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ksk@ぴよによるノンジャンルみだれ手記

Twitterの「ユーザーのタイムラインの作り方に責任を帰す」というのは正解だろうか

ここ数年どうもTwitterの性質が変わって来てるなと思っていて、何度か文章化も試みたのですが、気づいたことがあったので記録をしておこうと思います。

 

その前に一つ前提として「それはタイムラインの作り方(ほかのユーザーのフォローの仕方)が悪い」という立場は取りたくないと思っています。その理由は、他者がする「いいね」「RT」や、フォローとは関係なくTwitter全体で話題になっていることすらも自分がみている画面に差し込まれる仕組みでは、自分自身のタイムラインを自分自身でコントロールすること自体が非常に困難であるからです。それをしようとするとTwitterの「気軽にフォロー/リムーブできる」という機能を捨て去って非常に狭い範囲で閉じ困らないといけない。

 

気づいたことですが、Twitter上で「過去の情報の再掲」を観ることが増え、この「過去の情報の再掲」に対しての「これは再掲である」というリアクションを見ることが減りました。

たとえば、先日数万のリアクションを獲得していたあるツイートは、それこそ10年以上前に話題になり、その後もたびたび目にしたいわゆる「インターネット老人会」的なネタだったのですが、Twitterでは大部分のリアクションが初見と思われる反応でした。一部に懐かしい、という語がみられましたが、それらはごく少数でした。

 

過去にはツイッターやネタの盗用、元を示さない引用は「パクツイ」などと言われてすぐに既出情報であることが指摘されたりしたのですが、最近はそういった指摘が殆どないままに、一度出た情報が再度バズることが多くなっています。

 

これは、一般ユーザー全体で見たときの、情報の価値や鮮度が下がった、という状態だと感じています。企業等の公式アカウント以外から新奇性のある情報を得ることが難しくなってきている。

 

CGMに置いて似たようなことは過去にもあった、と感じています。たとえば現在で「2ちゃんねるに書き込む」といえば相当なコアユーザー(※婉曲表現)だと考えていいと思いますが、初期には専門性の高い掲示板での意義高い書き込みがなされていて、時の首相が注目していたこともありました。

 

栄枯盛衰の影響を受けないメディアはないと思いますので、Twitterも単に2ちゃんねるがたどったように、mixiがたどったように、その段階に入ったのだ、ということはできそうです。アクティブユーザー数が増加し、レイトマジョリティが大量に増加したことで、言い方は悪いですが情報感度の低い人も増え、アルゴリズムが選び取る情報の価値がそちらに合わせられていく。自分では「ツイフェミ」あたりが分水嶺だったような印象を持っています。

 

それでもコミュニケーションメディアとしては有用……という見方もあるかとは思うんですが、コミュニケーションメディアとしての使用方法そのものがタイムラインに流れる情報環境を左右していくのがTwitterというSNSの仕組みなので、すべてを無視してコミュニケーションだけに使うということ自体が仕組み上非常に難しい。

 

今までTwitterでいっしょくたにしていた、新しい情報環境と、親しい範囲&ある程度の広がりを持ったコミュニケーション環境をそれぞれ構築しなくてはならないと感じていますが、なかなか代用品が見つけられずにいます。