タクティクスオウガのネタバレがありますので注意してください。
この下に書くことは、100%筆者が自分の欲求を満たしたくて書きます。そういうネタを見つけたので、それを形にして満足を得ようというものです。そのために自分が納得いくように綴るわけですが、それがほかの人にとって納得いくかどうかを保証はできないと事前に宣言しておきます。
ということでタクティクスオウガの話をしましょう。
タクティクスオウガの物語上の重要なポイントでバルマムッサという町があるわけですが、ここで起こることを端的に言うと
・主人公の属する陣営=ウォルスタ人は現状を打破するために、バルマムッサに捕らえられているウォルスタ人の住民を虐殺し、その虐殺を相手陣営の仕業に仕立てることでウォルスタ人陣営の士気昂揚と、相手陣営の穏健派をウォルスタ人側に招き入れることを画策した
・この虐殺を実施しなかった場合、ウォルスタ陣営がより困難な状況に追いやられる=さらなる死者を出すことは明白な状況である
・主人公たちはこの作戦に参加するか否かを選択することができ、それが物語の未来を左右していく
以上のようなことが起こるわけです。自分はこの後のルートの一つしか実際に遊んではいないのですが、どのルートを通っても示唆に富む物語が展開されますので、こんな記事読んでないでゲームしてください。
ではここに登場する人たちを整理していきましょう。
・バルマムッサ焼くつもりの人=何らかの意思と目的を持って行動する人
・バルマムッサで焼かれる人=焼く人の目的のために望まず犠牲にされる人
・主人公たち=目的のための行動に意思の変容をするか迫られてる人
なかなかハードでヘビーな状況です。
ではATSUGIの2020年twitter関連で起こったことを(わからない人は自分で調べておいてください)これの図式に当てはめていくと誰が誰なんだということになるわけですが、バルマムッサで焼かれる人に位置するのが各イラスト、もしくはATSUGI社企画そのものということにしておきます。
じゃあ今回怒っていた人たちはどこだろうかというと、これは上記の三者のどれでもなくて、バルマムッサ焼くつもりの人が目論んだ士気昂揚、この「士気」の担い手であって、どこまでも客体なんだと思います。一般ウォルスタ人です。
理由はバルマムッサ焼くつもりの人みたいな、何らかの意思と目的に相当するところが全然見えないからです。
この一般ウォルスタ人がどういう行動をしているかというと、それぞれ置かれた文脈はあると思いますしどうなりたいという気持ちもあるかと思いますが、でも実際に何かを企図したりはしなくて、ただ世相に乗っかっていく。(作品中では「モブだから」そうならざるを得ないわけですが)
一方でエネルギーは(その置かれた立場によって)あるわけです。怒りたい、正義でいたいというエネルギー。だからバルマムッサ焼く人はそのエネルギーを上手に利用しようと思うわけですね。
で、今回の騒動、バルマムッサ焼く人らしき姿は見えませんでした。たとえば過去の似たような騒動だったら、弁護士さんだったり学者さんだったり、その活動をすることでなんらか(相互に)利を得られる人がはっきりしていたんですが、あまりそういうのは見えなかったように思います。今回のことでタイツ履く女性に何か利があったのかっていうと、あんまりそういうのも見えてこない。
怒りたい、正義でいたいというエネルギーがあって、そのエネルギーのためにうまく燃やしに行ける場所を探している。そのために何をするかというと、ロジック的に負けない相手を探しに行くのが合理的な行動になります。
女性が現在も抑圧された性であるとするなら、その状況を批判するための表象を探すことになるわけですが、これは絶妙な位置でなくてはならない。つまり一般から見てこれは女性の性が消費されているということに一定の説得力があって、でもゾーニングされているような「今更そんなこと問題にする?」みたいなところでは戦いづらい。ボッティチェリのヴィーナスの誕生でも、18歳以下はアクセスしてはいけないサイトのアダルトビデオでもダメ。だから、ちょうどいいところでゾーニングされていないオープンなインターネットに出てくる、一般からして歴史的美術とまでは評価できないくらいのちょうどいいイラストにその相手を求めるわけです。
一般ウォルスタ人の立場というのは難しくて、一般ウォルスタ人がもし和睦して少数民族としての迫害から逃れると、それはいいことだけれども同時に一般ウォルスタ人としてのアイデンティティも失ってしまう。特に同士のコミュニティの中で「怒る」ということを自分のよりどころにしていた人は、なかなかそのアイデンティティを捨てられないと思います。
となると、ただ自分のアイデンティティのことだけを優先に考えれば、ことの解決なんかむしろしてはいけなくて、ずっと抑圧されていないと「抑圧されているのだ」と怒ることができない。
バルマムッサ焼くくらいの目的意識で、ウォルスタ人を鼓舞しウォルスタ人を前に進めようという人が居ないから、ウォルスタ人はずっと現状のウォルスタ人であり続けるし、そこで地位を持っちゃってる人はそれを求め続けてしまうわけです。
それは何も今回で言う「フェミ」だけではなくて、それを非難する人も自分なりのロジックで安全圏を確保して非難ができるわけだし、この記事も自分にとっての安全圏を確保してこれを綴っているわけです。
もし、今回の騒動に何らかの目的があって参加し、火をつけ始めた人が居たとしたなら、その先の動きはなくてはならないし、それはATSUGIが何かをやめたり謝ったりで終わるような行動ではないはずです。
それが特にはっきりしないようであれば、それぞれの怒りが立脚するロジックもまとまらないし、ただその場その場で正しさを最大化するためだけのことが繰り返されていくわけで、となると、政治的なこととか、抑圧された側の陣営図も変動するようなことはなくて。
なんでもなくなっちゃうんですよね。ロンウェーもレオナールもいないから、ただただウォルスタ人が足踏みだけをする。
いくつかの言説を視ていても、特段的を射ているなぁと思うようなことがなくって、これは単に自分がすでに確立した地位(「フェミ」である、とか反「フェミ」である、とか)に依拠して正しさを言うだけの回だなぁ、と思ったので、こんなことを書きました。
まだ、もう少し大変なことになるとしても、バルマムッサ焼くくらいの目的意識の人が居る方が、何かと建設的なんじゃないでしょうか。
タクティクスオウガ調べてたら素敵な記事があったのでリンクさせてもらおう。