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ksk@ぴよによるノンジャンルみだれ手記

仕事やら日常やらに役立つ手法の話

最強の手法には確信がありまして、それは「自分で責任を持つこと」に他なりません。

 

というよりかは、世の中にはたくさんの仕事やら生活やらを楽にするやりかたとか考え方とかがあり、それを参考にしたり実践したりするのはとてもいいことだと思うんですけど、それって自分がやるよという意志を持たなかったら意味のないものが殆どなんですよ。

 

いや、わかってるよ、という人は多いと思うんですよ。それでもわざわざ言うのは、とくにこの日本という国が顕著なのではないかなと思うんですけど、この国のありとあらゆるサービスは「あなたが責任を持たなくていいよ!」と誤認させることでサービスの質と誘引力を高めているのです。

究極、年功序列賃金みたいな社会システムもそういう考え方で「所属さえしていれば指示や仕事はこっちが出すし賃金もあがるし何にも心配ないよ!」ということをしていて(それは破綻があちこちに現れているけれど)責任をもつ必要がないかのようにしている。

 

結果として、自分のやることに責任を持たないままで、役立つ手法については「これはいい方法だ、試してみるとよさそう」と考えるというよくわからない状況が成立してしまい、結果として「やらない」「なんにもならない」に落ち込む。

責任を持たないと、選択した手法が自分に合っているかどうかも確かめなくていい。ていうか、実行するのは自分じゃなくていい。「相手が用意してくれた手法をそのまま使う」で失敗しても自分に合わせて修正することもないし「こういう手法があるから使えばいいじゃん、あなたが」という態度になったりする。

ぜんぶ危ない。

 

単純に「ここは自分の領分だから、自分が責任を持とう」という考えが必要で、むしろそれさえ持っていればたいていのことはどうにかなるし、それでどうにかならない時の整理手法として初めて「ライフハック」みたいなことが役に立っていく。

 

そうじゃないと、どんなとてもいい仕事や日常に役立つ手法だって「なんでそれを自分がやるのか?」のところで躓くのです。そこに覚悟キメないと、きっとそのあともずっとずっと上手くいかない原因は手法や他人に転嫁され続けるし、結果としてなにも変わらない。

 

たとえば、自分はよくタスクが多くなってくると、細かい家事も含めて全部列挙して、すぐに終わるものから片付けていって目の前にあるタスクの総数を減らすという方法をとるんですけど、これだって「自分がやらなきゃいけない」という責任を持たないと、まず列挙がされないので最初の動き出しに繋がらない。実質的なタスク量も減らない。

 

「ふーん、そんな手法があるならやってみればいいんじゃない?」って言われたときに「いや、そうなんだけどねー」とかって濁すような返事をしてしまうなら、単純に手法のまえに自分の責任とる気を疑っていいと思います。それで責任を取らないと決められるならやらなくていいことだからやる必要はないし、責任を取るべきなら取ったほうが早い。誰かと責任を分担するべきことなら責任の所掌をきちんと決めたほうがいい。できないならできないと言う。言わなきゃ誰かがその所掌を決めるか、単純に誰が最初に音を挙げるかのチキンレースですけど、残時間がどんどん減るから誰も得をしない。

 

ということで、いろんな手法ありますけど、まずは最初に「自分が責任を持とう」ときちんと決めることだと思うんですよね。そうしてはじめて何かの手法を実践することが活きてくると思うのでした。