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ksk@ぴよによるノンジャンルみだれ手記

言葉とその機能について(シン・ウルトラマンの感想)

「シン・ウルトラマン」を観ました。

shin-ultraman.jp

 

ウルトラマンについて、シリーズの素養が全然ないのでそちらの方面での感想は置いておくとしまして、シン・ゴジラからシン・ウルトラマンと続く「言葉の美しさ」について綴ってみたいなと思います。

 

シン・ゴジラ、シン・ウルトラマンともに、政府の事務官による機能的な言葉のやりとりが展開されるんですが、これが非常に美しくて、両作品とも楽しく聴いていました。いわゆる「耳が幸せ」という状態です。

 

幸せに感じる理由は「目的を達成するための言葉選び」が隙なく選択されているからです。

 

ある程度以上大きな組織・集団で行動をするとき、その内部を統制するためにどうしても課題となることに「目的」と「手段」に対する個々の観念の違いがあります。一般的な言い換えを試すとすれば「人を殺してはいけない」ということについて。目的は殺人の発生数を減らすことが選択されたとして、それに対しての手段、個々人が「自分が殺人を犯さない理由」には幅があります。

この時「目的」ではなく「手段」に対して感情的に同調するような方法を取って自身をコントロールしようとすると、では目的が変動して戦場に戦士として参加し、積極的に殺人を犯さなくてはならない状況になった場合には選択した「手段」もしくは手段を肯定するための感情に縛られてしまい、状況に対してエラーが起こります。

 

とはいえ「目的」というのは手段やそれを支持する感情に対して上位の概念なので、全体で一律に共有することは困難だったり、手段の前に忘れ去られてしまったり、そういうエラーが起こりやすくなる。でも、状況が目まぐるしく変わり、それに対する即応が求められるような状況では「目的」が共有されたメンバーが全体を担っていないとその下位にある手段が破綻を起こします。

 

どちらも人類が超危機的状況にある中で組織の機能美を描くシン・ゴジラとシン・ウルトラマンでは、この状況に対して「目的」(=国防、存続、巨大不明生物/禍威獣の排除)に対応する、「目的」のために己の領域でベストを尽くす人々の戦いなので、ここで発される言葉は非常に研ぎ澄まされていて、聞いていて気持ちが良いのです。

 

それらは顔が登場しない諸外国勢力、外星人でも徹底されていて、全編にわたって個々人の私的な領域以外では一切「感情が手段や目的より前に出てしまう」というようなことがなかった。だからこそ私的な領域で出てくる個々の登場人物の私的な言葉に人間味が強く感じられる、と感じたのです。

 

言葉以外の映像も、楽しく観られる箇所がたくさんあったのですが、ひとまず言葉について持った感想でした。