色んな事および監督にあったいろんなことで話題の中心がずれてしまっていると思うんですけど、メタルギアソリッドVすごいよかったなって思うんですよ。
さて何が良かったかですけど。
そもそも小島監督というひとは、映画を作りたかった人なわけです。ゲーム中にはいろんな映画のいろんなオマージュが入ってるんですけども、しかしそれだけでトップステージに居れたか、というとそういうことではなく。
小島監督は「ゲーム」というメディアをどう物語と絡ませるか、ということを追求されてきた方なんですね。
ゲーム機のパワーが挙がってきたころからその傾向は強まりまして。
メタルギアソリッド1では「ゲーム中の重要事項はパッケージにのみ記載されていて、ゲーム中の人物が「パッケージを見ろ!」と言ってくる」
同2では「ゲームオーバー画面をそのままゲーム中の演出に盛り込む」
3では「最後に恩師を殺害するステップをプレーヤー自身に踏ませる」
といったことを延々実施してきたんです。
ではメタルギアソリッド5ではそれは何だったか?
というと、メタルギアソリッドの重要ファクターのひとつに「喪失」があり、スネークはがんばればがんばるほど喪失していく。これがまぁ辛い。
この「喪失」をゲームとリンクするために用意されたのが、実際にゲーム中で、イベントでキャラクターを強制的に喪失するにも関わらず、ゲーム中の各種パラメーターも実際に喪失させられるんです。
仲間にしたキャラは減る、名声も減る、とにかく減る。
それがゲーム中の避けられないイベントとして発生してく。
クライマックスでは部下たちが敬礼しながら死んでいくのですが、これがまぁとてもキツい。
そこがゲーム演出的にはクライマックスなんですが、ストーリー的にはまた違いまして。
ストーリー的には「ゼロ少佐が昏睡するスネーク(ビッグボス)に語り掛ける」テープが絶対に聴かずには終われない最高のポイントです。これゲーム最後まで遊ばないと聴けないんですけど。
銀河万丈氏の声だけで演じられるくだりで、ゲーム中では画像では一切登場してこないゼロ少佐なのですが、ここでスネークに語り掛ける声の穏やかさは、ここよりあとにあるメタルギアシリーズのすべてを包括して、世界をゼロ少佐とスネークの関係性のなかに納めてしまうような、そういう力のあるすさまじい演技になってます。
ゲームを最後までプレイしないとしても絶対に聴いておいたほうがいい。
というわけで、普段MGSが好きだ好きだと言っているので、今日はきちんとMGSの話をしておきました。