いわゆる「ソシャゲ」で一定以上の水準で遊ぶには必須になってくる「課金」。
色々な言説がありますけれども、最初に自分の立場と現状をひとつ。
・「課金」することに対して、嫌悪感や忌避感はない。
・しかし「課金」したことはないし、一定の抵抗感を感じている
といった状況です。
無料のゲームでも必ず何らかのコストがかかっているのですから、対価を払うのは当然。
しかし、なぜそこに違和感があるのか?
それをきちんと考えてみることにします。
■おしながき
・何に「課金」をしているのか?~「スクフェス」を例に~
・課金することで「ゲーム性」は何が得られ、何が失われるのか?
・で、結局「課金」するのか?
■何に「課金」をしているのか?~「スクフェス」を例に~
課金するとどうなるのか。「スクフェス」では「ラブカストーン」というアイテムが買えます。ひとつ100円くらいです。ああこのページの左上ののんたんかわいいなぁ。
ラブカストーンでできるのは以下です。
・曲を遊ぶために消費する「LP」を最大まで回復することができる。
※LPは時間でも回復します。
・曲の最中にライフを失って失敗した場合に、ライフを回復して再開できる
・スコアに関わるメンバーキャラを抽選する「勧誘」ができる(いわゆるガチャ。5個必要)
これをさらに言い換えます。
・LPを回復できる→遊ぶ回数を増やすことができる
・ライフを回復できる→失敗時にコンティニューできる
・スコアに関わるメンバーを勧誘できる→ガチャを引いてデッキを強化できる
こうして考えると、ゲームセンターで遊ぶのに近い、と、考えられると思います。
しかしこの中で考えたいのは最後の一つ「ガチャを引いて」「デッキを強化する」です。
■課金することで「ゲーム性」は何が得られ、何が失われるのか?
課金したほうが当然ゲームは有利になります。
しかし僕の感覚のうえでは、ここに難があると考えます。
「課金してガチャを引く」のは違和感がない。
けども「課金してデッキを強化する」にはなんか違和感がある。
これに対する自分なりの結論は
「課金してデッキ強化する」という行為はそもそもの「ゲームをプレイしてデッキの強化をする」という部分とぶつかっているのです。
スクフェスにおいては
「手許のカードでデッキを構築する」
→「リズムゲームをプレイする」
→「プレイの報酬として経験値を溜める」
→「構築したデッキのレベルが上がり強くなる」
→「イベントを有利に進める」
→「イベントの結果として、デッキを構築するカードを獲得する」→さいしょにもどる
というサイクルで進んでると思われます。
ここにおいて、課金したことにより「ゲームをプレイする」回数を増やす行為や「コンティニューする」行為は、このサイクルを有利にするものであっても破綻させるものではない。
けれども「デッキを構築するカードを獲得する」=「ガチャを引く」という行為は、それ以前のゲームサイクルそのものを破綻させると、僕は思うのです。
ガチャでカードが手に入るなら、リズムゲームをプレイする意味がそもそもなくなる。
しかし別の方向から見ると、まったく真逆になります。
「ガチャを引き、カードを集めるためにリズムゲームをする」
という視点になると、リズムゲームやイベントはあくまでガチャで手に入るカードを手に入れる補助的要素なので、ゲーム性を邪魔しません。
つまり「コレクションなのか?」「リズムゲームなのか?」という優先度。
そしてこれはその時々で変動し、常に揺れ動くものです。
イベント期間中はリズムゲームの文脈だし、友達と「ガチャ引こうぜ!」というノリのときはコレクションの文脈。
■で、結局「課金」するのか?
僕がスクフェスにおいて今の所課金をしていないのは「リズムゲーム」のサイクル上でそれが必要だという段階に来ていないのとコレクション要素をそこまでに重視していないからだと考えられます。
だから「敢えて課金してラブカストーンを買うほどではない」という結論にたどり着くのです。
恐らくどういうモバイルゲームでもきっとこの要素はついて回るでしょうし、このサイクルと課金のコストとの間のバランスこそが、ゲームの良し悪しを決めるのかもしれません。