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ksk@ぴよによるノンジャンルみだれ手記

2015年秋アニメで観てるやつ、つまるとこ「ルパン」「コンクリートレボルティオ」「オルフェンズ」の話

というところでここでちょっと感想を述べてみたい。

 

ルパン三世

恐らく人々が観たいと思っているルパンの最大派閥をきちっととらえている、という印象で、それがつまりカリオストロルパンなのだろう……と思ってます。当時のアニメっぽい雰囲気と、いまの映像技術とを使ってなんて贅沢な……と思いつつ。気になるのは中心になる話みたいなのはあるのかっていうところで、観てる感じだとありそう。それにしても新しい声優の皆様がそれぞれ元の声優陣の演技に一生懸命寄せようとしてくださっているところが畏敬の念。すごいよねぇ。

 

コンクリートボルティオ

まだ3話観てません。が、やりたいことはこういうことか、というのはおぼろげながらつかめたので、あとはそれがどうたたまれるのかというところ。こういうふうにして一話でつかむ、というのは面白いなと思ったけれど「ん? 何が起こってるの?」とも思ったので、もう少し時代が動いたのだよというところは丁寧に見たかったかも。あと、事前に見てた絵柄と、アニメでの動きが全然違ってた。なんかもっと熱血熱血しているかと思っていたのだけど……

 

機動戦士ガンダム鉄血のオルフェンズ

印象的な三話。その感覚を説明できずに色々考えていたのだけれど、それはなんというか、自分が無意識にかけているブレーキだ、ということで説明がついた気がしてます。観た人に尋ねたいのは、三話最後のあの「ありが(バーン)」のシーン、観てどう思ったか、というところで、これが小気味いいと思うか、それとも「こりゃやべえ」と思うか。自分は「これ、なにか読み切れていない気がする」と思って観ていました。

もうちょい詳しく書きましょう。以下ネタバレもあるからね。主人公の三日月は、自分と自分のコミュニティ以外はごくごく端的に切り離している。それは単純に、生きることのうえで必要がなかったりするものはさくっと排除する、という方法論を得ているからで、それは全然おかしくない。「そういうふうになった」ということ。

けど、それはそれによってオルガとの関係、三日月にとっての世界が壊れないと完全に信じ切っているからであって、やっぱりふるまいとしては異常。この後、三日月とオルガとの関係に変化があったときにどうなるか、という伏線としてあるんですけども。

 

あの「ありが(バーン)」っていうか、大人の詭弁を遮断して自分たちの世界を生きる、っていうのって、現代の世代や層にとってはある種の願望みたいに存在しているところがあると思うんです。ちょっと社会派寄りになってきてあれなんですけど。絶対的に優位な立場から、自分たちの都合に合わせて美辞麗句を並べて、感情のあとに理屈をくっつけてくるような仕方を平気でする人に対する有無を言わさない攻撃。それができたらどんなに気分がよかっただろう、という想い、誰しもけっこうあると思うのです。

これ、キャラクターたちの力関係と、構造に気を付けて観てないと、へんに深いところに引っ張り込まれるような怖さがある。

だからこそ、場合によってオルガと三日月の関係は不変のまま別の困難を超える話、という可能性も考えられて、それはそれですっごく怖い展開だなと今から思っているのでした。

 

ということで、今期もアニメがおもしろい!