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ksk@ぴよによるノンジャンルみだれ手記

映画「心が叫びたがってるんだ」の話の前に映画の話(当該作品ネタバレはなし)

アニメ映画「心が叫びたがってるんだ」を観に行くのだという話をしていた時に、邦画アニメは結構見ているということをしゃべっていたなかだったか「なんで邦画アニメは観に行くのか?」というご質問を受けまして。

 

その時酔っぱらっててそのあとさらに泥酔したのでちょっとあやふやなんですけど、答えたときの表現が「失敗しないから」ということだったと思うんです。

 

その後真面目に考えたんですけど、やっぱり端的に言うと「失敗しないから」っていうのが結構大きいと思うわけです。

 

まず、僕が映画を観る時にどうするか、なんですけども。

・CMが面白いかどうか

・自分の情報網にひっかかってくるかどうか

・調べたときに面白そうだと思うかどうか

 

と、並べるとそんなにへんな選び方してないと思うんです。とはいえちょっと追加情報で、自分は結構「作家買い」をする方で、そういう意味で今の邦画アニメはそういう作家買い的な見地で継続的に観ているというのがあります。

 

んで、アニメ邦画と実写邦画で大きな違いがあって、アニメ邦画はたいていの場合原作なしのほうが多いと思っています。もしくはアニメ邦画としてやることがあらかじめ決まっているか。

実写は小説作品だったり、他のメディアの映像化の方が多いです。この場合に観る基準は「映像が面白そうかどうか?」に変えていて、劇場予告編などなどで映像が面白そうだとなった時には映画を選びます。そういう意味で観てきたのは「俺俺」「悪の経典」「のぼうの城」といったあたりです。単純に設定などで興味を惹かれた場合には、できるだけ最初にリリースされたメディアで触れるようにしています。

 

なんでか、っていうと、そのお話を書いた人は何がしたかったのか、をできるだけダイレクトに知りたいからです。そんで、映像は「それをこう噛み砕いたのか! なるほど!」という感じで楽しみたいからです。

 

よって、アニメ映画はそれ自体が原作であることが多いと思うので、観る頻度が高いのだと思います。

で、アニメ映画はそういうこともあってか、原作や役者の人気に依存して終わってしまうようなことが少ないという印象があります。だからアニメ邦画は「失敗しない」と思っているんです。

 

ここで失敗っていうのも結構強い言葉なので補足しておくと、一番困るのは「何がしたかったのかわからなかった」ことだと思うのです。たとえば物語が破綻していても、演技が下手でも、何か一か所強いエネルギーが入っていて「これがやりたかったのか!」ということがわかるのはよい映画だと思うのです。

 

というわけで、アニメ邦画を観る頻度が高いです。

 

んで、そういう話をしたうえでもう一点、映画というメディアの「縛り」について。

映画って大体が二時間前後くらいで、子ども向けの特撮とかだともう少し時間が短くなる。

その中で、壮大な世界観を持った作品をどう映像化していくのか。これが特に原作つきの一つの見どころだと思うのですけれども。

そんななかで「風の谷のナウシカ」は、それを二時間という枠で行うためにお話が変わった。それは原作者と映像を作っている人が同じだからできるということでもあると思うんですけど、それをするということがまずすごい。それで完成されていると思うほどまとまっているのだから、それはやっぱりすごいことなんです。

 

ではそうじゃない場合とか、たとえばテレビドラマの「デスノート」とか、題材や原作はあるけどそれを改変していく場合には批判が多かったりするわけで、すごくすごく難しい。

例えば上でも挙げた「悪の教典」ですけども、小説から映画を作ったときに、多くの「悪」をカットしてしまった。主人公の蓮見という人物の悪をたっぷり描き切るために、悪の群像劇的な部分は大幅にカットされていて、でも蓮見という人の悪を二時間しっかり描いていて、そこら辺の処理が面白いなと、小説とを比べて思ったのです。

 

と、いうことで、そこまでを前段としまして次のエントリは「心が叫びたがってるんだ」の感想を申しあげますが、ネタバレしますのでご注意ください。