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ksk@ぴよによるノンジャンルみだれ手記

劇場という装置の話~観劇中にスマホを弄る人の話題から~

先日、映画館でじっと映画を観ていられないでスマートフォンを弄る人たちの話が話題になりました。

テレビ朝日のモーニングショーという番組だったようです。

twitterで話題だったのでtogetterにリンク張っておきます。

 

togetter.com

 

このエントリでは、劇場は作品の一部であるという主張をしたいと思っています。

 

映画館だけでなく、ライブイベントや演奏会などでは、観客と主催者側の契約の関係でその場にいることを拒否させることができると見た記憶があります。

そのため、このような映画館での上映については、基本的に自分を含めた多くの人は映画を上映する人ではなく、単純に観客ですので、周りの人間に対してどうだこうだという権利そのものがありません。

ライブではUOグルグルマンと呼ばれるような人がスタッフに注意されたり、やりすぎると退場させられたりということがありますし、自分も演奏会のドアマンスタッフをしていたとき、禁止されている録画を行っている観客を直接注意したことがあります。

映画では、この注意をする権利がある人は主催側、映画館のスタッフということになりますので、観客としてできる手段は「鑑賞を妨げる人間が居たらスタッフに対処させる」ということなんですが、だいたいの映画観では上映中にスタッフは居ませんから、スタッフを通してご退場いただくという手段はだいぶ壊れてしまっていて、実質的に機能しない状態です。

現状、映画においては「マナーが悪そうなときに映画館に行かない」というのが実質的な対処になってしまっていて、映画の日やレディースデイなど、実質的に映画が値下げされる日に行かないになっているのはなかなか頭の痛い問題だなと思います。

 

 

さて、それと関係して最近、たまたま堀江貴文氏のnoteを読んでいたら、ミュージカル出演するという記事の中にこの話題に関連するものを見つけました。

 

note.com

 

引用しましょう。

不思議なことに多くの芝居は食事時に上演されるのに観劇前か後に食べなければならない。それどころか「飲食禁止」。つまり水すら飲むなということなのである。古くからある「歌舞伎」などは飲食OKだし、映画館もそうだ。なぜか芝居だけは役者の気が散るからとか色々な理由で飲食禁止なのである。美味しい料理を食べながら観劇できれば裾野が広がるのではないか。それも今回のミュージカルの目的である。場所探しは難航した。飲食スペースを取れる、そして飲食OKの施設がほとんどないのだ。 

 

この「不思議なことに」がどこにかかるのかによりますが、 先の話題とこの話題、どちらも「劇場」という装置についてもっと意識したほうがいい、と自分は思っていました。

 

家で映画を観るよりも映画館で観るほうが臨場感がある、などと言われたりしますが、つまりそれがなんなのかというと「劇場」という装置によって没入感にブーストがかかるからだと思っています。家でディスクや配信によって作品を見る、それも構わないけれど、劇場の椅子に拘束されていない状態というのは、拘束されている状態で観るのとは作品の主観的評価に大きな影響が出る。

 

劇場という「装置」が作品の一部なのですから、装置の機能を妨げるのならば、作品を妨げると言って構わないと思います。

 

映画館や歌舞伎で飲食がOK、というものについては劇場の使用用途の問題であると考えられます。映画館や歌舞伎は、いずれも専用劇場ですからそれ以外の用途には基本、使用されません。責任者も同一。でも劇場(ホール)は他の用途にも使用するし、興行主も変わるので、運用のレベルはもっとも厳しいところで同じにした方が良いでしょう。

 

ということで、ある観客の我慢ができなかろうが、何かの画面を見たいと思おうが、その感情自体は妨げるものではないし、客にはどうこう言えない立場なので黙ってるしかないと思いますが、その結果の行動として装置=作品の一部を妨げるのであればそれは主目的を害するので容認されません。よって、劇場は作品の一部であるという主張をもっと広げていくべきだと思います。

 

劇場が作品の一部であるという主張を入れないと「客が不快だ」という問題に対して「じゃあ家で観れば」というカウンターが打ててしまいます。もちろん、映画館で観るということと家で観るということが違うのだ、というのは多くの人に受け入れられると思いますが、それが「なぜなのか」をきちんと言語化した方がいいと思います。

 

その文脈をきちんと言語化しないと「劇場という舞台装置を敢えて破る」という演出が使えなくなります。

例えば自分が所属するバンドではwebサイトと上演内容を連動させるためにスマートホン利用を推奨したことがありました。

また、以前にコンサートを観劇した時、携帯電話のライトをペンライト代わりにするという主催の指示を受けたこともあります。

もし文脈からマナーが放たれてしまい「なぜ」が舞台装置論から離れてマナーはマナーとして守るべきと独立していると、こういう演出を合理的に説明できません。

 

劇場そのものは、物体としては作品とは独立して存在するものですが、劇場そのものも作品の一部である、という認識を拡げるのが必要なのではないでしょうか。