多少ネガティブな話です。
夏ころに公開された表記の映画について書いた記事が、それなりの数閲覧されました。
この記事についてはいくつかのコメントやSNSでの反応を貰っていて、自分がこの映画を肯定的に見ていると評していただいているものが多かったと思います。
が、僕自身はこの映画を諸手を上げて「”よい”映画だった」とは思っていませんし、そう書いてもいません。
最初にしっかりと「批判をしない、批判のアンチにもならないし擁護もしない」と書いているのですが、それでも肯定的であると取られることが多かったように思います。
記事で書いたことについては、そういう狙い(ドラゴンクエストVという原典に繋げる)があったのだろう、と思って書いていて、それをよしとするかどうかについては「映画」というメディアに対する各人の想いがあるでしょうから、評価はそれによると思いますし、自分自身は、映画は映画だけで完結しなくてはならないものだとは思っていません。
ということで、ここでは、当時に明示的に書かなかったことを追記しておきます。
"よい"映画だとは思いませんが"すごい"映画だとは思いました。それは元の記事に書いた「continue your adventure」が、製作者の視聴者に対する防御装置として作用してしまうと思った点です。この映画はその意味ですごく優しくない。
つまり映画を観た結果が「ドラゴンクエストユアストーリーはものすごくつまらない映画だったし、ドラゴンクエストVの思い出を踏みにじるひどいものだ」と感じた場合はそれがその人のadventureであり「ドラゴンクエストユアストーリーを見て昔を思い出し(または、はじめて興味を持ち)ドラゴンクエストVをプレイした」のならそれがその人のadventureになる。
adventureの中身は、その人の気の持ちよう、感じ方によって変わってしまうわけです。それがyour story、adventureだと言ってしまっていると、僕は感じたのです。
映画の評価は当然、観る人によって自由なものですが、映画の狙い自体がドラゴンクエストVに立ち返らせるもので、その大儀のもとにcontinue "your" adventureとつけたことで「その映画の評価は"あなたの"気持ちですよ」ということを浮き彫りにしてしまっている。
それは根源的なことで、評価する、というのは必ず主観的なことなんですが、それをわざわざ宣言することで、映画としての評価を鑑賞者の主観へと逸らしてしまうことができる。
恐らく確実に起こるであろう「ドラゴンクエストVだと思って観に行った人からの批判」をあなたのadventureだよとしてしまう防御装置。あなたは「ドラゴンクエストユアストーリー」という他者のドラゴンクエストV実況プレイはつまらないと断じた。それは自由だが、それで終わりなら、your storyはそこまでだ、とつきつけているような感覚。
やってはいけないことではないんですが、なかなか辛辣だと思いました。
そろそろほとぼりが冷めたころだと思うので、追記しておきます。