一日にして盛り上がったこのお話。
全体的なとこで見ると、一番引用されている発言は確かに扇情的なんですよ。
こういうのが西洋人の目には児童ポルノと映ってしまう。だから恥ずかしいということではなく、日本のおたくカルチャーは児童ポルノと同じ進化環境で進化してしまったということ。それにしても男根の代わりにでっかい吹奏楽器と絡むこの構図はいったい。https://t.co/SAJ9NuoJCO
— 久美・C・薫 (@kumi_kaoru) 2015, 11月 30
なぜかっていうと……楽器=男根としてしまったということと、おたくカルチャーと児童ポルノが同列に見えるようなワーディングをしてしまったからです。
評論をする際に、何らかの立場をとるということは大事なのですけども「私はこの立場を取っていますよ」という前提を明示するかどうかは人によって発信の方法も違うし、受信の方法も違います。
1:解釈はたくさんあるが「自分はこの立場をとるよ」と思っている。
2:「この解釈が普遍的に正しい」と思っていて、その立場に沿っている。
a:それで怒るようなら、相手の勉強や文脈理解が足りないのだと思っている。
b:怒られる可能性もあるが、それはそれで構わないと思っている。
あたりを想定することができるんですけど、それがどの立場を取っているかは不明です。が、togetterを見る限り、発言者さんはけっこう、歴史を紐解きつつ話はしてるんですね。
なので、自分としては1-aもしくは1-bあたりだろうと思うことにしています。
なぜなら。「楽器が男根のメタファー」という視点を持つということは、決して忌避されるべきことではないからです。
それ以外にもいろいろ、ある作品においてその中に登場する何らかのアイテムが男根のメタファーかどうか、というのはいくらでも議論ができるし、議論してきているはずだからです。
で、ここでジェンダーの分野とかにいくらでも波及することができるし、それでなにがしかの社会問題を論じることもできる。
が、ワーディングがまずいよねと言いましたのはここがtwitterだからで、twitterにはそんなに人文社会科学系とか文化系とかそっちの議論に明るい人とか、そういう場でのスタンスの取り方の前提をちゃんと持っている人ってのはべつだん多くない。ましてやリツイートされてしまえば多くの方は2-aのスタンスを取っていると誤解されまくってしまうことは容易に予想ができる。
たとえば。問題のツイートを読み替え書き換えして、
「響けユーフォニアム」の画像が西洋人にとってどう映るかで議論することができそう。おたくカルチャーと児童ポルノを並行したものと仮定してみるとどうなるだろうか? たとえば、楽器を男根のメタファーとしてみる思考をしてみると、この構図からどういう仮説や議論が成り立つだろうか」
くらいの表現にしてみるとどうか、ということです。この議論は結構面白いと思うのです、人文社会科学畑の人間としては。
が、結局のとこ「楽器=男根」「おたくカルチャー=児童ポルノ」という部分を受けて反応する人が増えていくことによって、ツイートの解釈は2-bへと収束していく。本人の意志というよりかは、この騒動自体が「そうあってくれないと収まらない状態」になっていってしまいます。
「男根」や「おたく」という語の選びも、恐らくはそれまでの様々な議論の土壌から、同義の別の語ではなくこれが選ばれたのだと思うんですけど、それも結局のところ土壌がない人からしてみると扇情的な言葉でしかなくなってしまう。
ということで、文脈がわからない人にツイート見られても大丈夫な言葉選びにするのは、自衛の手段かもしれないなと思うのでした。