paper-view

ksk@ぴよによるノンジャンルみだれ手記

演奏オフの楽譜ってもっといろいろ書いてあったほうがいいんじゃないですかっていう話

楽譜のプロダクトデザインの話をします。

 

この記事には「演奏オフの楽譜ってもっといろいろ書いてあったほうがいいんじゃないですか」ってことが書いてあるので「たしかにそうだよな」と思っている方がこの続きを読んでも大して得るものはないと思います。もっといろいろ書いてあったほうがいいよね。

 

では続けます。

 

演奏オフ、というものの定義については「その日オープン募集で集まったメンバーで(自作の)楽譜を演奏し、解散する」というものを想定しています。

 

こういう方法で演奏する、という形式を、現代で見る一般的な「楽譜」が想定しているかというと、おそらくしていないと思うんですね。

 

我々が普段見る楽譜というのはざっくりと考えれば

・プロ奏者がそのプロ奏者に求められる力量で迅速に十分リハーサルに臨める情報量

・アマ奏者がコンサートやライブ本番までじっくりと取り組みリハーサルに臨める情報量

に最適化されているのではないかと思っています。

 

つまり演奏オフのような

・アマ奏者がその日一日だけその楽譜を演奏し、解散する

というのは、一般的に見る楽譜が想定していない用途のだと思うのです。

 

 

なぜそう思うのかについて。

google等で「楽譜」「汚い」で検索を行うと、過剰なまでに書き込みがなされた楽譜が表示されます。この楽譜画像についてのネガティブな意見は多いのですが、どうしてここまでの書き込みがなされたのか、なされることが合理的になるのか、と考えてみると、つまりは

・練習を重ねるにつれて、必要な追加の情報を繰り返し書き込み反復で内面化する

・練習を重ねるにつれて、当初そこに書かれていた情報は奏者本人に記憶され不要になった

ということが同時に起こり、それが極端化することで、追加された情報だけが見えるように残されたか、もしくはそれすらも不要になったため楽譜であった「紙面」を形式的に譜面台に配置すればよくなった、のではないかと思うのです。

 

その方法がいいのかどうかは置いておいて、つまり楽譜には「書き込みをする」。

・時間経過=習熟によって情報が追記されるための余白が想定されている

ということになります。

 

楽譜は視覚で受け取る媒体ですので、楽譜上の情報が過剰になることによって、本来吸収すべき情報が吸収されない事態は望ましくありません。作編曲者が想定した演奏方法は楽譜に書かれている情報以上に言語で、もしくは非言語で存在していると思われますが、それらをすべて事細かに記述する手段をとると、煩雑であることによってその効果は損なわれる。

 

だから、通常使用される楽譜は情報量が制限されており、アマ奏者の習熟とともに書き込みによって変化していく。

(プロフェッショナルで予想すると、プロは通常に書かれている楽譜に対し共通して、アマチュアよりも高度な段階の共通認識を持っており、通常の楽譜の情報量で充分に習熟した演奏に到達することができる。)

 

マチュアではその間を指揮者、指導者が埋めていく、ということなのだと思います。

 

楽譜を使用して演奏するには、高い水準の認識か、もしくは一定の時間や指導を経て習熟することが必要、ということです。

 

が、演奏オフはそのどちらの条件も欠落することが多いです。時間は一日しかないし、演奏技術も、お作法までバラバラです。

 

それならば、翻って、楽譜は「演奏オフ」においてはより情報量を持ったほうがいいのではないでしょうか。

一般的な演奏会を目指すタイプの集団では普通に起こる合奏で調整する、演奏者が自身で書き込みを入れる、反復することで身に着ける、そういうものがすべて欠落していくのが演奏オフですので、楽譜が採用しなかったけど必要なものが、補われないまま消えていく。

 

楽譜を主体としてここまで書き綴ってきたので、言い換えます。

「演奏オフの場合は、楽譜の情報量を増やしたほうが演奏が上手くなると思う」

ということです。

 

ここは躓きやすいから気を付けてねとか。テンポぶれやすいからねとか。臨時記号気を付けてねとか。落ち着いてねとか。新たな発想記号を生み出していくのもいいかもしれない。

近年ではタブレット端末に楽譜を表示する人も増えていますから、そうなるとさらに書き込みはしづらい環境になっていくわけで、最初から書いてある情報の重要性は増すと思います。

 

演奏オフ、という形態はこれまで想定されてこなかったのだから、それに合わせて楽譜のプロダクトデザインは変化したほうがいいアウトプットになるんじゃないかな、と思うのです。

 

ここからは蛇足です。

 

そういう風に思うのは、自分は集団、というのはおおむね一定の性質を持っていて、オープン募集ならどんな地方・条件でやって、人が変わっても大体「同じような結果になる」と考えているので、唯一クオリティがコントロール可能である「楽譜」にこそ気を使うべき、と思うからです。

 

でも、なかなかそうはならないんだろうな、と思います。たとえば下記のような理由で。

 

・奏者の引きが悪かった、と言えてしまう

 オープン募集なので、今日はうまい奏者が居なかったんだよねー、っていえば楽譜の完成度は問題になりません。

 

・そもそも、お手本となる「演奏オフ最適化」の楽譜が存在しない

 大体楽譜にはこのくらいのことが書いてあるよな、というお手本は既存の楽譜=演奏オフを想定されていないデザインの楽譜になるので、どの程度の書き込みが適当なのか基準がない

 

・しんどい作業のゴールの先を走らなくてはならない

 楽譜制作自体がかなり困難なのに、一般的な認識で言えば「完成している」楽譜にさらに手を加えなくてはならない作業が苦痛

 

・こだわったところで大して有難がられない

 そもそもプロダクトデザインに「気づいてないけど行動がコントロールされる」という側面があるので、こだわったところで書いた人の苦労や工夫はなかなか気づいてもらえない

 

・締め切りを破る

 楽譜制作自体がかなり困難なので、締め切りはギリギリになるし、手を出さずに/出せずに終わるし、そもそも制作者にとっての目標にならない

 

こんな感じです。

 

が、こういう「演奏オフ」の形式が今後もっと拡がっていくなら「演奏オフ特化」の楽譜、という認識が拡がったほうが、充実した結果が生まれるんじゃないかと思います。