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ksk@ぴよによるノンジャンルみだれ手記

しきフレは死の匂いがする話

けっこういろんな作品のネタバレをします。ご注意。

アカギ、天~天和通りの怪男児幽遊白書戯言シリーズ、すべてがFになる、など。

 

■解説と用語の定義

しきフレとは「アイドルマスターシンデレラガールズ」に登場するアイドル「一ノ瀬志希」と「宮本フレデリカ」のカップリングのことを指します。GLの場合もあれば、単純に二人が揃っている状況を指す場合もあります。このお話では一定以上のストーリーがある場合ということで、どちらかと言うとGL、百合っぽいお話だと思っていただいて構いません

LiPPSについて。LiPPSは上記二名に加えて速水奏城ヶ崎美嘉塩見周子を加えた5人のメンバーのユニットです。2016年に「スターライトステージ」で披露となり、以降高い人気があります。

 

■LiPPS小説を書いたのと、しきフレでいくつか二次創作小説を読んだ

志希がなんか心に刺さったことから、前回の冬コミでは志希を中心とした小説本を出しました。(サンプルこちら)(お買い上げいただいた方、ありがとうございます)

paperview.hateblo.jp

んで、そこですっごく書きづらいな一ノ瀬志希というやつは! と思った、ということがあったのですが、せっかく自分が書くんだしということでいくつかの志希関連作品を読みまして、長編で有名なのはこちらのようです。

blog.livedoor.jp

それと、先日のコミケではこれも話題になった模様。買おうと思っているうちに完売してしまったので、DL版で読みました。

www.melonbooks.com

 

前者はフレデリカが鬱になって死にたいと発言する話で、後者は志希が自殺する話です。(この程度ではネタバレにならない導入だと思う)ここから先の論考はそれに対する批判的な論調を含んでしまいそうですが、先に述べておきます、この二つはとても面白かったです。

 

さて、この辺を読んでいてなんとなく合点が行ったんですよね。「あ、しきフレには死の匂いが付き纏っているんだな」と。

 

■そもそも天才には死の匂いが寄り添いやすいんだよ

これは物語における天才論です。一ノ瀬志希の特徴は「ギフテッド」、さまざまな作中では特に天才として発揮されることが多いです。(ちなみに、厳密には天才という意味ではない。万能選手ではないため取扱には注意が必要)物語創作において、人殺しを描くために人殺しの経験がある必要はないと言えますが、思考をトレースする必要はあると言えるでしょう。よって「天才とは?」を書くときに、天才ではない凡人の作者たち、もしくはその天才を描くのに対して同じ種類の天才ではない書き手は、どうにかしてその天才を描く必要があります。

 

この時一番わかりやすく、天才であることを表現するツールのひとつが「死生観に関すること」なんだと思うんです。

 

例としては「アカギ」を考えてみたいと思います。現在も連載中の麻雀漫画「アカギ」の初出は「天」なわけですが、この「天」のラストは麻雀ではなく、アルツハイマーの症状を前に、自死を選ぼうとするアカギをみんなで説得する展開となります。それまで登場したキャラクターがアカギを止めようとしますが、アカギは逝きます。

 

アカギが言う印象的なセリフに「人間は死んで完成する」というのがあります。これから考えると、完成した人間には死が寄り添っているということになるのではないでしょうか。

 

天才は天才ゆえにもう完成しているので、ドラマにしにくい。その天才からどうやってドラマを作るのか、というと、その筆頭が「天才を殺す(天才性を殺す)」だと思うんです。殺してしまえば、天才は天才のまま保存することができる。

「すべてがFになる」では、天才が天才たる自分(の、社会的存在)を殺すということをしています。「幽遊白書」では仙水忍は最期、樹(この二人もカップリングですよね)と誰にも邪魔されない世界へ消えていきます。

天才性を殺す、は、天才が凡人に降りてくるというもので「戯言シリーズ」の玖渚友がこれに該当するかと思います。この時は「天才として死ぬか凡人として生きるか」の二択でした。

 

ということで、天才はドラマにすると結構、死とセットになっちゃうんです。

 

■でも「フレうつ」で死の匂いするのは志希じゃないじゃん

そう。でも「しきフレ」という関係性は、天才志希と、天才を阻害しない/許容するフレデリカという関係性から成り立っているわけです。

この関係を崩してドラマを開始するには、志希にとって志希の能力を超えた何らかの出来事が必要になる。志希(二次創作的志希)は天才で大抵のことできます。一方でフレデリカは阻害しない、許容するキャラなので、能動的に何か事件を起こすとは思えない。ならば、フレデリカが死に瀕するのはどうか。これなら志希の能力を超えてドラマを作り出すことができるぞ。と。

天才の相方が死に瀕するのもまた、物語的には常套手段だと思うのですね。

 

ということで、しきフレは結構、死の匂いがすぐそばにあるカップリング、もしくは物語だなということを考えたのでした。

 

■アイドルって生命力に満ちててほしいよね

自分は志希もフレデリカも好きだけど担当だけど、でもしきフレが好きかというとそこまでそうでもありませんでして。そういう意味では死の匂いのする作品は、なんだかデレマスっぽくないな、というか二次元アイドルっぽくないな、と思ったりはします。それは二次創作だから野暮いいっこなしなのは判ってるんですけども。

ただ、意識せずしきフレの組み合わせを考えていると、すっとこの「死の匂い」が寄り添ってくる感じがするし、そのことを考えていたときにしきフレというカップリングの特性がストンと落ちたような感じがしたので、それを理解したうえで生命力のある物語つくりをしたいなと思ったのでした。

いまのところ志希やフレデリカでなにかするつもりはあまりないんですが、考察文感想文として。