劇中登場の物体が「ばかうけ」に形が似ていることで妙な盛り上がりを見せているSF映画「メッセージ」のネタバレつき感想を書きます。未見は避けたほうがよいでしょう。知らないで見ないと意味ないです、これ。
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だいぶお久しぶりでどこから書いてないやら。
・初情事まであと一時間
漫画です。同名の同人誌が漫画化されたもの。同人誌版を買っていたのだけれども、そのときはあと一時間を切ったタイミングで「ズギャーム ワァーオ!」みたいに効果のコマが描いてあって、コミックスではなくなってしまっていたのですが、実は自分はそれが一番好きでした。
実際あるのとないのではテンポ感が大きく違って、 巻末に同人誌版が一部再録されているのだけれど、どちらが好みか読んだ方には聞いてみたい。
・リトルウィッチアカデミア(角川コミックス版
漫画です。リトルウィッチアカデミアは漫画版だけで考えてもエースコミックス、ヤングジャンプコミックス、りぼんコミックス版があるのでご注意されたし。
アニメ準拠っていうことで完全なコミカライズかと思ってスルーしようかと思っていたけれど、オリジナルエピソードが含まれているということで購入、実際蓋開けたら殆どオリジナルエピソードでした。設定がアニメ準拠なだけだった。
絵もしっかりリトルウィッチアカデミアしているので面白いです。今後も買っちゃうだろう。
リトルウィッチアカデミア (1) (角川コミックス・エース)
・レトルトパウチ!(4)
漫画です。「君は淫らな僕の女王」から同作者様を追いかけているのだけれども、結局のところ「君は淫らな~」は原作付きなので、この作者さんについての方向性とはすこしちがうのだろう、と思っておりました。
クズの本懐のような群像劇の様相を呈してきたので、クズの本懐が好きな人はこっちも読めるはず。最初の設定だけちょっと突飛ですけどもね。
・誰も僕を裁けない
ノベルスです。援交女子校生探偵の上木らいちシリーズ。
本格ミステリっていう言葉の中身をしっかり考えずにちょいちょいミステリーを読んでいたけれども、この作中でひとつの提示がされていたので勉強になりました。
ということで、エロミスと言われているこのシリーズですけども、中身はしっかり叙述トリックとミステリーをしているので面白いです。いわゆるエロ描写みたいなのもさっぱりしてるので、色々と描写があるとはいえエロいかというと、色気が強い描写ではないです。
・双蛇密室
ノベルスです。同じく上木らいちシリーズ。
「そりゃさすがにないでしょ」ということもミステリーにはあるわけですが、前述の本格ミステリについての定義で「ルールが提示される」というのがほぉっと来たのですんなりはいった。というくらいトリックとしてはそんなばかなっていう内容だと思います。(笑)
・異世界ピクニック
文庫です。
実際の「ネットロア」をもとに描かれる、ホラー風味のお話。主人公と相棒が異世界を探検して戻ってくる話です。小説にすごく向いているジャンルで、だからネットロアっていうのは文字で語られると思うんですが、やっぱり我々は言語を持ってなにかを認識しているわけで、言語が壊れると認識が壊れる。認識が壊れるというのは異常事態だから怖い。
そんなことをストレートに思わせてくれます。お薦めだけど怖いのが苦手な人は注意。いわゆる「ジャパニーズホラー」に分類していいと思います。
裏世界ピクニック ふたりの怪異探検ファイル (ハヤカワ文庫JA)
・メッセージ
映画です。
面白かったのでこれは別枠でお話します。決して一定以上の盛り上がりを見せるようなエンターテイメント作品ではないですが、叙述トリックを映像で見せてくれるというのは、すごいの一言です。
ガルパン漫画いっぱい読みました……が、それは最後にしてそれ以外から。
■だがしかし(7)
まさかの新キャラ。でも、このまま駄菓子漫画ではいられないだろうし、展開は必要だろうし……というところでちょうどよかったのかもしれない。この巻はとにかく「引き」で、それ以上のことは言えない、言わない。
■クズの本懐(8)(完)
7巻で「えっこれ畳まるの!?」って思ったけど畳まった。ただどうしても「この話は誰が主人公だったのか?」というところを考え出すと深みにはまってしまうと思う。これを成長物語と位置付けられるかどうかは、人と経験によるのかもしれない。
これは読みたい話だったか。美しい話だったか。難しいところですよ。でも、冒頭を考えたらこう着地するしかなかった、と言えるかも。
■惑わない星(2)
なんとなく2巻がちゃんと出てほっとしている。確か色々ご健康の面でありましたよね、作者様に。
「もやしもん」もそうだったけれど、純粋に「知識」をくれるメディアは楽しいもの。大人になればなおさらかもしれない。ここからの展開も期待。
■どこか遠くの話をしよう(上)
表紙で買ってみた。集落に迷い込んだ、言葉の通じない謎のおっさんと、集落の少女の話だが……途中で大きく展開する。下巻でそれにどういう結論がつくのか楽しみ。あ、ひょっとすると中巻もあるかもしれないのか……?
どこか遠くの話をしよう 上<どこか遠くの話をしよう> (ビームコミックス)
■アオアシ(1~8)
サッカー漫画。主人公がユースの試験を受けて、サッカー選手として成長していくのだけれども、「ユース」というものについてしっかり描いてあることが面白い。プラス、主人公がどんどん目覚めていくのも面白い。
いわゆるスポーツ漫画で主人公が何かに開眼していくのは面白ポイントだと思うけど、それを盛り上げるための装置がいちいち面白い。特に鳥の画は秀逸。サッカーよく知らなくてもサッカーのことを描いて「それはすごい」って思わせるのって、きっと難しいと思うんだよね。
以下ガルパン。
■激闘! マジノ戦ですっ!
練習試合がもう一つあったのさ、というお話。
これに限った話ではないけど、どうしてもアニメから入って戦車の「動き」に魅せられてしまうと、ちょっと情報量が少なく感じてしまうのは致し方ないところ。
ガールズ&パンツァー 激闘!マジノ戦ですっ!! 1<ガールズ&パンツァー 激闘!マジノ戦ですっ!!> (コミックフラッパー)
■リトルアーミー
リトルアーミーは2種類あり、1が小学生時代のみほと仲間の話。2が1で登場したキャラクターが、TV本編後の大洗でみほ含むTV版メンバーらと対決する話。1が2冊、2が3冊、計5冊で完結。ややこしいなぁ。(笑)
自分にとってはガルパンは「キャラの濃さを戦車戦の情報量でねじ伏せる」だと思っているので、どうしても漫画だと情報量不足に陥ってしまうのが辛いところ。戦車戦が。
ガールズ&パンツァー リトルアーミー 1 (MFコミックス アライブシリーズ)
ガールズ&パンツァー リトルアーミーII 1<ガールズ&パンツァー リトルアーミーII> (コミックアライブ)
■もっとらぶらぶ作戦です!
戦車成分が少ない、四コマなどを交えた日常コメディ。キャラクターに十分親しんだら、マンガとしてはこちらの方が楽しめると思う。本編のキャラクターをよく吸収、昇華していて、スピンオフものとしてよく楽しめます。
ガールズ&パンツァー もっとらぶらぶ作戦です! 1<ガールズ&パンツァー もっとらぶらぶ作戦です!> (コミックアライブ)
■リボンの武者
最もすさまじかった漫画。今回はこれに字数を割いて行きたいと思います。すさまじかったのは、映像情報量が多いこととキャラクター性のバランスを奇跡のようなレベルで魅せた「TVアニメ→映画版」『ガルパン』に対して「漫画」の土俵で本編と渡り合っていること。画の一つ一つは素晴らしく濃くて、ルールを「戦車道」から小型戦車の「タンカスロン」に変えたことで、漫画のコマでも十二分に激しい動きを表現。登場キャラクターはいずれも「戦士(武士)」として描かれていて、主人公が受けるものとしての殺気や闘気みたいなものを容赦なく強者の表現で描いてるところがすごい。顔を真っ黒に塗りつぶされたダー様が、でも強者って絶対これだよ! という表現にきちんとなっている。各キャラへのリスペクトもしっかり。新キャラもしっかり立っている。すごいよ。
今後も絶対に買うしかないシリーズ。映像化はきっとしないほうがいいと思うんだけど、最終章でちょっとだけ触れられたりしたらすっごく楽しいと思うな。
「人になにかをしてもらう」ということを考えるときは、まず各種情報の整理から始まります。
・それをする必要があるか? なぜするのか? するとどうなるのか?
・誰に権限があるか? 誰が実施するのがよいか?
・どのように実施すべきか?
を検討する。どうしてそれをするか、というと、欲求と必要は簡単に入れ替わってしまうからです。
「自分がこうすべきだと思っている」と「実際にそうする必要がある」の間のギャップ。甘美な誘惑に酔わないことが大事です。
「自分の欲求のために、他人がこうすべきだと思っていないか?」を検討することはやっておいたほうがいいと思います。
ちなみに、その欲求があること自体を否定するべきものではないです。「自分の欲求がある」が「他人が当然そうすべきだ」に入れ替わってしまうと、そのあとが狂いやすい。
情報が整理されることが重要です。ちょっと抽象的な話になってしまったので具体化しましょう。つまるところ「人になにかをしてもらう」というのは「北風と太陽」の寓話がそのまんま、そうです。
課題:旅人に服を脱がせること
なぜ:旅人に服を脱がせた方が勝利
ここには北風も太陽も「旅人に服を脱がせたい」という欲求があるわけですが、だからといって「旅人が服を脱ぐべきだ」とは思っていません。そりゃそうです。旅人には服を脱ぐ必要は一切ないからです。
でも、一般的にはこういう「自分以外が責任を負うべきだ」にすり替わってしまう事例はよくよくあります。
それはそれで仕方のないことです。行動にはコストが伴います。自分がコストを払うことができない場合、もしくは払いたくない場合、他人がやってくれたら楽です。
が、その場合は新たに
・責任を負わすべき人物には、追加コスト分を払うだけのリソースはあるか?
も検討する必要があります。検討せずにやれやれ、やるべきだ、とプレッシャーをかけることもできなくはないですが、長期的に破たんがみえるのでやめたほうがいいと思います。
ここでは北風と太陽はともに自分が行動するだけのリソースを保有していたと考えましょう。そりゃそうだ、北風も太陽もわざわざ旅人の服を脱がそうなんてどうでもいい勝負をするくらいだ。アウトソーシングする必要はない。
さて、北風と太陽はそれぞれが権限を持っていたわけですが、使用することができる手段に違いがありました。
北風は相手にプレッシャーをかけてその行動や結果を強要するような方法。
太陽は相手に行動に至るメリットを明示して、相手に行動を起こさせるような方法。
寓話の通り太陽のほうが、それをするのに適した人材ということになります。
では関係性を少し変えてみましょう。
・エクストラ寓話1:太陽は北風の上司です。神より、太陽部にて旅人の服を脱がせよという指令が下りました。太陽は部下である北風に、旅人の服を脱がせるように指示しました。
・エクストラ寓話2:太陽と北風はそれぞれ対立する部署です。神より、全体のミッションとして旅人の服を脱がせるように指示が下りましたが、太陽部は周辺の気温をあげる権限を持っていないため、一度神に決裁を経てから実行に移す必要があります。なお、北風はすでに権限を持っています。
みたいな感じです。思った以上にめんどくさいなこの関係性は。
そういう風にようわからない構造にしてなにがしたいかというと「誰がすべきか」ということを、できるだけシステマティックに考えたほうがいいよね、ということです。理想は「いちばんコストが少ない」「いちばんリソースに余裕がある」ところでバランスに応じてお願いをしていくべきでしょう。
重要なことは「そこにまだリソースは残っているのか?」を考えることだと思うのです。
太陽は旅人の服を脱がすべきだよね、というのは簡単です。でも太陽は日々、地上をあっためる業務と、地球の裏側までの出張業務を毎日レベルで控えていて、もうこれ以上追加で仕事を被る余裕がありません。こういうときに「太陽は旅人の服を脱がすべきだよね」とか言われても、これ以上動きようがないのでできません。
それでも仕事なら残業したりするかもです。でもそういう関係性が無かったらどうでしょうか。
それでも喜んでやってくれる人は稀有だと思います。自分ならやりたくないな。
大事なのは「喜んで」やってくれる人が稀有だということです。つまりいやいやならやってくれるかもしれないということです。
「いやいや」やってくれたということは「いやいや」に対する見返りがあったほうがよいでしょう。仕事なら給料。仕事じゃないなら名誉や賞賛とかでしょうか。
負のインセンティブか、正のインセンティブかによりますが「それをやってもらうことでなにがどうなりますか」を相手の立場に立って考えられることが大事だと思います。
考えたうえで、なお相手に負のインセンティブをつきつけて、何かをお願いするというテクニックもあるにはあります。「旅人の服を脱がせなかったら晩御飯抜き」みたいなことです。仕事ならまだともかくとして、ふだんはあんまりやりたくないことですよね。
ということで、誰かに何かをやってもらいたいようなときには、めんどくさくても色々なことを考えたほうがいいかなーって思うんですよね。
あと、相手は自分の都合のいいことばっかり言って、実際にはなんにもコストを支払おうとしない、ということもよくよくありますので、そういう相手にも気を付けたほうがいいと思います。そういう人と何かをしても、あまり得るものは大きくなかった印象がある。実際に行動する人がよいと、自分は思います。
なにかの参考になりますれば。
ガルパンは、いいぞ!
ここ数か月、色んな予定が並行していた結果、ちょっと旅行に行きたいなぁ、と思いつつも「旅行に行く計画を立てる気力が出ない」状態に陥っていました。
理由の大部分は仕事ではなくて趣味の創作にリソース割きすぎから起こってるので、同情いただくような要素は一切ないんですが、そんな状態で居たら「大洗に行くよ」という企画が立っていたのでそれに乗らせていただきました。
ガールズ&パンツァー(以下ガルパン)の聖地巡礼をするらしいぞ! ということでかねてより友人にお借りしていたガルパンの劇場版ディスクを観てみることに。
ガールズ&パンツァー 劇場版 (特装限定版) [Blu-ray]
以下、それらの感想。もくじ。
・ガルパンの話
・大洗に行った話
・コンテンツツーリズムの話
■ガルパンの話
「ガルパンはいいぞ」のフレーズを聴いてから、観てみたいなぁとぼんやり思いつつも、機会がなく現在に至ってしまい、いいぞ、と言っていた友人から貸していただいたことと、大洗に行くという予定によってなんとかスケジュールを作ってみてみました。
結果「ガルパンはいいぞ!」の意味が判るようになりました。これは観て損はないと思います、観たほうがいいよ。とくに「シン・ゴジラ」が面白かったという層には刺さるのではないでしょうか。
TVアニメからの続編としてのアニメ映画を観るときの悩みはやはり「これって本編しらないけど観ていいものなの?」ということだと思うんですが、大丈夫だと思います。面白さの中心は「戦車戦」にあるので大きな問題ではないでしょう。自分もTV版を観ていないし、観たほうがさらに楽しめるんだろうけれども、TV版をみる時間がないから……という理由で映画を避けてしまうのはもったいない。
「ガルパンはいいぞ」という言葉に集約されるのは、画面の情報量がものすごく多くて、それを言語化するよりかは単純に「いいぞ」と言ってしまうことのほうがむしろ正解に近い、陳腐化しなくて済む、というのが大きいと思います。
もともと戦車に強い思い入れがあるでもないですが、これを作った人たちはきっと、戦車のことがめちゃめちゃ好きで、戦車がこれをする画が観れたら幸せだ! という想いで作ったんだろう、というのが嫌というほど伝わってきました。
ということで、劇場公開から二年弱遅れましたが、言いましょう。ガルパンはいいぞ!
借り物のディスクだけど、きっとあとで買っちゃうと思うな。
■大洗に行った話
そういうわけで大洗! 上野から特急で一時間、そこから車で三十分くらいだったかな。天気はいいけど風はちょっと強くて寒い。
映画でも出てきた神社の近くに車をとめて、神社に行くと大きな公式の絵馬と、大量のファンアートの絵馬が。出かけた先での絵馬ウォッチングは楽しいものですが、これだけキャラクターの絵馬があると壮観です。立体の絵馬とかもすごかった。
その後、海辺で大洗ホテル、大洗シーサイドホテルと外から眺めました。映像に出てきた場面を観るのは楽しいですが、なにより直前にみていたので記憶も鮮烈です。
お昼はカキ小屋で。お好みで好きな食材を店内で買って、グリルで好きに焼いて食べる、というシステム。名物のカキは自分は食べられないので、鮭やらさつま揚げやらをいただく。美味しかったです。
そのあとマリンタワー、リゾートアウトレットと観て、商店街をぐるっと回って、大洗は離脱。旅程としてはその後偕楽園や日立のほうへと赴きましたが、お話がずれちゃうのでここでは割愛。
商店街はいまもたくさんのキャラクターのポップが店頭に並び、たくさんのお店にガルパンののぼりが。活気もなかなか。
リゾートアウトレットのガルパンギャラリーも人がたくさん。コンテンツツーリズム、話に聞いていたけども、実際に観るとまた印象が違うもんだな、と思いました。
■コンテンツツーリズムの話
そもそも、観光地というのはなにかの物語(=前提、情報)を含有しているわけで、たとえばそれが何にもない土地、何の情報もない場所にはふつう、観光としては行かない。観光資源がないところに観光客は行かないわけで、観光資源があってこその「観光」なわけです。
そこには当然物語性のあるものがあって、史跡なんかは当時の歴史物語を含んでいる。名物なんかも、それが名物になるに至った物語性がある。じゃあそこが、現代に作られた物語であっても当然需要はあるわけで。
ただ、やっぱりアニメは、世代としてはまだまだ若い。いまの三十代ですら、アニメを観る人物に対してオタクというレッテルを貼る層は少なくないわけで、ではそれ以上の世代をとうぜん含む「土地」に対して、アニメを使った観光は上手くいくのか、というのは、いろんなコンテンツツーリズムを観ていると、成功も失敗もあるみたいです。ちょっと地方まで行ったときに、まったく知らないアニメコンテンツをその土地はプッシュしていたけれども、自分は全くその情報を知らなかったし、その地方での立場も微妙そうだった、ということがよくある。
なので「成立するか?」がまず最初の関門。物語が来て、その物語と、物語に惹かれた人たちがその土地に受け入れられるかどうか。
その次が、物語と土地が共栄できたかどうか。片方のテンションだけが高くて、もう片方は受け身、ではコンテンツツーリズムは盛り上がり切らないと思うわけです。その土地に居る人の熱量が低くてもだめだし、逆にその土地の人がアニメコンテンツが欲しいと思っていても、そこに物語が生まれなかったら成立しない。「アニメっぽいコンテンツ」だけでは戦いきれないのは、乱立するゆるキャラに鳴かず飛ばずのものが多数いるのを見ても明らかだと思うのです。
すごくうまくいったのがガルパンだった、というのは目で見て実感しました。どうして、というのは一夜漬けの勉強でこれ以上語るのは難しいと思うので、やめておきます。でも、現地は今も熱量があった、ということは確かです。
そうなると考えるのは、今後はどうするんだろう、ということ。秋葉原はもうシュタゲの聖地ではないし、そしてラブライブの聖地としての姿も少しずつ減ってきている。ガルパン、というコンテンツは「史跡」にはなれない、形として残るものはあまり多くはない。商店街やホテルは形が変わっていくと思います。シュタゲで言うラジオ会館が建て替えられたように。
ガルパンはまだもう一回お話の続きをやるようなので、熱量を保てると思うけれど、その先はどうなるのだろう、というのは、ガルパンの熱が大きいものだっただけに色々なことを考えてしまいます。このあとの動きはしっかり見ておくとよさそう。
それでも今は「ガルパンはいいぞ」と言い続けていきたいと思います。
ガルパンは面白かったし、ガルパンから訪れた大洗もとってもいいところだった。もう一度行きたいと思った。食事は美味しいし、海は綺麗です。今度は大洗であんこう鍋を食べたい。まだ大洗では温泉入ってない。入りたい。思った以上に近いから、一泊でも十分遊べる。
きっとこれからも増え続けるであろうコンテンツツーリズム、その動きに興味が沸いた瞬間でありました。ガルパンはいいぞ。大洗もいいぞ。
ダンガンロンパV3のネタバレ感想をします。未クリアの人は見ない。
ついでにmoonっていうPSのゲームにも言及しますので注意してください。
ニューダンガンロンパV3 みんなのコロシアイ新学期 - PS Vita
ダンガンロンパV3のメインストーリーをクリアしました。
色々考察が捗るかもしれない! って思ってここでも色々書こうと思ったんですけど、ちょっと漁ればもうたくさん出てきたので、ここで追加でなにか書く必要もないかな、と思い、書かないことにします。
ただ、あんまり調べてないよって人は6章をやってから1章の冒頭をやるくらいはしましょう。すっごい嘘つきだ!
先に単品の感想から。
V3についていろいろあるとは思うんですが、思い出してみると、ダンガンロンパ(1)をやったときは、ものすごく面白い! とは思わなかったんですよね。おしおきの映像だったり、世界観だったり、そういうのはとってもよかったけど、お話としては逆転裁判シリーズなどのほうがすかっとできた。
ダンガンロンパが面白い! と思えたのは2で、こんなお祭りみたいなことをやるなんて、すごいゲームだな! と思ったものです。だってそうでしょ。怖くてできないですよ、あんなの。
ということで、V3もものっすごく面白いお祭りだったな、と全体的には思ったのでした。
では細部はどうか? というとひとつには、まだまだできそうだぞ、ということ。1より2のほうがお祭りだったし、2より3のほうがお祭りだった。じゃあ3より4のほうがお祭りだったかも。
一方で、本当に終わるべきなのかも。とも思ったわけで。それは受け手側がとやかく言うことではないな、と思ったのでした。
でもなぁ。キラーキラーも最初はダンガンロンパじゃないみたいな始まり方してるし、そう考えたら、ダンガンロンパを作ってる人達って遊び心たっぷりで、きっと予想しないところから何か面白いことをするんだと思うんですよね。
ま、それがダンガンロンパじゃなくても、面白いと思うんですけど「ダンガンロンパチームの完全新作!」とか銘打たれていたとしてもきっと「ダンガンロンパなんじゃないの?」って思ってしまうのだろう。それが楽しい。
moonとのかかわり
そういうわけで、プレイステーションのゲーム「moon」との関連性について言及したいと思います。これについて言及しているような検索結果はあまりなかった。
オマージュやパロディの多数みられるダンガンロンパシリーズですが、V3プレイ中に「あ、これはmoonのオマージュだ」と感じました。moonについてお話しましょう。
・スタート地点のおばあちゃんの家で流れる音楽が「月の光」
・ゲーム世界を蹂躙する勇者からモンスターと世界を救う、というメタな物語
・バッドエンド後にコンティニューするかで「いいえ」を選ぶ
ダンガンロンパV3ではラストの「セーブを選ばない」選択肢へと続く展開の直前で「月の光」でしたから、これはきっと、意識してやったことだと思います。
moonもダンガンロンパV3もメタフィクション。単純にそれだけの関係ということでもいいと思うんですが、自分としては、この対比はめっちゃくちゃ面白いな、と思ってしまいました。
何故か。moonとダンガンロンパには実に20年の開きがあるわけです。この20年の間に、日本における「フィクション」にはなにが起こっていたのか。
「moon」のエンディングは「ゲームをコンティニューしない」ことによって、プレーヤー自身が扉を開く(心理的、表現的な意味は解釈に任せます)わけですが、その後に流れるエンディングには、現実世界にゲームのキャラクターが出ていくような、そういう世界が描かれています。
20年前。世の中には「ゲームのキャラクターグッズ」というのはほとんど存在していなかったのです。現代でこそアニメイト、コトブキヤはもちろん、各種コンビニ、観光地、いたるところに「コンテンツ」が溢れている。だけど、20年前はそんなものはなかった。僕はGAMEバンドの活動をはじめたころ(※10年前)、ゲームのグッズを探しましたが本当に見つからなかったんです。ゲーセンのプライズとしてファミコン関連のグッズがちょこっと出たくらいだった。
だから、あの頃のmoonのエンディングというのは、フィクションから出ていくことで迎えるけれど、そのときにはまったくありえない、フィクションの外だけどフィクションの世界だったわけです。
では現在。現実とフィクションはどんどん溶け合いつつあります。VR、ARなどの新たなリアリティを生み出す技術が開発され、世の中にキャラクターグッズが溢れ、あっちのフィクションとこっちのフィクションがコラボするのはまったく珍しくない。そういう情勢下にあって、一方で人のコミュニケーションはどんどんフィクションに近づいていく。もう我々の生活は、かなりのレベルで、フィクションと融合してしまっている。
この中で、我々はダンガンロンパという作品を通してデスゲームを楽しんでいるわけです。だからダンガンロンパV3という作品のなかのテキストを「説教臭く」感じることができる。
それをダンガンロンパV3という作品を通してユーザーが説教されているというのならそうかもしれない。まぁ、それでもいいです。作品は別に説教臭くたっていい。そこは中心じゃない。
moonというフィクションから20年経って、moonのエンディングで描かれる図、フィクションとの境目がなくなる現代になりました。ダンガンロンパというフィクションが描かれてから何年で、ダンガンロンパというフィクションと現実は融和するでしょうか?
それを、つきつけられたような気がしたんですよね。それは「お前ら、デスゲームを楽しんでるなんて悪趣味だな!」じゃなくて「この未来、いつ来ると思う?」っていう感じで。
実際にmoonは来たよ。
僕たちは実際にVRでコロシアイをする日が来るでしょうか。いえ、多分来るでしょう。人狼がVRでインタラクティブになるまでそう時間はかからないはずです。
その頃にもう一度思い出しましょうか。これらのゲームのことを。月の光をBGMに流しながら。