paper-view

ksk@ぴよによるノンジャンルみだれ手記

「バケモノの子」を観てきたんだけど、細田監督のことポスト宮崎駿とかって言うの絶対やめたほうがいいなと思った話[ネタバレあり]

宮崎監督は飛行機と少女の人、細田監督はケモナーでショタの人。

よって細田監督をポスト宮崎駿とするとびっくりするくらい映画のポイントを見失う。

 

といいつつ「描きたいもの」のためにどういう画の構成をするか? といったところでそれを感じるというのはなんとなくわかります。多分今回のバケモノの子は雰囲気で「千と千尋の~」とかと比べられたりするのかもしんない、なんて。

けど僕はそれは違うよなー、と思ってます。

 

以下、もっとネタバレ含んでいくので未見はご注意。

 

 

上記でいろいろ書いたんですけど、中身として僕が関連して想起したのは「大地の子」(山崎豊子)だったんです。それは単純に「アイデンティティ」が問われる問題だから。タイトルも似てるでしょ。

これを仮に「千と千尋の神隠し」の文脈で見てしまうと、九太の行った先って単純に異世界で終わってしまう。あれは「行って、成長して、帰ってくる」話であることは同じかもしれないけれど、千(千尋)にはきちんと心のよりどころが元の世界にあって、そこに「帰ろう」と思うわけで。

 

大地の子」ですけども、あれは主人公が「母を失い、父と別れて」「自分のアイデンティティがない場所で新しい父と生活し」「その父を新たなアイデンティティとして生き」「遺伝子上の父と出会い」「自分のアイデンティティの拠所を自己決定する」ってな感じの流れなので、結末は違うけれどすごく構成が似ています。

 

最終的に「大地の子」では、主人公がアイデンティティを日本に置くか、中国に置くかの場面で「私はこの大地の子です」と言います。

 

「バケモノの子」は、主人公が「母を失い、父と会えず」「自分のアイデンティティを放棄して新しい家族と生活し」「その家族を新たなアイデンティティとして生き」「遺伝子上の父と出会い」「自分のアイデンティティを胸に、自己決定して生まれの世界に戻る」という流れ。そして最後には「バケモノの子」というタイトルコール。

バケモノの子、の中では、彼らは基本的に「親子である」という確認を取っていないので、実は明示的にそれを表しているのはタイトルだけなんですよね。で、ラストのタイトルで「遺伝上の父と生活するけど、彼のアイデンティティはバケモノの子なんだ」とわかるようしかけになっている。

 

と、いうことで、バケモノの子は比べるなら「大地の子」だと思いますよ、と。重い話なので読むべきかというと特別に薦めたりはしませんが。

 

そんで、映画の総評としましては、世界観がものすごく広かったので、二時間で語り切れなかった部分がもったいないという評価は必ずあるでしょう。これは映画の作り方でそれを許せる人は許せるだろうし、許せない人はマイナス評価にしてしまうだろうと思います。今までの細田監督作品からするとかなり、語り切れていない。登場人物の使い方が弱い。中でもヒロインっぽい立ち位置のキャラが若干とってつけたような存在になってしまっているところは、もったいない。要らないキャラじゃないんですけど「弱い」んですよね、存在感が。

一方で全面こんなにケモノとショタが出まくっていたら「なるほど細田監督、こりゃあなるほどなー!!」ってなるのは当然で、こんなにやりたいことやりまくりよって! という評価になると思います。ここでは逆にヒロインの扱いが薄いのはプラス要素にすらなりうる局面。

 

と、いうのが観た感想でした。映像的にはとにかく一番最初の語りの映像がよくて、ここだけで「今までの家族モノとはちょっと違う雰囲気のものを作るんだな」というのが判ってよかったです。

この映画のレビューがどっちにふれるか、本当に人や立脚点で変わると思うので、楽しみ。