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ksk@ぴよによるノンジャンルみだれ手記

【ネタバレ】映画「えんとつ町のプペル」感想

映画「えんとつ町のプペル」を観ました。

poupelle.com

 

以下、ネタバレを含む感想を綴っていきますので未見の方はご注意ください。

 

 

未見の方はご注意くださいと書いておきつつ、未見の方というか、特に観るつもりでない方に向けたような内容となる予定です。かつ、基本的に褒めない内容となります。

 

まずあらすじを結末を含めて整理し書きます。

 

舞台のえんとつ町は、いつも煙突から大量の煙が沸き上がり空を覆っていました。

えんとつ町は遠い過去、従来の貨幣経済が、モノよりカネに重きを置いてしまうことに疑問を抱いた人物が作った新たな「劣化する貨幣」により成り立つコミュニティであり、外界から人々を守り隠すための「煙」が、いつしかえんとつ町の人々から外界を隠すためのものへと変化していました。町の人々はえんとつ町の外の世界、空を知らず、えんとつ町が世界のすべてだと思っています。

町の重役は煙によって人々を閉じ込め支配し、煙によって健康被害が出ていること、町の外の世界を秘密にしていることをえんとつ町の長は悩んでいました。

 

えんとつ町に住む少年ルビッチは、父を亡くし母と二人で生活していました。

ルビッチの父は、とあるきっかけで、えんとつ町の煙の外には空があり、夜には星が煌めくことを知り、そのことを知らせるために、物語をつくり紙芝居屋として人々に語って聞かせました。しかし、誰もその話を信用するものはいませんでした。ルビッチの父はある日、町のはずれで波にのまれ、帰ってこなくなりました。病の母と暮らしていくため、ルビッチは煙突掃除人として働きます。父が目指した星空に少しでも近い場所を目指して。

 

ある日、空から不思議な輝く玉がえんとつ町に降ってきました。輝く玉はごみ山に落ち、周囲のごみを吸い上げて、「ゴミ人間」として命を宿しました。町人から疎まれたゴミ人間はルビッチと出会います。孤独なルビッチはゴミ人間と友達になり、ルビッチは名前のないゴミ人間に、父が作った紙芝居の主人公の名から「プペル」と名付けました。

 

ルビッチはプペルと共に日々を過ごしていましたが、プペルのごみの匂いは取れません。「えんとつ町」の外を目指すルビッチ達に町の重役たちの手も延びていきます。ルビッチがプペルを遠ざけてからしばらく、プペルはルビッチのもとを訪れました。プペルはルビッチが過去になくした父の形見を探して、毎日ごみ山を探し回っていたのです。プペルはごみ山を探し回ったけれど見つからなかったことと、実はプペルの頭部、閉じた傘の内に父の形見があったことを伝えました。プペルはルビッチに形見を返そうとしますが、ルビッチは拒みます。形見はごみ人間プペルの頭脳に相当し、それを外せばプペルが失われてしまうためです。

 

ルビッチとプペルは共に「えんとつ町」の外、星空を目指します。空を覆う煙の中心で爆発を起こし、雲を晴らし、星空を人々に見せる計画を立てます。協力は二人が以前あった変人に依頼しました。なんと、変人はルビッチの父に外の世界の存在を教えた人だったのです。

空を目指すルビッチ達を、街の人たちを封じ込めておきたいえんとつ町の追手が襲います。それに対抗する煙突掃除人たち。町のはずれに封印された古い船を使って、なんとか空へ上がった二人を苦難が襲います。ルビッチを応援するプペルの姿に、ルビッチは父の姿をみました。父の形見を頭脳としたゴミ人間プペルは、父の生まれ変わった姿だったのです。

ついに計画は成功し、空の煙が晴れました。追手も煙突掃除人も街の人々も、みんな星空を見ています。えんとつ町の長は、人々から空を隠すえんとつの煙を止めることを決めました。

そのとき、プペルの命が尽きました。プペルの命のもとだった輝く玉は再び天に昇っていきます。父の生まれ変わりでもあるプペルから大切なものをもらったルビッチは強く生きていくのでした。

 

 

 

……というお話です。

ここまでしっかりあらすじを書いたのは理由がありまして、映画内だとこのお話の筋に対して、設定がバラバラに提示されます。上記のあらすじはそれを並べ替えたものです。

 

映像は綺麗、3Dで動くキャラクターも違和感はなく、設定はしっかりあって、音楽もよく、素材は面白そうなんですが、とにかく話への感情移入がしづらいです。

 

その原因は、脚本が良くないから、と言ってしまっていいと思います。

 

基本的に、物語を進めるとき、受け手は何らかの視点を手に入れると思います。それは主人公に近い視点だったり、神に近い視点だったりしますが「えんとつ町のプペル」ではそのどれでもなく「えんとつ町」の中に入って行けるような情報がなかなか提示されないので、結果として誰にも感情移入がしづらくなっています。

かろうじてルビッチ視点か、とは思いますが、ルビッチの知っていることすら視聴者にはなかなか開示されません。

「この椅子に座って観ればいいんかな」→「あ、この席じゃなかったか……」が繰り返される感じです。

 

誰の視点にも同一化できず、どういう気持ちで受ければいいのかわからない情報が増えていくので、おそらくこれが原因でかなりの退屈感を生みます。(何度かあくびが出てしまいました)

えんとつ町の置かれた状況はなかなか説明されない、それについてトシアキの得ている益も説明されない、レター15世の葛藤も、ルビッチの友達の態度も、えんとつ掃除人や町の人たちのスタンスもしっかり明示されないなかで、なかなか腰を落ち着けられないで映像だけが進んでいく印象です。

 

説明に乏しい割に登場人物は多く、不必要なキャラクターがかなり居ます。「スーさん」「デニス」あたりは必要がないと思いますし「ダン」についてもおばけを怖がるキャラクターは完全に死んでしまってます。100分しかないのにそれを説明し切るのはちょっと無理だと思います。

 

プペルが父の面影を見せるところは良かったです。これは、その文脈が親子愛という、前提の説明不要な一般的な前提に基づくところであるためで、これが初見の人の感想の中心になるのではないかと思います。

 

最終的にプペルが消えるときも、プペルとブルーノそれぞれの自我はどう受け止めればいいのかふわっとして終わります。ルビッチがプペルとブルーノを同一視するくらいならまだいいと思うのですが、プペル自身の中にブルーノの自我を内包しているような描写がないので、ルビッチがプペルの中にブルーノを観てしまうと、プペルが上書きされるような不安感がありました。

 

……と、全体的に持ってる素材は良いはずなんですが、それらの組み合わせや提示順がどうも不親切で、一言で言ってしまうと、脚本が初めて見る人の気持ちの動きを考慮していないので、かなり見づらい映画になっていると思います。

 

いくつかの感想では、退屈だった、ルビッチの動機が弱い、などを観たんですが、結局のところ、本来用意され意図されていたものがあったとしても、脚本によって伝わり方が弱いと、結果としてそういう印象を生むのではないでしょうか。

 

ということで、世間の印象はできるだけとっぱらってフラットな気持ちで観たんですが、感想としては「盛り付けと給仕順がごちゃごちゃの高級料理コース」という感じでした。守破離は大事ですね。

 

スタジオ4℃の映像は素晴らしかったので、別の作品も興味がわきました。