそうだったし、前回以上に演出・製作にも出れなさそうで、ましてや自分に課せられた演出の用意など……という状況で。ほかにも要因はあるんですけど、今回はお休みしました。

 

その代わりにスタッフをやりました。あの施設をぐるり回って隣の競技場まで届く長い列を整理するんですよ? テンション上がりませんか?

上がりませんか。

気付いてしまったんです。僕はきっと列整理が好きなんです。

なぜか? 声を出したら大体従ってくれるからです。「最後尾はこちらです! 二列になって、前の方との距離をできるだけ詰めてお並びください!」というとまず皆さんそこに並んでくれるんですね。

で、次はピンポイント爆撃です。「はいこのあたり、もう半歩ずつ! 前にお詰め下さい、列長くなっております! ご協力ください!」これでみんなちょっとずつ詰めてくれます。「点字ブロックできるだけ避けてください!」とか「歩道人一人通れる分開けてください!」とか、言えば言っただけ従ってくれるわけですよ。ゆうに百人を超える人たちが。僕の声ひとつで。

為政者の気持ちになるですよ。そりゃ権力者も椅子からどきたくないわ。

だってこの列に「はいこのあたりから後ろの皆さん手を挙げて! 両手を前から上にあげて全身を伸ばす運動!」とか言ったらラジオ体操してくれるかもしれない。ラジオ体操は無理でも、体育座りくらいにはなってくれるかもしれない。そういう可能性を秘めているのが列整理です。

どこまでが許されるのか? 非常にわくわくしませんか?

しませんか。

もう900字に達するのにまだ列整理のことしか書いてない。

 

ライブの話。

1面と2面は席から見てました。

僕は確か、FCBは8thから観覧または参加しているんですけれども。FCBについては「新鮮さ」は僕の中からは薄れていて、今回の演出も基本的に「見たことがあるもの」「できそうなもの」で構成されてました。

これはFCBが「再現」をする、逆に「再現しかしない」のが基本スタンスだからです。オホーツクはオホーツクの画面再現「しか」していない。それ以上の余計なことはないわけです。その代わりに、再現なんか無理なんじゃないのって思うことも頑なに再現する。(前回の太鼓の達人とか、今回のピンボールとか)

じゃ、つまんなかったのか。そういうことじゃなくて、見た事あるものにとっては「安心の笑い/共感」「期待通りの笑い/共感」を見せてくれる、ということです。

これが何かというと、お正月のネタ番組が一番近いと僕は思います。ひょっとすると吉本新喜劇みたいなものに似てるのかな。つまり「お約束」です。染之助染太郎の傘回しで、テツ&トモのなんでだろうで、波田陽区の残念。知っているのでこれを観に来た、観れたらやったぜ、初めての人はおもしろーい。

これは何に支えられているかというと、それを今まで観てきた人たちによって支えられているわけです。自分も含めた観客のリアクションまで含めて芸になっている。

 

経験的に、客席が安心して笑えるようになるには一定以上の客数が必要です。自分の感覚では、客席の50%程度。客席の50%程度が埋まると、人は「結構お客さん入ってるな」と思うようになって、自分が群衆の1人になり、観劇中のリアクションをためらわなくなります。

逆にそれより少ない客数だとためらいが生じるらしく、こっちが一生懸命やっても「笑うのを我慢するのが大変でした!」とアンケートに書かれたりします。こっちは笑ってほしくてやってるにも関わらず。

FCBの客数は全座席の90%近く。そこで安定の笑いを稼ぎ、その笑いの経験者は次回の笑いの装置となるわけです。

 

舞台の上と客席、両方の関係が飽和に達してできる表現。

それはなにかって言ったら、ひとつの様式、文化なんじゃないですかね。

ここまで行けたら、もう芸として完成なんじゃないですかね。

 

外からも内からも観た自分としては、そんなことを思っていたのでした。

そうあることにメリットもデメリットももちろんあるんだと思うんですけど、そこにたどり着いてることには、ただただ賞賛するしかない、そんな感想です。

出演者の皆様、お疲れ様でした。