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ksk@ぴよによるノンジャンルみだれ手記

古本とか共有サイトでのコンテンツ消費をやめてねと作家がいうのは違うんじゃないかと思ってる話

よく、古本屋は作家にとって何らのプラスにもならないから新刊で買ってね、とか、youtubeで見ました! っていうファンがいてげんなりしたとかっていう話をtwitterのRTで見たりするんですが、それの言い方うんぬんはともかくとして、それを作家なりアーティスト側の人が言うっていうのは、なんか違うんじゃないかなと思っています。

 

が、それはかなり批判を受けそうな感じがするので、言い方を買えます。

 

仮にA君、小学生としましょう、A君は月のお小遣いが500円です。という前提条件を与えられたらどうでしょうか。

新刊、または定価のみで買うとすると。

A君は月のお小遣いでは市販のCDは買えません。漫画なら小さいサイズのコミックスが一冊で打ち止めです。

が、古本とyoutubeなどの動画サイトを利用したとすると、彼は108円の中古の漫画を4冊買うことができ、動画サイトで様々な映像を観ることができました。一か月あたりで定価のみの場合の数十倍の情報吸収量です。

 

この物言いが綺麗ではないのはわかっています。が、今問題にしたいのは「誰がそれを言うか」という話で、上記のような「古本とか動画サイトとか使用しないでよね」っていうのはよくよく、作家の側から出てたりするんです。

 

けど、真面目に考えたとして、仮に古本屋や動画共有サイトの利用がゼロになったときに

・作家の収入は増えるんでしょうか?

・社会全体の満足度は増えるんでしょうか?

というところは真面目に考えたほうがいいと思うのです。

 

で、確認したいところは、こういう中古訴訟っていうのは、ものにより作家側(というか、販売側)が負けているというところ。

 

記者の眼 - 実に“素直”な最高裁判決!)!)中古TVゲーム裁判:ITpro

 

ってことは、それはつまるところ「中古があるほうが社会的にもよい」という判断でもあります。

例えば本の中古販売がないとなると、大量の廃棄物、中古流通させられない在庫が発生するわけで、その時には再販制度とかが煽りを喰うと思います。しかたないから安値で売るとか、そういう戦略をとらないといけなくなる。

よって、たぶん古本屋や動画共有がなされないところで、作家の収入や社会の満足度にはそれほど寄与しないと思われます。むしろ、現状の流通構造に、作品に関わる人とコストの関係は適切か、というほうを考えたほうがよっぽど実利に貢献すると思う。

 

しかし。作家の言う「新品で買ってくれないと利益にならない」これは正しい。絶対的に正しいです。でもこれも一方で「流通」のことを考えてみると、多売のために受け手との間に距離をとったのは「作家による」選択なんです。それは当然と思われているけれど、現在の作品流通はできるだけ多くの人に/できるだけ利益を生むように、最適化されてきたと思います。

それは結果的に多くの人に作品を渡すことを可能にしたけれど、その代わりにフリーライダー、もしくは中古市場で作品を消費することの障壁も下げました。ここは恐らくトレードオフであり、確実に利益を得る代わりに作品に触れた人数を減らすか、それとも作品に触れた人たちが増える代わりに薄利多売とフリーライダーの存在を許すか、となってしまう。

 

これは圧倒的に、その作品を流通する作家の側に選択権があるはずです。

だから、そう思っていても「新品で買ってくれないと利益にならない」という啓蒙をしようとするのは、悪手だと思っています。

ではどうすればいいかというと、それは(都合のいいお話と思われるかもしれないけれど)中古流通や共有サイトを無視して「新品で買ってくれた人に優遇」をするしかないと思います。

あと「youtubeで見ました」とかは倫理とメディアリテラシの問題です。なぜなら全編、もしくは一部とはいえ大部分を無料公開するようなプロモーションも存在するからです。これを「タダで観ました!」と言ってしまうかどうかは倫理の問題だし「(実際は違法アップと知らずに)プロモーションだと思って観ました!」はリテラシーの問題。どちらも、新品で買うかどうか、ということとはちょっと一線を画す問題ではないかと思うのです。

 

なので、気持ちはわかるんですけど、古本とか動画共有サイトの利用を作家が受け手にやめてね、と直接いうのはよくなくて、倫理やメディアリテラシーの教育に力を注いだほうがいいと思うんですよね。