paper-view

ksk@ぴよによるノンジャンルみだれ手記

自分大好き

 先ほどリブログしましたこちら。

http://paperview-piyo.tumblr.com/post/111461847045


paper-view [Tumblr], 人に好かれる能力は、人を好きになることでしか育まれないからね。

 

に、ついて自分がコメントしましたのがこちら

 なんですが、実はこれでは少し片手落ちだなと自分で思っておりまして。

「自分が好きな人」というのは、自分に自信があるという意味でそんなにネガティブではなく、必ずしもマイナスな表現とはなりえない。

そしてもっと面倒なのは、この好きという感情は表明と内面によくズレが生じることなのです。

つまり。

「人の事が好きな人」と「『人の事が好きな自分』を好きな人」の見分けはとても難しい。

 

場合分けしていくと、

■他人が好きかどうか

「人の事が好きで、人も自分も好きな人」

「人の事が好きな自分が好きで、実は人の事はあんまり好きじゃない人」

「人の事が好きで、自分の事はそんなに好きじゃない人」

「人の事が好きなポーズだけしてるけど、自分も他人もそんなに好きじゃない人」

ってな感じです。

これを見分けるのは至難の業です。付き合いが深くなって「この人ひょっとするとこうかも」って思うくらいのもん。

 

しかし、タンブラーやツイッターで取り上げたことについてわざわざ新たにエントリ作ってまで述べるのは別の目的がありまして、タンブラー引用にコメントをしてから一番強く思ったのは

「でも、ほんとに人に一定以上のレベルで好かれてないのは『傷つきたくないと思ってる人』だな」

ということなのです。

 

「好き」ってのはレベルが色々ありますので、これもまた面倒なんです。

あの人となら同じ空間に居られるな、というレベルの好きと、あの人となら褥を共にできるな、というレベルの好きは同じ「好き」という言葉を使っておきながら全然深さが違う。

よって「一定以上のレベル」と申し上げてみました。

 

これ以上分類しだすとボロが出て、支離滅裂になりますのでシンプルを努めますと、「傷つきたくない」と思っている人は自己を否定されるのを恐れてか、一定以上の自分を晒したりはしない。もっというと「心は開いてない」。

一歩レベルが上がると「他人を傷つけているわけではない」自信があって「自分は好かれていたい」と思っていたりして、他人に対する承認欲求はすごく強い。

さらにレベルが上がってしまうと「自分は悪くない」(実際悪いわけではない)ので人間関係が思った通りにいかないときに「他人が悪い」に落っこちていったりする。

 

と、いう風に考えているのです。考えているというか、ティーンの頃の僕自身がそうでしたので、自信をもってそうお伝えすることができます。

それで結構致命的に人との関係が悪くなったこともありましたし、不安定でした。

 

僕はいくつかの喪失を持って「これはまずい」と思うところから立ち直り、現在(たまにそういう兆候を見せることはありつつも)それなりに傷つくことを恐れずに生きておりますが、それがティーンの頃じゃなくて、もっと大学だったり会社とかの組織に入ってからだと、その人間性から脱却するのは結構大変だったんじゃないかと思うんです。

なぜなら、みんな必要以上に近づかなくても人間関係成立しちゃうようになるからね。

 

そういうわけで、人に好かれる能力は人を好きになることではぐくまれる、という言葉の中身、これってもう少し掘り下げることができると思うし、僕が実体験からこの言葉を言い換えるなら「傷つくことや喪失を怖がっているうちは、人から深く好かれるってこともないと思うよ」ということになると思うんですよね。