paper-view

ksk@ぴよによるノンジャンルみだれ手記

甘えと依存の話

ぼやーっと道端を歩きながら、甘えることっていうのは大事だよな、みたいなことを考えていました。

藤子・F・不二雄の短編のなかに「やすらぎの館」というお話がありまして。精神的に強いストレスを抱えた会社重役が、幼児期に回帰させることを旨とするサービスを利用して、最終的には幼児退行から戻ってこれなくなってしまう怖い話なのですけども。

このお話を見てみると、二点注目したいところがありまして。

 

・重役のストレスは解消されている(少なくとも話の終わりのところまでは

・重役の抱える社会的関係は破滅寸前(おそらくそのあと破滅する

 

の二点です。

 

いろいろと吟味すべきポイントはあると思うんですけども、「自己をストレスから解放するための精神的なリリース」は大事だと思うんですよね。行為としては甘えること。誰かにこころ/からだを預けること。

一方で「他者に依存しつづけること」は継続的に見るとまずいと思うんです。いわゆる「共依存」的な関係に見られるように、一方が一方に甘え続けることによって破滅していくものがある。

 

バランスが大事だという話なのですが。

 

この「やすらぎの館」は、依存しすぎなければおそらくはある種の必要な施設なんだと思います。結局のところこれは水商売や性風俗産業の比喩だと評価することもでき、それも同じで、生活に破綻をきたすのでなければ(人間関係/金銭事情/社会評価とか)、必要性が認められるのは、歴史を見て明らかなことだと思うんです。金銭サービスとはいえ、相手に精神的/肉体的急所を晒すことは間違いないわけですし。

 

じゃあバランスってどうやってとるんだよ、と思うと、それは「甘えた分は甘えさせろ」になるのだろうか。みたいなことを考えていました。「やすらぎの館」の社長は、おそらく誰かを甘えさせてやるような立場にはなかった。他人を甘えさせることによって、他人を甘えさせているあいだは自分の優位性は確保されるし、同時に自分が誰かを甘えさせるだけの度量を保たなくてはならないという緊張感も産む。そうして自分を現実世界につなぎとめつつ、現実世界から離れるための甘えを持つ。

 

いろいろな人間関係を見ているのですが、明らかに一方がもう一方にだけ依存しているなという関係は、(その関係を全部見れるわけではないので暗数があるが)破たんしている/破たんしていくことが多いという印象があるので、バランスは大事だと思います。