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ksk@ぴよによるノンジャンルみだれ手記

問題意識と感情のうち後者が先行するなら、戦わなくていい相手じゃないだろうかという話

Twitterをしていると周りからいろいろな「~イズム」に絡む主張を目にすることがあるんですが、140字という制限の中で、かつ主語が大きくなったり不明瞭だったりすると、そのツイートが何らかの社会的問題意識を持っていて、その解決のために行われているのか、それとも単に何かイライラすることがあって「私はイライラしていますむしゃくしゃしています」ということを社会問題に言い換えているのかというのは本当に見分けることが難しいと思います。

 

不可能なんじゃないかと思う。

 

社会的な問題意識を持っている人とは、データや論拠を示しての言葉のやり取りができますが、単にイライラしている人が社会問題に言い換えている場合は、反論したところでその人のイライラが解決するわけではないので、和解の結末にたどり着くことは難しいと思います。

 

たとえば、児童が性犯罪に巻き込まれる事件があって恐怖を感じた人が、性犯罪者に釈放後トレースできるようにGPSをつけろとか主張したりするわけですが、これが実質的に「効果があったか」というと、効を奏していなかったりします。

ミーガン法、で調べてみるともろもろ出てきます)

 

この時、恐怖を感じた人に対して「いや、ミーガン法は効果が疑問視されてますよ」という話をしても恐怖は解決されませんから、お話は平行線に終わるわけで、似たような「~イズムっぽいけど実際には単にその人がなんかでイライラしてる話」はどれも平行線に終わるわけです。

 

だから基本、触らないでいいんじゃないか、と思うわけですが、ここでもう一つよく出てくるお話があり「そこから実際に不必要な規制までリーチされるから放っておいてはいけないのだ」というものです。

 

それはそうなんですが、とはいえこの国で法制化するにはちゃんとした手続きが必要ですから、別に「イライラしてる人と戦う」をやらんでも「ちゃんとした手続きする人」ときっちり戦う準備をしておけば、不足するということはないんじゃないのか、と思っています。

 

ちゃんとした手続きする人は、イライラも社会問題もまとめて自分の勢力としてちゃんとした政治的ムーブを取って自分の利を獲得していこう、商圏を確保しようと思うわけですから、こっちはちゃんと戦わないと、望む社会を維持できなかったり、遠ざかったりする可能性があるわけです。

 

でもそうでない、ただイライラしてるだけの人は、別に手続きだって自分の手ではしないし、その人を説き伏せたところで「ちゃんとした手続きする人」にとっては雑兵の一人でしかないので、その人と戦う必要はないんじゃないかと思うんですよね。

 

将をきちんと押さえておいて、しかるべき戦場で戦えば、イズムっぽいものと戦って消耗する必要はないんじゃないかなぁ、と、思いました。