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ksk@ぴよによるノンジャンルみだれ手記

【ネタバレあり】「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」の話

以下の映画の批判的感想をしていきます。

www.uchiagehanabi.jp

 

ネタバレいっぱいすることになるので、以下はご了承いただいたうえでお進みください。

 

原作があると知っている場合、映像で見るか、原作で見るか迷うんですが、今回の自分は下記の順で事実関係を知りました。

 

アニメ映画をやると知る→小説版が出たと知る→アニメ映画で見ることを選択して、見る→ドラマ版があると知る→ドラマ版が「If~もしも」という「世にも奇妙な物語」の後番組であることを知る

 

ということで、読み終わったあとの自分の感覚「週刊ストーリーランドっぽい」はあんまり間違っていなかったんだなぁ、と思っていました。

 

結果的に、面白さの獲得を逸してしまった作品だったと思います。何故か。感情移入する先を見失ってしまったからだと思います。

それぞれのキャラクターの立ち位置をどう確定させたらいいのかがわからない。

主人公、典道はヒロインなずなのことが好きなのか? がいまいち伝わってこない。

同じく、三角関係下にいる祐介はなずなのことが好きなのか? がいまいち伝わってこない。

なずなは、典道、祐介、どちらのことが好きなのか、どちらでもいいのか、がいまいち伝わってこない。

典道がなずなのことを好きなのだ、ということがより明確に打ち出されていたら、この三角関係はもう少し綺麗につながったのではないかと思う。

でもそれがどうしてこういう描写になったかって、それはドラマ版の方を見ると、各キャラクターが小学生という設定で実写だからなのですよね。だから、好きっていう感情と思春期下で上手く表現できないところの表現は、アニメだともう少し記号的にわかりやすくすべきだったのだと思うのです。

加えて、なずなを追う母親をどう観たらいいか、敵なのか、それとも親の愛ゆえのことなのか、そういうところに悩んでしまう。

さらに言うと、ラスト、典道となずなの別れはどういうところにおちつきたかったのか。特に、別れ、という面で見ると、SNS、携帯電話の有無というところがドラマ放映当時とは時代差がありすぎてしまう。

 

新たに登場したギミックであるところの謎の玉も使いどころが難しくて、主人公やヒロインの記憶の問題や、ルート分岐したときの心変わりの問題、作られた世界が終わったあとの主観の問題(分岐世界のなずなは造られた存在か?)のあたりが気になってしまう。

 

というところで、これが「不思議な話を見ている」ということなら面白いのですが、「典道と祐介となずなの恋愛模様」と観てしまうと、腑に落ちなくなる。

 

じゃあどっちかに確定すればいいんじゃないの? ってことなんですが、自分があんまり前情報を知らずに映画を観に行った結果「あれっ?」ってなっちゃったところが、うまく行かなかったところなのだと思うのです。

 

映像はもちろん綺麗。ヒロインの描写もカワイイ。でもたぶん、お話の筋としてはもとのドラマを意識しすぎたような気がするし、恋愛ものなのか、不思議なお話なのかの選択と、実写とアニメとでの記号の差が処理しきれていなかった。

 

ので、結果としては、手放しに面白い! と言える映画ではなくなってしまったように思います。たぶん、宣伝の結果として観覧者が求めるものとちがってしまった感じ。アニメとして描くときに、アニメとしての記号論をもっと突き詰めてしまって、結末も変えてしまってよかったのでは、と思いました。