水曜~金曜と三日連続で映画を観てきました。
・ゴーストインザシェル
・ひるね姫
の、三本です。ネタバレを含みますのでご注意を。
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ガルパン漫画いっぱい読みました……が、それは最後にしてそれ以外から。
■だがしかし(7)
まさかの新キャラ。でも、このまま駄菓子漫画ではいられないだろうし、展開は必要だろうし……というところでちょうどよかったのかもしれない。この巻はとにかく「引き」で、それ以上のことは言えない、言わない。
■クズの本懐(8)(完)
7巻で「えっこれ畳まるの!?」って思ったけど畳まった。ただどうしても「この話は誰が主人公だったのか?」というところを考え出すと深みにはまってしまうと思う。これを成長物語と位置付けられるかどうかは、人と経験によるのかもしれない。
これは読みたい話だったか。美しい話だったか。難しいところですよ。でも、冒頭を考えたらこう着地するしかなかった、と言えるかも。
■惑わない星(2)
なんとなく2巻がちゃんと出てほっとしている。確か色々ご健康の面でありましたよね、作者様に。
「もやしもん」もそうだったけれど、純粋に「知識」をくれるメディアは楽しいもの。大人になればなおさらかもしれない。ここからの展開も期待。
■どこか遠くの話をしよう(上)
表紙で買ってみた。集落に迷い込んだ、言葉の通じない謎のおっさんと、集落の少女の話だが……途中で大きく展開する。下巻でそれにどういう結論がつくのか楽しみ。あ、ひょっとすると中巻もあるかもしれないのか……?
どこか遠くの話をしよう 上<どこか遠くの話をしよう> (ビームコミックス)
■アオアシ(1~8)
サッカー漫画。主人公がユースの試験を受けて、サッカー選手として成長していくのだけれども、「ユース」というものについてしっかり描いてあることが面白い。プラス、主人公がどんどん目覚めていくのも面白い。
いわゆるスポーツ漫画で主人公が何かに開眼していくのは面白ポイントだと思うけど、それを盛り上げるための装置がいちいち面白い。特に鳥の画は秀逸。サッカーよく知らなくてもサッカーのことを描いて「それはすごい」って思わせるのって、きっと難しいと思うんだよね。
以下ガルパン。
■激闘! マジノ戦ですっ!
練習試合がもう一つあったのさ、というお話。
これに限った話ではないけど、どうしてもアニメから入って戦車の「動き」に魅せられてしまうと、ちょっと情報量が少なく感じてしまうのは致し方ないところ。
ガールズ&パンツァー 激闘!マジノ戦ですっ!! 1<ガールズ&パンツァー 激闘!マジノ戦ですっ!!> (コミックフラッパー)
■リトルアーミー
リトルアーミーは2種類あり、1が小学生時代のみほと仲間の話。2が1で登場したキャラクターが、TV本編後の大洗でみほ含むTV版メンバーらと対決する話。1が2冊、2が3冊、計5冊で完結。ややこしいなぁ。(笑)
自分にとってはガルパンは「キャラの濃さを戦車戦の情報量でねじ伏せる」だと思っているので、どうしても漫画だと情報量不足に陥ってしまうのが辛いところ。戦車戦が。
ガールズ&パンツァー リトルアーミー 1 (MFコミックス アライブシリーズ)
ガールズ&パンツァー リトルアーミーII 1<ガールズ&パンツァー リトルアーミーII> (コミックアライブ)
■もっとらぶらぶ作戦です!
戦車成分が少ない、四コマなどを交えた日常コメディ。キャラクターに十分親しんだら、マンガとしてはこちらの方が楽しめると思う。本編のキャラクターをよく吸収、昇華していて、スピンオフものとしてよく楽しめます。
ガールズ&パンツァー もっとらぶらぶ作戦です! 1<ガールズ&パンツァー もっとらぶらぶ作戦です!> (コミックアライブ)
■リボンの武者
最もすさまじかった漫画。今回はこれに字数を割いて行きたいと思います。すさまじかったのは、映像情報量が多いこととキャラクター性のバランスを奇跡のようなレベルで魅せた「TVアニメ→映画版」『ガルパン』に対して「漫画」の土俵で本編と渡り合っていること。画の一つ一つは素晴らしく濃くて、ルールを「戦車道」から小型戦車の「タンカスロン」に変えたことで、漫画のコマでも十二分に激しい動きを表現。登場キャラクターはいずれも「戦士(武士)」として描かれていて、主人公が受けるものとしての殺気や闘気みたいなものを容赦なく強者の表現で描いてるところがすごい。顔を真っ黒に塗りつぶされたダー様が、でも強者って絶対これだよ! という表現にきちんとなっている。各キャラへのリスペクトもしっかり。新キャラもしっかり立っている。すごいよ。
今後も絶対に買うしかないシリーズ。映像化はきっとしないほうがいいと思うんだけど、最終章でちょっとだけ触れられたりしたらすっごく楽しいと思うな。
「人になにかをしてもらう」ということを考えるときは、まず各種情報の整理から始まります。
・それをする必要があるか? なぜするのか? するとどうなるのか?
・誰に権限があるか? 誰が実施するのがよいか?
・どのように実施すべきか?
を検討する。どうしてそれをするか、というと、欲求と必要は簡単に入れ替わってしまうからです。
「自分がこうすべきだと思っている」と「実際にそうする必要がある」の間のギャップ。甘美な誘惑に酔わないことが大事です。
「自分の欲求のために、他人がこうすべきだと思っていないか?」を検討することはやっておいたほうがいいと思います。
ちなみに、その欲求があること自体を否定するべきものではないです。「自分の欲求がある」が「他人が当然そうすべきだ」に入れ替わってしまうと、そのあとが狂いやすい。
情報が整理されることが重要です。ちょっと抽象的な話になってしまったので具体化しましょう。つまるところ「人になにかをしてもらう」というのは「北風と太陽」の寓話がそのまんま、そうです。
課題:旅人に服を脱がせること
なぜ:旅人に服を脱がせた方が勝利
ここには北風も太陽も「旅人に服を脱がせたい」という欲求があるわけですが、だからといって「旅人が服を脱ぐべきだ」とは思っていません。そりゃそうです。旅人には服を脱ぐ必要は一切ないからです。
でも、一般的にはこういう「自分以外が責任を負うべきだ」にすり替わってしまう事例はよくよくあります。
それはそれで仕方のないことです。行動にはコストが伴います。自分がコストを払うことができない場合、もしくは払いたくない場合、他人がやってくれたら楽です。
が、その場合は新たに
・責任を負わすべき人物には、追加コスト分を払うだけのリソースはあるか?
も検討する必要があります。検討せずにやれやれ、やるべきだ、とプレッシャーをかけることもできなくはないですが、長期的に破たんがみえるのでやめたほうがいいと思います。
ここでは北風と太陽はともに自分が行動するだけのリソースを保有していたと考えましょう。そりゃそうだ、北風も太陽もわざわざ旅人の服を脱がそうなんてどうでもいい勝負をするくらいだ。アウトソーシングする必要はない。
さて、北風と太陽はそれぞれが権限を持っていたわけですが、使用することができる手段に違いがありました。
北風は相手にプレッシャーをかけてその行動や結果を強要するような方法。
太陽は相手に行動に至るメリットを明示して、相手に行動を起こさせるような方法。
寓話の通り太陽のほうが、それをするのに適した人材ということになります。
では関係性を少し変えてみましょう。
・エクストラ寓話1:太陽は北風の上司です。神より、太陽部にて旅人の服を脱がせよという指令が下りました。太陽は部下である北風に、旅人の服を脱がせるように指示しました。
・エクストラ寓話2:太陽と北風はそれぞれ対立する部署です。神より、全体のミッションとして旅人の服を脱がせるように指示が下りましたが、太陽部は周辺の気温をあげる権限を持っていないため、一度神に決裁を経てから実行に移す必要があります。なお、北風はすでに権限を持っています。
みたいな感じです。思った以上にめんどくさいなこの関係性は。
そういう風にようわからない構造にしてなにがしたいかというと「誰がすべきか」ということを、できるだけシステマティックに考えたほうがいいよね、ということです。理想は「いちばんコストが少ない」「いちばんリソースに余裕がある」ところでバランスに応じてお願いをしていくべきでしょう。
重要なことは「そこにまだリソースは残っているのか?」を考えることだと思うのです。
太陽は旅人の服を脱がすべきだよね、というのは簡単です。でも太陽は日々、地上をあっためる業務と、地球の裏側までの出張業務を毎日レベルで控えていて、もうこれ以上追加で仕事を被る余裕がありません。こういうときに「太陽は旅人の服を脱がすべきだよね」とか言われても、これ以上動きようがないのでできません。
それでも仕事なら残業したりするかもです。でもそういう関係性が無かったらどうでしょうか。
それでも喜んでやってくれる人は稀有だと思います。自分ならやりたくないな。
大事なのは「喜んで」やってくれる人が稀有だということです。つまりいやいやならやってくれるかもしれないということです。
「いやいや」やってくれたということは「いやいや」に対する見返りがあったほうがよいでしょう。仕事なら給料。仕事じゃないなら名誉や賞賛とかでしょうか。
負のインセンティブか、正のインセンティブかによりますが「それをやってもらうことでなにがどうなりますか」を相手の立場に立って考えられることが大事だと思います。
考えたうえで、なお相手に負のインセンティブをつきつけて、何かをお願いするというテクニックもあるにはあります。「旅人の服を脱がせなかったら晩御飯抜き」みたいなことです。仕事ならまだともかくとして、ふだんはあんまりやりたくないことですよね。
ということで、誰かに何かをやってもらいたいようなときには、めんどくさくても色々なことを考えたほうがいいかなーって思うんですよね。
あと、相手は自分の都合のいいことばっかり言って、実際にはなんにもコストを支払おうとしない、ということもよくよくありますので、そういう相手にも気を付けたほうがいいと思います。そういう人と何かをしても、あまり得るものは大きくなかった印象がある。実際に行動する人がよいと、自分は思います。
なにかの参考になりますれば。
ガルパンは、いいぞ!
ここ数か月、色んな予定が並行していた結果、ちょっと旅行に行きたいなぁ、と思いつつも「旅行に行く計画を立てる気力が出ない」状態に陥っていました。
理由の大部分は仕事ではなくて趣味の創作にリソース割きすぎから起こってるので、同情いただくような要素は一切ないんですが、そんな状態で居たら「大洗に行くよ」という企画が立っていたのでそれに乗らせていただきました。
ガールズ&パンツァー(以下ガルパン)の聖地巡礼をするらしいぞ! ということでかねてより友人にお借りしていたガルパンの劇場版ディスクを観てみることに。
ガールズ&パンツァー 劇場版 (特装限定版) [Blu-ray]
以下、それらの感想。もくじ。
・ガルパンの話
・大洗に行った話
・コンテンツツーリズムの話
■ガルパンの話
「ガルパンはいいぞ」のフレーズを聴いてから、観てみたいなぁとぼんやり思いつつも、機会がなく現在に至ってしまい、いいぞ、と言っていた友人から貸していただいたことと、大洗に行くという予定によってなんとかスケジュールを作ってみてみました。
結果「ガルパンはいいぞ!」の意味が判るようになりました。これは観て損はないと思います、観たほうがいいよ。とくに「シン・ゴジラ」が面白かったという層には刺さるのではないでしょうか。
TVアニメからの続編としてのアニメ映画を観るときの悩みはやはり「これって本編しらないけど観ていいものなの?」ということだと思うんですが、大丈夫だと思います。面白さの中心は「戦車戦」にあるので大きな問題ではないでしょう。自分もTV版を観ていないし、観たほうがさらに楽しめるんだろうけれども、TV版をみる時間がないから……という理由で映画を避けてしまうのはもったいない。
「ガルパンはいいぞ」という言葉に集約されるのは、画面の情報量がものすごく多くて、それを言語化するよりかは単純に「いいぞ」と言ってしまうことのほうがむしろ正解に近い、陳腐化しなくて済む、というのが大きいと思います。
もともと戦車に強い思い入れがあるでもないですが、これを作った人たちはきっと、戦車のことがめちゃめちゃ好きで、戦車がこれをする画が観れたら幸せだ! という想いで作ったんだろう、というのが嫌というほど伝わってきました。
ということで、劇場公開から二年弱遅れましたが、言いましょう。ガルパンはいいぞ!
借り物のディスクだけど、きっとあとで買っちゃうと思うな。
■大洗に行った話
そういうわけで大洗! 上野から特急で一時間、そこから車で三十分くらいだったかな。天気はいいけど風はちょっと強くて寒い。
映画でも出てきた神社の近くに車をとめて、神社に行くと大きな公式の絵馬と、大量のファンアートの絵馬が。出かけた先での絵馬ウォッチングは楽しいものですが、これだけキャラクターの絵馬があると壮観です。立体の絵馬とかもすごかった。
その後、海辺で大洗ホテル、大洗シーサイドホテルと外から眺めました。映像に出てきた場面を観るのは楽しいですが、なにより直前にみていたので記憶も鮮烈です。
お昼はカキ小屋で。お好みで好きな食材を店内で買って、グリルで好きに焼いて食べる、というシステム。名物のカキは自分は食べられないので、鮭やらさつま揚げやらをいただく。美味しかったです。
そのあとマリンタワー、リゾートアウトレットと観て、商店街をぐるっと回って、大洗は離脱。旅程としてはその後偕楽園や日立のほうへと赴きましたが、お話がずれちゃうのでここでは割愛。
商店街はいまもたくさんのキャラクターのポップが店頭に並び、たくさんのお店にガルパンののぼりが。活気もなかなか。
リゾートアウトレットのガルパンギャラリーも人がたくさん。コンテンツツーリズム、話に聞いていたけども、実際に観るとまた印象が違うもんだな、と思いました。
■コンテンツツーリズムの話
そもそも、観光地というのはなにかの物語(=前提、情報)を含有しているわけで、たとえばそれが何にもない土地、何の情報もない場所にはふつう、観光としては行かない。観光資源がないところに観光客は行かないわけで、観光資源があってこその「観光」なわけです。
そこには当然物語性のあるものがあって、史跡なんかは当時の歴史物語を含んでいる。名物なんかも、それが名物になるに至った物語性がある。じゃあそこが、現代に作られた物語であっても当然需要はあるわけで。
ただ、やっぱりアニメは、世代としてはまだまだ若い。いまの三十代ですら、アニメを観る人物に対してオタクというレッテルを貼る層は少なくないわけで、ではそれ以上の世代をとうぜん含む「土地」に対して、アニメを使った観光は上手くいくのか、というのは、いろんなコンテンツツーリズムを観ていると、成功も失敗もあるみたいです。ちょっと地方まで行ったときに、まったく知らないアニメコンテンツをその土地はプッシュしていたけれども、自分は全くその情報を知らなかったし、その地方での立場も微妙そうだった、ということがよくある。
なので「成立するか?」がまず最初の関門。物語が来て、その物語と、物語に惹かれた人たちがその土地に受け入れられるかどうか。
その次が、物語と土地が共栄できたかどうか。片方のテンションだけが高くて、もう片方は受け身、ではコンテンツツーリズムは盛り上がり切らないと思うわけです。その土地に居る人の熱量が低くてもだめだし、逆にその土地の人がアニメコンテンツが欲しいと思っていても、そこに物語が生まれなかったら成立しない。「アニメっぽいコンテンツ」だけでは戦いきれないのは、乱立するゆるキャラに鳴かず飛ばずのものが多数いるのを見ても明らかだと思うのです。
すごくうまくいったのがガルパンだった、というのは目で見て実感しました。どうして、というのは一夜漬けの勉強でこれ以上語るのは難しいと思うので、やめておきます。でも、現地は今も熱量があった、ということは確かです。
そうなると考えるのは、今後はどうするんだろう、ということ。秋葉原はもうシュタゲの聖地ではないし、そしてラブライブの聖地としての姿も少しずつ減ってきている。ガルパン、というコンテンツは「史跡」にはなれない、形として残るものはあまり多くはない。商店街やホテルは形が変わっていくと思います。シュタゲで言うラジオ会館が建て替えられたように。
ガルパンはまだもう一回お話の続きをやるようなので、熱量を保てると思うけれど、その先はどうなるのだろう、というのは、ガルパンの熱が大きいものだっただけに色々なことを考えてしまいます。このあとの動きはしっかり見ておくとよさそう。
それでも今は「ガルパンはいいぞ」と言い続けていきたいと思います。
ガルパンは面白かったし、ガルパンから訪れた大洗もとってもいいところだった。もう一度行きたいと思った。食事は美味しいし、海は綺麗です。今度は大洗であんこう鍋を食べたい。まだ大洗では温泉入ってない。入りたい。思った以上に近いから、一泊でも十分遊べる。
きっとこれからも増え続けるであろうコンテンツツーリズム、その動きに興味が沸いた瞬間でありました。ガルパンはいいぞ。大洗もいいぞ。
ダンガンロンパV3のネタバレ感想をします。未クリアの人は見ない。
ついでにmoonっていうPSのゲームにも言及しますので注意してください。
ニューダンガンロンパV3 みんなのコロシアイ新学期 - PS Vita
ダンガンロンパV3のメインストーリーをクリアしました。
色々考察が捗るかもしれない! って思ってここでも色々書こうと思ったんですけど、ちょっと漁ればもうたくさん出てきたので、ここで追加でなにか書く必要もないかな、と思い、書かないことにします。
ただ、あんまり調べてないよって人は6章をやってから1章の冒頭をやるくらいはしましょう。すっごい嘘つきだ!
先に単品の感想から。
V3についていろいろあるとは思うんですが、思い出してみると、ダンガンロンパ(1)をやったときは、ものすごく面白い! とは思わなかったんですよね。おしおきの映像だったり、世界観だったり、そういうのはとってもよかったけど、お話としては逆転裁判シリーズなどのほうがすかっとできた。
ダンガンロンパが面白い! と思えたのは2で、こんなお祭りみたいなことをやるなんて、すごいゲームだな! と思ったものです。だってそうでしょ。怖くてできないですよ、あんなの。
ということで、V3もものっすごく面白いお祭りだったな、と全体的には思ったのでした。
では細部はどうか? というとひとつには、まだまだできそうだぞ、ということ。1より2のほうがお祭りだったし、2より3のほうがお祭りだった。じゃあ3より4のほうがお祭りだったかも。
一方で、本当に終わるべきなのかも。とも思ったわけで。それは受け手側がとやかく言うことではないな、と思ったのでした。
でもなぁ。キラーキラーも最初はダンガンロンパじゃないみたいな始まり方してるし、そう考えたら、ダンガンロンパを作ってる人達って遊び心たっぷりで、きっと予想しないところから何か面白いことをするんだと思うんですよね。
ま、それがダンガンロンパじゃなくても、面白いと思うんですけど「ダンガンロンパチームの完全新作!」とか銘打たれていたとしてもきっと「ダンガンロンパなんじゃないの?」って思ってしまうのだろう。それが楽しい。
moonとのかかわり
そういうわけで、プレイステーションのゲーム「moon」との関連性について言及したいと思います。これについて言及しているような検索結果はあまりなかった。
オマージュやパロディの多数みられるダンガンロンパシリーズですが、V3プレイ中に「あ、これはmoonのオマージュだ」と感じました。moonについてお話しましょう。
・スタート地点のおばあちゃんの家で流れる音楽が「月の光」
・ゲーム世界を蹂躙する勇者からモンスターと世界を救う、というメタな物語
・バッドエンド後にコンティニューするかで「いいえ」を選ぶ
ダンガンロンパV3ではラストの「セーブを選ばない」選択肢へと続く展開の直前で「月の光」でしたから、これはきっと、意識してやったことだと思います。
moonもダンガンロンパV3もメタフィクション。単純にそれだけの関係ということでもいいと思うんですが、自分としては、この対比はめっちゃくちゃ面白いな、と思ってしまいました。
何故か。moonとダンガンロンパには実に20年の開きがあるわけです。この20年の間に、日本における「フィクション」にはなにが起こっていたのか。
「moon」のエンディングは「ゲームをコンティニューしない」ことによって、プレーヤー自身が扉を開く(心理的、表現的な意味は解釈に任せます)わけですが、その後に流れるエンディングには、現実世界にゲームのキャラクターが出ていくような、そういう世界が描かれています。
20年前。世の中には「ゲームのキャラクターグッズ」というのはほとんど存在していなかったのです。現代でこそアニメイト、コトブキヤはもちろん、各種コンビニ、観光地、いたるところに「コンテンツ」が溢れている。だけど、20年前はそんなものはなかった。僕はGAMEバンドの活動をはじめたころ(※10年前)、ゲームのグッズを探しましたが本当に見つからなかったんです。ゲーセンのプライズとしてファミコン関連のグッズがちょこっと出たくらいだった。
だから、あの頃のmoonのエンディングというのは、フィクションから出ていくことで迎えるけれど、そのときにはまったくありえない、フィクションの外だけどフィクションの世界だったわけです。
では現在。現実とフィクションはどんどん溶け合いつつあります。VR、ARなどの新たなリアリティを生み出す技術が開発され、世の中にキャラクターグッズが溢れ、あっちのフィクションとこっちのフィクションがコラボするのはまったく珍しくない。そういう情勢下にあって、一方で人のコミュニケーションはどんどんフィクションに近づいていく。もう我々の生活は、かなりのレベルで、フィクションと融合してしまっている。
この中で、我々はダンガンロンパという作品を通してデスゲームを楽しんでいるわけです。だからダンガンロンパV3という作品のなかのテキストを「説教臭く」感じることができる。
それをダンガンロンパV3という作品を通してユーザーが説教されているというのならそうかもしれない。まぁ、それでもいいです。作品は別に説教臭くたっていい。そこは中心じゃない。
moonというフィクションから20年経って、moonのエンディングで描かれる図、フィクションとの境目がなくなる現代になりました。ダンガンロンパというフィクションが描かれてから何年で、ダンガンロンパというフィクションと現実は融和するでしょうか?
それを、つきつけられたような気がしたんですよね。それは「お前ら、デスゲームを楽しんでるなんて悪趣味だな!」じゃなくて「この未来、いつ来ると思う?」っていう感じで。
実際にmoonは来たよ。
僕たちは実際にVRでコロシアイをする日が来るでしょうか。いえ、多分来るでしょう。人狼がVRでインタラクティブになるまでそう時間はかからないはずです。
その頃にもう一度思い出しましょうか。これらのゲームのことを。月の光をBGMに流しながら。
感想にはネタバレをできるだけ含まないようにします、たぶん……
思いついた順です。
<漫画>
・姉なるもの
同名の成年向け同人誌の全年齢版コミックスで作者の人が同じかな。なんどか表紙を見て我慢してたんですが結局心の防御力が下がっていた時に買ってしまいました。クトゥルフ系の神が少年の願いで「姉」となり同居生活が始まる話です。
目にハートが入る状態異常描写がふつうに入ってきて、とはいえもとが成年向けだと思えばこれはこれでかな、と思うところ。絵はとても美しいです。
一巻ではまだシチュエーション中心でお話の進む様子は少なく、これからの展開を見ていきたいところ。
・ラパス・テーマパーク(3)
ドロップフレームに比べてずっと扇情的な絵が多いんですが、これは作者さんの趣味なのか。でも過去作をざっと眺めてもあまり、必要以上にお色気を出していたことがないように思うので、ドロップフレームの件が影を落としていなければいいなぁ、などとちらっと考えてしまったのでした。
GANTZなどの、異世界に飛ばされたあとのデスゲーム的な本作は徐々に各キャラクターの立ち位置が明らかになっていって、これもここからどう展開するのかが楽しみです。
・ゴールデンゴールド(2巻まで)
離島で生活している人々のところに「福の神」が現れ、人とお金の動きが活発になり、島の生活に変化が訪れていく、という話。とはいえ経済活況やったー! というものではなく、福の神の正体もつかめず、悲喜こもごももあり、雰囲気は「世にも奇妙な物語」に近い。ぞくぞくします。続きが気になります。
・とんがり帽子のアトリエ
いまのところ、今年一番期待している漫画。少女が魔法使いに憧れ、事件をきっかけに魔法使いになるお話なのです。各種メディアではコマが繋がる演出が話題ですが、読んでて感動したのは、第四話で提示された苦難への、これまでの伏線を踏まえた鮮やかな問題解決。それに画力が付随するのだからすばらしい。読んでいてワクワクする漫画です。一押し。
・響~小説家になる方法~(4巻まで)
少女「響」が出版社に送った小説が編集者の目に留まり……と書くと平凡だけれども、この響は恐ろしい人格をしているし、応募原稿は連絡先とかがないから編集者がなかなか響にたどり着けないし……とドラマ作りがされている。いわゆる「フーテンの寅さん」とか「こち亀」みたいに、主人公が破天荒で周りが振り回されたりするようなハラハラ感だと思うと一端を説明することができるかもしれない。
けどもいわゆる「文学」ジャンルの退廃的な感じ、作家と自殺、書くことと人生、文芸という衰退ジャンル、となにかと暗い話が多い。
読んでいて「G戦場ヘヴンズドア」の中での「人格」が重要ということを思い出し、あの作品の中の編集者は、作者の漫画が面白くても、一緒に仕事をやりたいと思わないとだめ、というようなことを言っていて、この響という主人公はその場合確実に仕事を一緒にしたくはないような人物。(笑)
ハラハラするので続きは読むと思います。
すべてがネタバレに繋がってしまうので何も書けない……けども、いまのところこれが今年の二推しとなると思います。まずは読んでみるとよいでしょう。
ジャンプコミックスということでどうしても不安に思ってしまうのが「デスノート」ではないけれど、延命か? と思うような展開が続いてしまったりしないか、ということ。週刊のジャンプで面白い作品が出たときのジレンマですね。
・ファイアパンチ(4)
まだkindle版にはなっていない様子。世界設定が少しずつ広がってきた。四巻最後の「動機」は皆さん肯定と否定とあると思いますが、どちらでしょう。僕は肯定です。全体に通じるテーマは、まだ揺れている感じがするけど、どこに落ち着くのだろうか。
・ゴブリンスレイヤー(2巻まで)
ゴブリンだけを執拗に倒す傭兵のお話。原作小説ありのようです。グラブル関連というわけではない。ファイナルファンタジーに慣れた世代としてはゴブリンというと雑魚キャラのイメージがあるけれど、その恐ろしさのようなものを最初にきちんと描いているところがよいです。 たしかに、人型で、人類とは違う言語や常識を持っている存在はもっと脅威たりえるはずなんだよなぁ、統率するし。
ゴブリンスレイヤー 1巻 (デジタル版ビッグガンガンコミックス)
ゴブリンスレイヤー 2巻 (デジタル版ビッグガンガンコミックス)
・オッドマン11
道満晴明さんの新刊だけど、これ自体は成年コミック誌で長いこと掲載され続けていたわけで、そう考えると新作というのはちょっと違うかもしれない。独特の自由な世界観、道満晴明成分を吸収するのに十分でしょう。成年コミック要素はまったくないでもないですが、気にするほどではなかったかな。
男の子が女の子「高木さん」にからかわれ続け、男の子はなんとか高木さんをからかってやろうとする、結果いちゃいちゃし続けるという話。読者の視点は男の子に追従するわけだけれども、途中で高木さんとのいちゃいちゃが始まって急において行かれる感じになってしまう。と思いきや5巻ではついに我々読者がからかわれますので楽しみましょう。
からかい上手の高木さん(1) (ゲッサン少年サンデーコミックス)
<ゲーム>
・ニューダンガンロンパV3
多くは語りませんがとっても楽しみましたし楽しんでいます。これについのネタバレありのお話は別途また書きましょう。このシリーズで思うのは、シリーズものを作るときに、前作が常に問題になると思うんですけども、それのど真ん中を通っていること。その決断がすごいよね、というお話。
ニューダンガンロンパV3 みんなのコロシアイ新学期 - PS Vita
さっそくニンテンドーSwitchを買ったぞ! ということで、みんなで遊んでみました。
これがまぁ楽しいこと! 遊んだ環境は宅呑みです。宅呑みや貸切パーティのようにほかの人を気にする必要のない環境では非常に楽しめるツールと言えるでしょう。合宿だったり、ケータリングでのパーティーだったり。
ジョイコンを使ったミニゲームが多数収録されていますが、ゲーム自体はモニターを見なくても成立するようになっていて、かつ多人数まで対応しており、さっすが任天堂! という作りです。特にジョイコンを持って、箱の中にいくつのボールが入っているかを当てるゲームは技術力にも同時に感服。この機能、このゲーム以上に活かされるときが来るのだろうか。
1-2-Switch(ワンツースイッチ)|オンラインコード版
<映画>
・虐殺器官
こんな話だったっけか、いやこんな話だったな……と思いながら鑑賞。結末は覚えていたのですが。ほかの方が「説教臭い」と話していて、確かにスカッ! とするようなエンタメじゃないし、MGSの小島監督との関係を見ても社会派だし、TOHOシネマズみたいな大きな映画館で観るような映画だろうか、というと確かに、そうではないのかもしれない。
単純に映像化してしまうとどうしてもMGS4に似てしまうところが悩みで、かつスネークのように既にキャラクターが立っているわけではない。技術と人体との精神的部分を細かく描写できる小説媒体あることに大きな意味がある作品だったのかもしれないです。
テーマ曲がsupercellだったのはかっこよかったけど、せっかくなら陰鬱な感じの洋楽でもっとMGSっぽくしてニヤニヤしながら帰りたかった。(笑)
<舞台>
・スーパーダンガンロンパ2THE STAGE
ダンガンロンパ2の舞台版。舞台でダンガンロンパをどう再現するのか! はGAMEバンド活動的にも気になるところ。1よりもパワーアップした学級裁判シーンのステージギミックが楽しい。ストーリーは全部網羅できないのは仕方がない! ゲームをやってから観るべき舞台でしょう。役者はとくに十神と花村の役者が完璧な再現度。一方で狛枝の演技も迫っており、役者さんまじスゲー、と思っちゃう一本でした。
昨年末くらいからまたにわかに結婚ラッシュがありまして、自分結婚したのいつだったっけ? とか思っていた昨今でした。
自分の結婚の際に申し上げましたが、自分は専攻の社会学でジェンダー論の常勤講師に大変お世話になったため、良くも悪くも結婚にまつわる諸々について勉強したわけです。
だからこそ言いますけども、結婚できなくても婚活ビジネスに頼るのはやめといたほうがいいと思うよ。
ということを言いましたのは、おりしも「とらのあな」が婚活サービスを始めてにわかにTLが盛り上がっていたからですね。
なぜやめといたほうがいいのか、と言いますと、ヒット率が低いと思うからです。
ここでいうヒット率、というのは、成婚率、ということではなくて。結婚に求めるもの、というのが一致する可能性が低いでしょう、ということです。
現代は結婚のハードルが高いです。その主な理由は、結婚の理由の中心が愛情になってしまったからです。これ何度かここで同じ話してる気がする。
見合い結婚と恋愛結婚の比率はこんな感じで推移してるみたいです。
ということで、いまは見合い結婚は主流じゃなくなってます。
「見合わせてもらえなくなってる」んです。
これってどういうことでしょうか。結婚の諸要素が当事者である夫婦のみに限定されていく、ということが起こっていきます。
これもなんどか同じこと言った気がしますが、レヴィストロースから紐解きまして(面倒なので興味がある人はレヴィストロース 結婚 とかで検索してください)結婚というのは血縁や社会を巻き込むもので、どちらかといえば当事者の愛情とかはついでの要素だったわけです。
あんまり愛情や恋愛結婚をディスるつもりはないのですが(自分も恋愛結婚だし)なにが言いたいかというと、結婚という事象は複合的な社会システムで、単純にマッチングすりゃいいってわけではない、ということをお伝えしたいのです。
だから「結婚したい」の中にはたくさんのサブ要素がある。
・経済的に安定を得たい
・遺伝子の伝達がしたい
・生活のリスクヘッジ
・社会的地位
・パートナーとの愛情
この辺に様々な濃淡があって、それらがオーバーラップする手段が結婚なわけです。
だから、結婚したいけど愛情とかは別にいいやって人もいれば、結婚した相手とは愛情が続かないと嫌だって人もいる。
その中身をチェックしないと、色んな誤解が生じる。
結婚したい、だけが一致していても、自分と相手の考えている結婚の中身は全然違うかもしれないわけで。
でも「結婚」と個人が想像しているとき、それが相手の考えている「結婚」とちがうなんてことは、同じ「結婚」という語だけを使っていると気づきにくい。
もしそれがずれてしまっていると、途端に結婚生活はきっつくなってくと思います。同じ意思を持ってマッチングしたはずなのに、実はマッチングされていなかったわけだから。
正直なところ、自分は婚活ビジネスに頼ったことはないので、ひょっとするとここら辺もしっかりマッチングしてくれるのかもしれない。それは判らないです。ただ、やみくもに婚活ビジネスに頼るよりかは、いったんその結婚の中身を自分で問うたほうがいいと思う。だって「愛情は大事じゃないです」なんて、ちょっと聞かれて答えなんて出せないでしょう。
求める要素が一致するなら、愛情は重視しないってことにして、そのほかの要素がスゲーマッチしたから結婚するぜ! ってのもぜんぜんありだと思うんです。むしろ安定感あると思う。でも、それを婚活ビジネスがマッチング要素として許してくれるのか? じゃあなんで婚活してんすか、って聞かれちゃったりしないか。結婚の広告ってだいたい幸せそうにしてる男女だと思うけれども。という。
ここまで婚活ビジネスに頼るのはやめた方がいいと思うよって話ね。
ここからは、じゃあどーすんだよ! という話です。
まずほんとに結婚したいですか?
ってことを考えたらいいと思うんです。ちょうどここ数十年くらいは、見合い結婚が廃れたのに、自分たちよりも一~二世代上は見合い結婚でもマッチングしやすかった世代なので、そこら辺の世代からの結婚しろよプレッシャーはかなり大きいと思うんです。
だから結婚したいのか、自分に結婚してほしいと思っている誰かの願望をかなえたいのかははっきりしといたほうがいいと思う。
何故かというと、結婚は相手がいるものだから。
誰しもが人をしっかり愛したり、生活を共にするような距離を保つことに得意なわけでもないし、自分が男女問わず色んな人と関わっていても「この人とは同じ屋根の下でもやっていけそう」「このひととはたぶん無理」というのはあるわけです。家族くらいの距離感はできても、夫婦くらいの距離感はストレスが溜まってしまうひともいると思う。それはその人が築き上げた自分だから、無視しないほうがいい。
そういう、他人に対する愛情が薄いかもしれない自分の立ち位置ってしっかり見定めておいたほうがいいと思うんです。じつは自分、結婚しないほうが幸せかも、って思った上で、誰かの幸せのために結婚して、そのうえで自分の領域を保っている、って割り切れるなら、それはちゃんとした選択だと思うので。
ということで、結婚に対する立ち位置が決まったら、パートナーどうするか、ですが。できるだけ縛られたほうが安定感が出ると思います。
縛られるとは何に縛られるのか。なんでもいいです。血縁に縛られよ。人間関係に縛られよ。社会からのプレッシャーに縛られよ。とにかく縛られまくれば安定する。
愛情は上下するステータスです。長期的には下がる傾向にあるらしい。
そう、愛妻家で知られる自分ですら、妻と口もききたくないような時期はある。そういう下がってるときになにが自分たちの関係性を縛ってくれるか。
「〇〇があるから、離婚とかむしろめんどくさいな……」って思えるか。
ドライだと思うかもしれないですけど、すごく大事ですよ。文面ほどドライに考えないでいただきたい。愛情はまた上がる可能性もあるステータスだから。下がっている間の支持があればまたいくらでも立ち直れるわけです。
逆にそれがないと、縛ってくれるものなんてせいぜい、カタコトの神父の前でした「はい、誓います」の宣言くらいですよ。これでちゃんと自分を縛り切れますか?
自分は自信ない。そもそも和装で神前式だったが。
だからたくさん知り合い呼んで結婚式したり、お互いの家族と関係作ったり、子ども作って育てたり、っていうこともするわけで。でも婚活から入ると、結婚するのだという前提の割にこういうサブステータスがゼロに近い状態。そのあとから築き上げてもいいと思うけど、しんどくないですか? 知らないひとと積極的に、距離を近づける前提で会うの。僕の妻の親族、みなさんいい人ですけど、やっぱり会うと緊張して疲れます。どうやったって会うのはたまにだし。
だから、そういうサブ要素がしっかりしてるところから見つけるといいと思う。職場とか。サークルとか。複数以上の「新郎新婦両方知ってる人」を揃えたほうがいいと思う。
そう言う意味では、高価な婚活ビジネスは、外形的には成功するかもしれないです。だって「こんだけ金かけたんだぞ!」も縛る要素だといえば縛る要素だから、成婚率が上がるかもしれない。プラスマイナスあるので影響は測りきることはできないですけど。それが幸せかどうかもわからないけど。
ということで、結婚できない、というとやっぱり焦りがあると思うんですけど(自分もなかなか就職の内定決まらなかった時焦ったし)、婚活ビジネスとかに駆け込むよりかは、結婚に関するスタンスを考えて、そのうえで身の回りの人と結婚するのが、いまの結婚観のスタンダードに合ってると思う。
と、思ったのでした。相手もビジネスですので、するっと弱みにも入ってくるだろうから、その弱みとしっかり向き合ったほうがよいと思います。
結婚しない人生もあるよ。