ホラー映画「ミッドサマー」を観てきました。
以下、ネタバレ付きの感想を書きますのでご注意ください。
ある程度のグロ耐性があることはわかっていたのですが、怖い、とは思いませんでした。
が、映画をきっかけに考えることができたことは多いので、実りある視聴体験だったな、とは思います。
物語について、思った以上に心が動かなかったので、ここからはそのあたりについて好き勝手に書いていこうと思います。
ちょっと要素が多いので、項目ごとにばらばらに書いていくスタイルにしよう。
【感想部】
・誰が主人公なのか、のフォーカスにミスった
一応のところ、主人公は「ダニー」ということになるのでしょうが、主人公というか全員に行動の決定権が与えられていない進行なので、主人公はダニーであり、クリスチャンであり、そのほかのメンバーであり、奥地の集落だったりで見ていて、誰かに強く感情移入するということがありませんでした。
結果、いわゆる「奇妙な」習俗を持っているであろうこの集落も相対的に受け入れる姿勢で見てしまい「まぁそういう習俗もあるかもしんないよね」くらいに考えてしまい、怖さが中和されてしまいました。
クリスチャンとジョシュは集落のことを論文にしようと動くわけですが、その時点で自分も「なるほどこれは地方の奇祭なんだな」と思ってしまってます。一つ一つの儀式的なものの意味とか、どうしてその形で実行されているのかが気になってしまい、それをドキュメンタリー目線で見てしまったので「わざわざ怖い演出を付けている」という感覚になってしまいました。
つまり「本来怖いかどうかは相対的もの」を「わざわざ」怖いものに仕立てる、という感覚です。しかも、これは相手の土俵まで入っていってそれをしているわけですから(そりゃ半ば騙されるような形で命まで取られてしまってはたまらんとは思うけれども)。変な話『ふしぎ発見』とか『ウルルン滞在記』とかだってBGMとか照明効果いじったらホラーな雰囲気にできる。なまじ、この映画は文化部分の描写がしっかりしているだけに「知らずに文化に侵入したらしっぺ返しになるのは当然では」なんて思ってしまう。
・そんなんで博士取れるんかいな
博士論文だった気がするけど、修士や、もしくは究極学士だったとして、数日滞在する程度のフィールドワークで論文が通るもんかいな、なんて思いました。(専門じゃないので感想です)しかも、フィールドワークで相手が嫌がることをするなんてもってのほかで、それはアカデミズムじゃなくてジャーナリズムじゃないですか、なんて感覚になってしまいました。(だからって殺されたらたまったもんじゃないのは確かだけど)それなりに全員、退場の仕方が自業自得なのでは、なんて。写真はダメよって言われたら、長い時間をかけて信頼を得て、それで書き写しを許してもらったり、口述筆記を許してもらったり、写真を許してもらったりするわけでしょうに。(それはそれでバイアスの問題が生じるとは言われていますが)
・そんなに変な習俗か?
集落の習俗を奇妙に描くということで、特に生命と生殖とについて現代での支配的な文化との差異を描いてるわけなんですが、そこまで変な習俗じゃないと思うんですよね。公式の解説にもアッテストゥパンについては「あったといわれている」と書かれていますが、日本人としては「姥捨て山」の変形だと思えばそんなに不思議なことではないし、歴史をさかのぼるほどに人って集団・集合体化していくと思うんですよね。
生殖についてもいろんな文化があるし、貴族文化でも初夜の見届け人がいるなんてこともあるし、あの習俗を奇妙なことだと思うためには、それだけ現代の支配的な文化が内面化されている必要があるんですよね。
日本人だって福男をありがたがる変な習俗持ってるし。
・それって、若干文化侵略じみてないかい
何度も同じことを書くんですが「だからって殺されたらたまったもんじゃない」のは本当にそうなんですが、一方で相手側の文脈が死を厭わない生命のサイクル、認識を持っちゃってるので、基本的には「理解する必要はないが否定してはいけない」だと思うんです。で、この話はわざわざ(そりゃ騙されてると言えばそうなんですけど)相手の文化の懐まで飛び込んでいるので、飛び込んで行って、奇異なものを見て、怖い、これはホラーだ、って言うのは、感覚的には文化侵略っぽいな、と思ってしまう。
おりしも、日本ではコンテンツ、キャラクターの表現について、表現が性的かどうかで、普段コンテンツに造詣の深くない方がわざわざ表現について物申し、それを余計なお世話だ的に争っている時期です。そういう時に(殺されたらたまったもんではないけど)出かけて行った先でホラー演出された異文化を見て怖がる、っていうのは、同じレベルのことをしてやいないだろうか、と思ってしまう。
だから、ミッドサマーが怖かった、という人は、そりゃ映像、演出は怖く作られてるかもしれないけれど、それは自分が支配的な文化を内面化しているからそう思うわけで、つまり、身の回りに異文化と思うものがあったとき、それを避けたり破壊したりしようとする最初の条件が整ってしまっているのではないか、なんて思うので、ミッドサマーを怖いと思う人のほうこそ怖いと思っちゃうんです。
・ほぼミッション不在だったよね
ホラー以外のエンターテイメントだと「解決する」がある程度約束されてるけど、ホラーは「解決するか否か」が楽しめると思ってます。その場合当然「何を解決するのか」というミッションがあるわけで、じゃあミッドサマーにそれがあったのかっていうと、ほとんどなかった気がするんです。
序盤で集落を出ようとした人たちが犠牲になったのはホラーみがあった。(でもほとんど描いてくれないんだけど)
ミッションがないという意味ではこれはとてもモキュメンタリー的だと思うんですよね。
・これカルトかな?
公式の解説では「カルト」だと書かれているんですけど、カルトって現代の語としては「反社会的」であることが前提だと思うので、支配的な社会・文化の「内側に」存在しないと成立しないと思うんですよね。
ペレは結果、人さらいだったわけで、それは犯罪だと思うけれど、とはいえカルトというには明らかに、支配的文化の外側にいるような気がして、そういうのはカルトではないような感覚があるんですが、どうでしょうか。スウェーデン支配的文化からどのくらい離れてるんだろう。
【雑談部】
自分としては「彼女と僕の伝奇的学問」のほうが嫌な気分になれました。
あと、死生観についてだと「ハーモニー」などの伊藤計劃SFも思い出します。 トリップして自己があやふやになっていることが普通の場合、その人は幸せかどうか、は観察者のジャッジは正当かどうか。
【分析部】
・ほんとに儀式サイクルは90年?
90年ではなくて、夏至や冬至のたびにやっているのでは、そのたびに村に入った部外者から略奪しているのでは、という考察を見かけたのですが、ちょっと懐疑的。ペレの両親が前のサイクルで供物になったのでは、というものを観ましたが、どっちかっていうとペレの両親が炎で死んだという話のほうが、人さらいするために作られたカバーストーリーであるというほうがしっくりくる感じがしました。
90年に一度とはいえ、儀式でそう簡単に異邦のものを殺害して集落が成り立つのか。うーん、もっとたくさんのいろんな儀式があって、映画では一部だけ見せられてるから奇妙さが際立ってしまう、って考えたほうがいいのかもしれないです。
婚姻や生殖で外部の血を入れるとき、後に殺害するなら、外部から一方的に搾取する形式になるわけで、少数で暮らしている民族としてはそれってすごく大きな敵対リスク抱えることになると思います。それなら、同化させて人質化したほうが賢いです。
だからこそ実は歴史が浅いカルト団体で、もっと別の利害関係が描かれてないところにあるんじゃないか、という考えもできるんですが……
・アッテストゥパンについて
姥捨て山に同じなので、そんなに変な文化じゃないなと思う。
・まじないについて
ありそう。毛とか血とかはよく使いますけど、あれが奇妙に見えるのはたぶん「濁っている」からで、濁っているものを忌避するっていうのもきっと支配的な文化圏の衛生観念だと思うんですよね。インドネシアコーヒーとかも自分はちょっと苦手というか、飲んだ後にカップに残るっていうのがなんか違和感あるんですが、そういう感覚を突いている感じがする。
・生殖について
長老がカップリングを決めるのはありそう。近親交配によって意図的に奇形を作る、っていうのは、どうしてそこに至ったのか、というストーリーがカットされていることで、結果的に奇形だけがクローズアップされてしまっていて。
でも、指が一本多い個体を神聖視するみたいな文化は聞いたことがあるし、これも多分そこまで変な話ではない気がする。
性交渉を監視するというのは貴族での話もそうだけど、薬物を使用して特定の一組だけが交配して、周りはトランスに導く係、という形式が有効なのか、というのはぼんやりとした疑問に。もっとたくさんカップリングしたほうが合理的なんではないだろうか? なんて。
・映像について
主観が結構入れ替わるのに登場人物がトリップすると映像におかしな点が混ざるから、どういう現実レベルで見ればいいのかがちょっと混乱しがちになってしまいました。
・それにしても
「クリスチャン=様々な文化的侵略を経て現在の支配的近代文化を形成」が相手の文化にのこのこ飛び込んでわからん殺しされちゃうってのは、皮肉利きすぎてると思いました。
感想はこんな感じです。