すごく久しぶりにこんな話を書いてみようと思ったのです。
何度か考えてはいたんだけど、口に出したことはあるけど、書いたことなかったのは、書いてどうなるもんでもないしなぁ、と思ったからです。
同時に、書いてどうなるもんでもないなら、書いておくか、と思ったので書いてます。
色んなメディアに栄枯盛衰ありますけども、どんなものも最初にそのジャンルを切り開く人がいて、それに乗っかって盛り上げていく人がいて、大量の人が流入して、だんだん廃れていく。どこかでちゃんとした名称を見た気がするんですが、名前を思い出せず掘り出せませんでした。
2ちゃんねるやSNS、ブログなんかもそうで、最初に少数がその媒体を盛り上げているときが一番温かく、エネルギーがあって、そしてそれが面白そうだと思った人が増えるほどにだんだんと勢いを失っていく。
インターネット全体でもそうです。
「ゲーム音楽を演奏する」というジャンルは、自分の記憶する限り2006~2008年あたりで動きが大きくなりました。その前にももちろんありましたが、規模が大きくなっていったのはこのあたり。
この頃、ゲーム音楽演奏はやったことないジャンルを掘る、という意味でとても面白い分野だったのです。
そして現在の2014年に至るまでのところで振り返ってみると「ゲーム音楽を演奏する」という行為自体の新しさは全く消えた。(版権音楽でもよい)同時に「ゲーム音楽を聴く」という行為についても消えた。
新しさがなくなるということはありがたさもなくなるということです。仮に奏者として参加するのであれば今は適当な楽団や、演奏会を選んでエントリーしてお金を払えばOKという状態です。奏者はポータルサイトから適当な演奏会を選んでそこまで行けば聴けます。簡単です。
よって、そこに何があるかもわからない荒野だったゲーム音楽演奏という開拓地は、とりあえず開拓が終わり、家が建ち店が並び、人口が増え、「もう開拓地じゃねーだろ」とひとつのゴールを達成してしまっているわけです。だいたい2011年くらいのお話ですよ。ちょっとダークなことを言うとイオン(=巨大資本)みたいなのが来たら個人商店がおしまい、くらいのところまで現在では近づいてると思います。
なんでそんなことを書いたかというと、そうなるとこの辺のジャンルにいち早く飛びついて開拓していた人達(自分もそうだとおもってるんですよ)が過去の栄光にすがって愚痴を言い出す可能性も出てくるかななんて思うからです。
最近、どんな演奏会の感想見ても「開催があったこと」についての感動は見つけることができないんです。
ではゲーム音楽演奏は終わりなのか? もう楽しくはないのか? というとそういうことではないです。僕は今も楽しいです。
でも「何が楽しいのか?」はちゃんと考えたほうがいいと思っています。
僕はそれで「ゲーム音楽演奏」の楽しさは「やったことのない舞台芸術を」「仲間とたちとやって」「お客さんを楽しませる」のが楽しいのだ、と自己分析しました。
つまり「ゲーム音楽かどうか」は僕にとっては重要ではなくなっていたのです。もしくは、過去は「ゲーム音楽であること」そのものが、さっきの三要素を必ず満たしていたのでしょう。最近では聴く側としても「ゲーム音楽を」ではなく「友達の演奏を」聴くようになってると自覚してました。だから、友達が居ない/少ない楽団の演奏会に行くことは優先順位が低くなっていきました。
趣味は何らか楽しくあるべきだと思っていますし、楽しさを求めて活動をしています。ということは「何が楽しいのか?」を勘違いしていることは致命的なのです。
しかいくら新鮮さを失っても「ゲーム音楽であること」はやめられないのです。これは結局勢いのようなもので、ここを否定しだすとよく回らなくなってしまう。大学じゃなくてサークルが面白いんでも、大学生辞めてサークルだけやるのが受け入れられないようなものです。たぶん。
でも「ゲーム音楽を演奏する」だけでは新鮮さがないと感じるわけなので、それに対してどういうアプローチをもって新鮮さ=楽しさを得るか、をちゃんと意識しないといけないと思うのです。
これ、ちゃんとやらないと、特に楽団みたいな規模だと、意図的に新しいことを入れていくのは組織運営上大変ですので、すぐ回らなくなる可能性があるなぁ、なんて思っているのです。
んで、同時に「ゲーム音楽の演奏」が一般的になったことで、ここをちゃんと意識してないと本質を見失うと思うので、結構前からですけども気を付けるようにしてました。
せっかくなので、今日はここにそれを記しておこうと思った次第。フロンティアを開拓するのが好きだった人は、過去フロンティアだった時代に思いを馳せるよりかは、新しいフロンティアを求める方が、楽しいんじゃないでしょうか?