Twitterしてたら「清貧ファシズム」という言葉にぶつかりました。
言葉そのものよりもその中身を説明する必要があります。具体的には下記リンクのようなこと。
「お金目当てで看護師になられると困るから.....」 「お金目当てで医師になられると.....」 「お金目当てで介護士」 あらゆるものに適応できる強烈な「清貧ファシズム」 ((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル https://t.co/Us0R0XkFFx
— dqndoc1019@冬の冷えに糖質制限 (@dqndoc1019) 2015, 11月 16
結論から言ってこの意識は問題があるよなぁ、と思っています。
しかし一方で「お金のためにサービス業に就く」という言葉のマイナス感は確かにある。これは認めておきましょう。なぜなら基本的に「お金のために○○の仕事をする」という文章は、一般的には賤業とレッテルを貼られがちな仕事でもない限り基本的に、どの職業でもマイナス感がつきます。
よって「お金のために○○の仕事をする」という言葉は、中身よりもそのフレーズがもうバイアスの塊みたいなもんなのです。これに惑わされないようにしないといけない。
んで、実際的に低所得であることがどうか、という点なんですが……色々考えてみましたが「職業選択の際のフィルタリングでは一定程度有効」と評価することができると思います。逆に言えば、それ以外ではあまり有効ではない、トータルでは得たいサービスに対しての実効としてはマイナスに振れてると思います。
有効面について。職業の選択理由のひとつ「好きかどうか」は、どの職を選択するかにおいて、ほかの要素を抑えてでも選択する可能性になりえます。いわゆる「夢を追っかける」というやつで、まさしく清貧。
けれど、これはほかに職業選択に影響のある全ての条件を無視していて、
・選択者にとって同程度好きな他の職業があるか
・雇用の口がどの程度あるか
・その職業の希望者がどの程度いるか
とかが必ず関わってくる。
ある職種について、賃金が低いと、
・同じ程度好きな職業で賃金が高いほうに人材が流れる
・同種の職業の雇用の口が十分にあり、希望者が少ない場合、同種の職業で賃金が高いほうに人材が流れる
みたいなことが起こります。
能力の高い人材が得られないから肝心のサービスの内容が下がるわけです。
んで、もっと関わってくるだろうなってのは雇用したあとの話で。好きかどうかは変動します。動機のときに「子どもが好きだから保育士」だったり「人を救いたいから医者」みたいな人だって、それが嫌になるときも訪れます。そのあとまた嫌じゃなくなったり、人間ってそういうもんです。
この国は職を変えたりするデメリットが結構大きくて、ひとつの職にとどまることを良しとする風潮があります。だから嫌になったときも簡単には離れられません。いわゆる経歴に傷がつくってやつです。
そういう時に心を支えるもののひとつに賃金の高さがあります。「仕事は大変、賃金は安い、でもこの仕事好き」から「好き」を取ったら何もないですが、「仕事は大変、でも賃金は高いし、この仕事好き」なら、仕事がいやになったときでも賃金っていうセーフティネットがあります。
で、もし「仕事は大変、賃金は安い、しかも好きじゃない」ってなったら何をコントロールするか。このうち自主的にコントロールできるのは「仕事の大変さ」です。つまり手を抜きます。これってサービスの受け手からは大ダメージです。
つまり、賃金が低いと、その仕事が好きな人を集められるかもしれないけれど、同時に能力の高い人を得づらくなるし、仕事は手抜きされやすくなるし、サービス業としてはトータルで見てすごくダメージ大きいと思うんですよね。
しかもそれが人命とか、子どもの安全にかかわることだとしたらすごく大きなことですし。
とはいえ清貧ファシズムという文脈においては、職業に就く人に対して「賃金の多寡で仕事を選ぶはけしからん、しかしサービスも下げるな」ってことになるんでしょうけど、実質的にそれは不可能だと思うので、ちゃんとした効果を得たいなら、雇用者の賃金が高く設定されてるほうがサービス得られると思います。