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ksk@ぴよによるノンジャンルみだれ手記

作品の感想にちょうどいい言葉なんてないんじゃないですかっていう話

突然ですが、あなたは海鮮丼を見た時点で一言感想を言ってください、と言われたときに頭の中から「うわ~ 宝石箱やぁ~!」という彦摩呂氏の名フレーズを頭から完全に消すことができるでしょうか。

 

きっかけはツイッターで見た小説作品の感想に対する「読みやすいです」は感想としてもやもやするだろうか、という話。

 

なるほど、と思いつつ、一方で思ったのは「感想なんてそんな饒舌に出るか?」っちゅう話です。

いや、世の中にはいる、なんかわかんないけどもさもさ感想が出せる人もいる、でも基本的に感想なんてのは「良かった」か「良くなかった」の二択であり、もっと言えば「良くなかった」はnot for meであり、つまるところ語彙なんてそんなにないはずなのです。

それをものすごく仔細に分解してここがよかった、ここはよくなかった、みたいに言うことができるってのは、たぶん最初からそういう「芸」でありまして。感想とはまた違うジャンルのものになっちゃってるんじゃないかと思うわけです。

 

じゃあ人はどうやって感想言ってんだ!

ってなったらたぶんだけど「リンク元」を引用してるんじゃないでしょうか。つまりその作品にたどり着くことになったきっかけの何かです。ツイッターだったり、ブログだったり、飲食店だったら食べログとか、本なら店頭のポップとか、そういう。そのリンク元で評されているときに使われている「言葉」が、たぶんそのまま引用されている率がすごく高いんじゃないかと思わけです。

 

数値はちゃんととってるわけでないので、これはたんなるヨタ話に過ぎないです。でも、だから最初に置いといたわけです。宝石箱という単語を完全に忘れることはできない。そうしたら変なこと言うより宝石箱のほうが妥当で、その妥当と思われる文脈が繰り返されることによって、それがそのまま妥当な感想になっていく。

 

だからケータイ小説における「リアル」だったり「尊い」だったり「バブみを感じてオギャる」みたいな、真面目に考えるとそれで評価としていいのかわからない感想が乱発されていたり「コシがある」「コクがある」みたいな、主観的な感覚ですら共有できるワードに収束ようになってしまうわけで、それは引用元があるわけです。オリジナルの言葉ではないと思うわけです。で、オリジナルの言葉なんてのは、出せるとするならばそれがそういう「芸」であって、普通は出てこないわけです。そもそも多くの人は造りてですらない。だから、リンク元の表現を引っ張ってそれで褒める。

 

と、なってしまえば「読みやすい」みたいな感想を貰ったとして、それは結局のところなにかっていうと「引用元情報がないから褒める語彙がなくて出る」か「引用元が『よく書けている』という表現を使ったか」のどちらかなんだと思うんですよ。

 

となればそれに対する解決方法は2点あり

・評価者との関係性の中で判断して自主的に一喜一憂する

・評価するためのワードを用意してアンケート形式で感想を求める

のどっちかではないでしょうか。

 

ってことで「読みやすい文章」はモヤっとするかもしれないけど、それは仕方のないことで読み手に解決を求められないな、と思ったのでした。

 

ちなみに、自分が小説文を読んだときには

・ドラマがあるかどうか

・読みやすいかどうか

の二軸で面白さを感じることが多いです。

 

・ドラマがある/読みやすい →面白い! と思います

・ドラマがない/読みやすい →読みやすい! と思います

・ドラマがある/読みづらい →読みづらい! と思います

・ドラマがない/読みづらい →読みづらい! と思います

 

こんな感じです。読みやすい、ならそれはかなりレベル高いと思いますです。喜んでいいと思います。でもそれ以上を引き出そうとしたら、そういう質問をするのが適当ではないでしょうか。