昨年末くらいからまたにわかに結婚ラッシュがありまして、自分結婚したのいつだったっけ? とか思っていた昨今でした。
自分の結婚の際に申し上げましたが、自分は専攻の社会学でジェンダー論の常勤講師に大変お世話になったため、良くも悪くも結婚にまつわる諸々について勉強したわけです。
だからこそ言いますけども、結婚できなくても婚活ビジネスに頼るのはやめといたほうがいいと思うよ。
ということを言いましたのは、おりしも「とらのあな」が婚活サービスを始めてにわかにTLが盛り上がっていたからですね。
なぜやめといたほうがいいのか、と言いますと、ヒット率が低いと思うからです。
ここでいうヒット率、というのは、成婚率、ということではなくて。結婚に求めるもの、というのが一致する可能性が低いでしょう、ということです。
現代は結婚のハードルが高いです。その主な理由は、結婚の理由の中心が愛情になってしまったからです。これ何度かここで同じ話してる気がする。
見合い結婚と恋愛結婚の比率はこんな感じで推移してるみたいです。
ということで、いまは見合い結婚は主流じゃなくなってます。
「見合わせてもらえなくなってる」んです。
これってどういうことでしょうか。結婚の諸要素が当事者である夫婦のみに限定されていく、ということが起こっていきます。
これもなんどか同じこと言った気がしますが、レヴィストロースから紐解きまして(面倒なので興味がある人はレヴィストロース 結婚 とかで検索してください)結婚というのは血縁や社会を巻き込むもので、どちらかといえば当事者の愛情とかはついでの要素だったわけです。
あんまり愛情や恋愛結婚をディスるつもりはないのですが(自分も恋愛結婚だし)なにが言いたいかというと、結婚という事象は複合的な社会システムで、単純にマッチングすりゃいいってわけではない、ということをお伝えしたいのです。
だから「結婚したい」の中にはたくさんのサブ要素がある。
・経済的に安定を得たい
・遺伝子の伝達がしたい
・生活のリスクヘッジ
・社会的地位
・パートナーとの愛情
この辺に様々な濃淡があって、それらがオーバーラップする手段が結婚なわけです。
だから、結婚したいけど愛情とかは別にいいやって人もいれば、結婚した相手とは愛情が続かないと嫌だって人もいる。
その中身をチェックしないと、色んな誤解が生じる。
結婚したい、だけが一致していても、自分と相手の考えている結婚の中身は全然違うかもしれないわけで。
でも「結婚」と個人が想像しているとき、それが相手の考えている「結婚」とちがうなんてことは、同じ「結婚」という語だけを使っていると気づきにくい。
もしそれがずれてしまっていると、途端に結婚生活はきっつくなってくと思います。同じ意思を持ってマッチングしたはずなのに、実はマッチングされていなかったわけだから。
正直なところ、自分は婚活ビジネスに頼ったことはないので、ひょっとするとここら辺もしっかりマッチングしてくれるのかもしれない。それは判らないです。ただ、やみくもに婚活ビジネスに頼るよりかは、いったんその結婚の中身を自分で問うたほうがいいと思う。だって「愛情は大事じゃないです」なんて、ちょっと聞かれて答えなんて出せないでしょう。
求める要素が一致するなら、愛情は重視しないってことにして、そのほかの要素がスゲーマッチしたから結婚するぜ! ってのもぜんぜんありだと思うんです。むしろ安定感あると思う。でも、それを婚活ビジネスがマッチング要素として許してくれるのか? じゃあなんで婚活してんすか、って聞かれちゃったりしないか。結婚の広告ってだいたい幸せそうにしてる男女だと思うけれども。という。
ここまで婚活ビジネスに頼るのはやめた方がいいと思うよって話ね。
ここからは、じゃあどーすんだよ! という話です。
まずほんとに結婚したいですか?
ってことを考えたらいいと思うんです。ちょうどここ数十年くらいは、見合い結婚が廃れたのに、自分たちよりも一~二世代上は見合い結婚でもマッチングしやすかった世代なので、そこら辺の世代からの結婚しろよプレッシャーはかなり大きいと思うんです。
だから結婚したいのか、自分に結婚してほしいと思っている誰かの願望をかなえたいのかははっきりしといたほうがいいと思う。
何故かというと、結婚は相手がいるものだから。
誰しもが人をしっかり愛したり、生活を共にするような距離を保つことに得意なわけでもないし、自分が男女問わず色んな人と関わっていても「この人とは同じ屋根の下でもやっていけそう」「このひととはたぶん無理」というのはあるわけです。家族くらいの距離感はできても、夫婦くらいの距離感はストレスが溜まってしまうひともいると思う。それはその人が築き上げた自分だから、無視しないほうがいい。
そういう、他人に対する愛情が薄いかもしれない自分の立ち位置ってしっかり見定めておいたほうがいいと思うんです。じつは自分、結婚しないほうが幸せかも、って思った上で、誰かの幸せのために結婚して、そのうえで自分の領域を保っている、って割り切れるなら、それはちゃんとした選択だと思うので。
ということで、結婚に対する立ち位置が決まったら、パートナーどうするか、ですが。できるだけ縛られたほうが安定感が出ると思います。
縛られるとは何に縛られるのか。なんでもいいです。血縁に縛られよ。人間関係に縛られよ。社会からのプレッシャーに縛られよ。とにかく縛られまくれば安定する。
愛情は上下するステータスです。長期的には下がる傾向にあるらしい。
そう、愛妻家で知られる自分ですら、妻と口もききたくないような時期はある。そういう下がってるときになにが自分たちの関係性を縛ってくれるか。
「〇〇があるから、離婚とかむしろめんどくさいな……」って思えるか。
ドライだと思うかもしれないですけど、すごく大事ですよ。文面ほどドライに考えないでいただきたい。愛情はまた上がる可能性もあるステータスだから。下がっている間の支持があればまたいくらでも立ち直れるわけです。
逆にそれがないと、縛ってくれるものなんてせいぜい、カタコトの神父の前でした「はい、誓います」の宣言くらいですよ。これでちゃんと自分を縛り切れますか?
自分は自信ない。そもそも和装で神前式だったが。
だからたくさん知り合い呼んで結婚式したり、お互いの家族と関係作ったり、子ども作って育てたり、っていうこともするわけで。でも婚活から入ると、結婚するのだという前提の割にこういうサブステータスがゼロに近い状態。そのあとから築き上げてもいいと思うけど、しんどくないですか? 知らないひとと積極的に、距離を近づける前提で会うの。僕の妻の親族、みなさんいい人ですけど、やっぱり会うと緊張して疲れます。どうやったって会うのはたまにだし。
だから、そういうサブ要素がしっかりしてるところから見つけるといいと思う。職場とか。サークルとか。複数以上の「新郎新婦両方知ってる人」を揃えたほうがいいと思う。
そう言う意味では、高価な婚活ビジネスは、外形的には成功するかもしれないです。だって「こんだけ金かけたんだぞ!」も縛る要素だといえば縛る要素だから、成婚率が上がるかもしれない。プラスマイナスあるので影響は測りきることはできないですけど。それが幸せかどうかもわからないけど。
ということで、結婚できない、というとやっぱり焦りがあると思うんですけど(自分もなかなか就職の内定決まらなかった時焦ったし)、婚活ビジネスとかに駆け込むよりかは、結婚に関するスタンスを考えて、そのうえで身の回りの人と結婚するのが、いまの結婚観のスタンダードに合ってると思う。
と、思ったのでした。相手もビジネスですので、するっと弱みにも入ってくるだろうから、その弱みとしっかり向き合ったほうがよいと思います。
結婚しない人生もあるよ。