話題になっていたのでアニメを観ました。おおむね10話程度放送されたあたりからprimeビデオで追いかけ、最終話を録画して翌日に観ました。
以下、ネタバレもします。
最終回の歌を観ていた時に「演出されているものが逆だった」と納得しました。
アニメでは物語を彩るために劇中歌を使うと思うんですが、この作品は最後の劇中歌のためにそれまでの12話(と13話のAパート)があるんだと感じました。豪華なつくりです。
ラブライブ! シリーズも同じようなつくりだと感じています。MVにお話が付いている。
曲とMVを最高に演出するために物語を使用すると考えて見て行くと、このお話に最後に残されるのは視聴者である我々だけなのですね。お話上で、Vivyとそれにゆかりのある人物たちはほぼ全員、過ぎ去っていく。
最後に残っているのは
垣谷ユイ:Vivyと縁はあるけど最後で多少絡むのみ、かつ最終的な歴史ではそれもさらに味気なくなる
エリザベス:複製なので事件の記憶はない
そしてマツモトです。マツモトが残っているのは救いと言えるかどうか。
「これから100年の旅が始まる」とマツモトは言いましたが、果たしてそれはVivyに向けられたのか、我々に向けられたのか。
音楽が流れているとき倒れるドミノは、元にも戻らないけどそのドミノが倒れていったという記憶は観た人には残っている。
残ったものからドミノが倒れる過程を音楽とリンクさせることが出来るのは視聴者の記憶だけである。
最後にVivyも舞台を去ってしまうので、さらにCパートではその記憶がなくなったであろうVivyの複製体と思われる個体まで出されているので、視聴者としては「Vivyは幸せだったのか?」を自分なりに納得しないといけない作りになっていると感じました。
もっと言えば、シスターズたちは幸せだったのだろうか、ということも。それも確信は貰えないので、もやもやしていくしかない。
これは視聴者には決してやさしくない演出だなと思います。少なくとも物語面においては。
でも、歌は平等に視聴者に残るんですよね。
SF設定だってキャラクターが最初からシンギュラってるから理屈はくれないし、登場人物は人間もAIもみんな豪速で過ぎて行っちゃうし、改変する前後の歴史に対する理解や納得だって「シュタゲ」のようには教えてくれないし、AIが人間に成り代わる選択肢というのもある種の正解のように残して、歴史を分岐も含めて時系列で見せてくれるけれども、確信はくれない。全体的に淡々としているんですよね、このアニメは。
でも歌はあるんですよ。歌しか残してくれないけど歌はある。
と、いう演出をされたと思いました。
あまりにも豪華な音楽に対する演出だと思いました。ラブライブ! だって3話に1曲のところ、13話で1曲です。豪華です。
最後にVivyの歌が始まった時にそう直感したので、書き留めておきます。