「ゲームのおもいで」というコラムをnoteで書いています。
noteを書き始めたのは、たくさんのゲームを遊んできたことについて、たまにここで書くような初見感想ではなくて、もう少しエッセイ度合いを高めた「自分がゲームをした記録」をやってみたいと思ったためです。
そのため、このnoteでは大前提として、ゲームを紹介するのではなくて、ゲームを遊んでいた時のごく私的なことを書くようにしています。
これから「JRPG」について話を続けていくのですが、JRPGという呼び方にはメリットデメリットがあり、JRPGと名をつけてしまうことによってゲームを良くない意味でJRPGという俗称の枠組みの中に閉じ込めてしまうといった性質もあると思っています。
それでもJRPGと書いておくのはその必要があるからです。この記事においてはJRPGは「時間をかけてレベルを上げさえすればクリアが可能なゲーム」としたいと思います。
対CPUのプレイを含め、一人で遊ぶゲームでは多くの場合、ゲーム中に発生する問題を解決することによってクリアに至るわけですが、このとき発生する問題には「困難な操作を達成する」=アクションゲームだったり「提示された謎をゲーム中の論理に従って解く」=パズルゲームといったものがあります。
これを必ずしも必要としないものにJRPGがあると思っています。この記事におけるJRPGとそうではないRPGとの違いは「ゲームシステムを正しく理解しキャラの行動を組み立てなくてもクリアできるかどうか」加えて「物語テキスト・ドラマを読むこと自体が報酬として重要であるか」としておきたいと思います。
長くJRPGについて定義しましたが、note「ゲームのおもいで」で書いているゲームの記事の多くにJRPGがあります。この記事を書いている最中、記憶に強く残っているゲームであるのに、思った以上に記事を書くのに苦労したものが多くありました。
JRPGは、読んだ物語としては、そのプレイ時間による体験も含めて非常に記憶に残っているのですが、これはあくまでゲーム中の物語=プレーヤー全員が同じ体験をする部分であり、自分自身特有のものではないのです。これを書こうとすると「あのイベントよかったよね」というものになって、同じゲームを遊んでいれば誰でも同じ体験が書けます。これはこれで面白いものだけど、自分がnoteでやろうとしたことからは遠ざかります。
結果、自分が遊んだJRPGの思い出で書きだすことができる個人的な体験は全体的に「子供の頃に根気が無くてレベル上げが不十分なまま進んだ結果の困難の話」になっていました。しかし、この困難の話は思い返してみると体験としては濃厚でした。むしろ近年の危なげなく遊んだJRPGよりもずっと記憶が鮮明ですらあります。
どうもJRPGは「レベル上げによってゲーム上の困難を無効化できる」ので、結果として思い出は物語だけになってしまい、無難であるがゆえに自分自身のゲーム体験は希薄になっているようです。ゲーム部分が作業になってしまっていて、そしてゲーム体験もまたストーリーを補強する部分であるので、ストーリーを含めた全体の印象が合わせて薄味になってしまう。
この問題はなかなか難しく、近年の作品ほど導線は丁寧なので、JRPGの戦闘でゲームオーバーするほどの困難の記憶がありません。自分自身がゲームに慣れていることもあると思いますが、どうしても倒すことができないのでレベル上げに腐心した記憶がない。
近年の作品でも、難しいステージで苦労した場面ほどよく覚えているので、もっと難度を上げたり、無茶なプレイをしていくほうがゲーム体験はリッチになるのだろうか……などと思ったのでした。