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ksk@ぴよによるノンジャンルみだれ手記

【ネタバレ】ドラゴンクエスト YOUR STORY 感想と憶測

追記あり(追記箇所は記事最終箇所に詳記)

 

映画「ドラゴンクエスト YOUR STORY」を観てきました。(STORYのRは正確にはЯと反転して表記)

 

dq-movie.com

 

以降はドラゴンクエスト各ナンバリングシリーズと区別してDQYSと表記します。

また各ナンバリングタイトルはDQ1、というように数字で表記。

この記事ではDQYSとDQ5、およびDQナンバリングタイトルのネタバレを含みます。特にDQ11についても言及しますので、先を読む場合はご留意ください。

 

 

ところで、ドラゴンクエスト5をはじめてプレイしたのは発売の頃、1992年の発売なので一番遊んでいたのは1993年ころかと思います。最初のプレイではキラーパンサーにはボロンゴと名付け……あれ、チロルだったかな……ヒロインはフローラを選びました。

今はビアンカ/フローラ(/デボラ)の話題になると「そもそもあれはビアンカか、天空の盾かっていう選択なんだよ」という話を最初にするなどしていたんですけど、当時はそこまで深く考えていませんでした。

つい最近までは、イオナズンが使えるから、とか、おしとやかなお嬢様に憧れがあって、とかだったと記憶していたんですけど、ふっと、ベビーパンサーの件で連れまわされたのと、その結果パパスから(口ごたえできずに)怒られたのはものすごい理不尽案件として少年時代の自分の嫌な記憶になり、ビアンカを下げたのだったなと思いだしたりしました。

 

今はそう言う風に振り回されたり、パパスから怒られたりしても大して心に響かない。大人になってからは幼少期の主人公とも青年期の主人公とも距離を置いたプレーヤーになりました。なってしまいました。ビアンカを選択することが多くなりましたが、小説版の影響と、メラゾーマ採用と、あと人間関係としてぜんぜん知らん人(フローラ)と結婚しがたいと思うようになり、自身の社会性の変化も感じているところです。

 

脇道にそれましたが映画の話に戻ります。

今回観るにあたっては、

・2月の発表時点の報を知っていた

・公開後ネタバレを読んだ

・その後、各種のニュースや個々人の感想等を読んだ

これらの条件下で、自分なりの仮説を立てて観に行くことにしました。

 

先に結論の一部を述べておきますが、ここからの記事では、他の各所で話題になっているような、DQYSを批判するようなことを書きません。

逆に、DQYSの批判に対するアンチの立場を取ることもしません。

擁護もしません。

「DQYSが狙ったこと」の仮説と、その仮説に沿って観た感想を書きます。

 

DQYSが狙ったことは「ドラゴンクエスト(5)をプレイさせること」です。

 

2月に発表があったとき、自分が着目したのは「ドラゴンクエスト5を”原案として”」と書かれたその一点でした。

表題はドラゴンクエスト YOUR STORYだったため、なるほどこれはDQ5「ではない」んだな、という理解をしていました。

となると、どうするのか。

端的に、DQをそのまま映画化するのは無理だろうと思いました。理由は簡単で、選択肢のルートを固めてしまうことによって「正史」みたいなものを決めてしまうためです。

DQ5は「誰と」「どこへ行き」「何をしたか」というプレーヤー体験がエンタメの中心を担っています。

だから、ビアンカを映像化してしまうとフローラは選ばれなかったことになるし、ベビーパンサーの名前にボロンゴと名付けてしまうと他の名前は選ばれなかったことになる。

だから、DQ5はどの可能性を選択しても、選択しなかった可能性が殺されます。「コレジャナイDQ5」が産まれるんです。

 

監修で携わっておられる堀井雄二さんもゲーム体験を映画化する困難には言及しています。

1986年「DQ」第1作が発売され、一大ブームを巻き起こしている最中、早くも映画化の打診があったという堀井。「当時、『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』(1988年)を映画化しようという話があったのですが、お断りしたんです。ゲームは体験してこそ面白さがわかるもの。それを映画にして客観的に観ても、面白くないでしょう? と」。

「ドラゴンクエスト」生みの親・堀井雄二、映画化で山崎貴総監督にお願いした2つのこと - シネマトゥデイ

 

となると「親子三代の物語」として「勇者ではなかった自分」「勇者の父となる自分」の物語として描くならできる。事実上、ビアンカかフローラか(デボラ)のどちらかを排して、もしくは融合したキャラクターとする。これならできるかも。

 

ということを考えてたら、キービジュアルにビアンカもフローラも出てきました。ちょっとびっくりしました。そんな難しいことに挑戦するのか、と。

でも、やっぱり「原案」であって5ではなく、副題も天空の花嫁でなく「YOUR STORY」と記載されているのだから、これは当然DQ5の映画じゃない。ビジュアルからDQ5の映画として観た人のうちの何割かは「これじゃない」と言うに違いない。なぜなら、プレイした人によって無数の「DQ5体験」があるから。どのルートを通ったって「コレジャナイ」が産まれる。ううん、これはなかなか悩ましい映画だぞ、と思っていました。

 

公開され、やっぱりタイムラインには批判がたくさん流れてきました。その中には「YS」じゃなくて「5映画」と書いてるものもたくさんありました。

(公開時、そんなに観に行くつもりがなかったのもあるのですが)不用意に調べるうちに結末を知り「なぜそれをしたのか?」に強い興味が沸きました。

以上のような経緯で、自分は結末を知ってから映画を鑑賞しています。

 

DQ5を映画化するのが困難だなんてことは、たとえDQ5のプレイ経験がなかったとしても、外の評判からだけでもすぐに判るはずなんです。そういうことが判らない人がモノづくりに携わっているはずがない。

というか、監督本人のインタビューでもそれは触れられている。

 

「堀井さんの言葉はうれしい反面、『本当にこの企画が動き出すんだ』という怖さもありましたね。僕も実は4年前からオファーをいただいていたんですが、ずっとお断りしていたんです。なぜなら、ゲームは人によっては何十時間もやるメディアですから感情移入の幅が半端ない。それを映画という技法で対抗するのは難しいなと。そもそもゲームを映画化してうまくいった作品をあまりよく知らないので」 

 (元記事は同上)

では、なぜYSとして映画化したのかについては、こういうふうに語られています。

 

4年前に最初にオファーを受けた時は、ゲームと映画は似ているようで実は凄く違うメディアなので、正直無理だと思い断りました。でもちょっといろいろ試しているうちに映画として勝負できる手を思いついて 

 

映画『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』公式サイト|COMMENTS

 

ではこの「勝負できる手」が「メタ化」なのか。それは半分正解で半分間違いだと思います。

メタ化してYSとしたところで、縮小再生産になることは目に見えているからです。それが判らないわけがない。

プレイしなくては真の面白みが伝わらないものを、どうやって映画で伝えるのか。その「勝負手」が「映画を観たことによってDQ5のプレイに繋ぐ」ということなのではないでしょうか。

 

仮に「DQ5」の映画化に完璧に成功したとします。

そしたら、もうゲームの「DQ5」をプレイする理由はなくなります。映画で選ばれなかった花嫁は選ばれなくなります。映画で仲間にされなかったモンスターは映画にとって仲間じゃなくなり、オミットされたイベントも映画にとってイベントじゃなくなり、DQ5は(概ね)ひとつに収束します。

DQ5を通しでプレイするには20~30時間程度を要します。仮に2時間、3部作くらいで作ったとして6時間、これに主要なイベントをしっかり収めきられてしまったら、世の中のDQ5体験は映画に収束します。

2(3)人のヒロイン、ベビーパンサーがもつ4つの名前、50以上いる仲間モンスターからピックアップされた物語は、DQ5であっても「DQ5のプレイ体験」にはなりえない。

 

ペルソナ4のアニメ化ではイベントを網羅していました。ペルソナ3の映画化もお話を網羅していました。シュタインズゲートも、ロボティクスノーツも網羅していました。

じゃあそれはゲーム体験に繋がったか。「ゲームをする理由がなくなった」のではないか。今上記の作品を薦めるとしたら、僕はゲームよりアニメや映画、漫画等を薦めます。短い時間でお話を全部網羅できるからです。

 

いや、ゲームを勧めるよ、というのもあると思うんですよ。ではそのゲームって最後までちゃんと遊ばれるんでしょうか。ペルソナ4とか70時間くらいかかりました。しかももう5出てるのに。

 

だから、DQYSはDQ5のお話を「描く」を目指さなかった。おそらくこれは「DQ5を『今』『プレイしてもらう』」ということに特化している。

そして、それに大成功していると言っていいと思います。8/4時点で、9年前に発売されたDSリメイク版がamazonゲームランキングで4位、アプリ版はAppleのアプリストアで有料ゲームトップです。

今までメディアミックスによってこんなに原点に立ち返らせた、実際にプレイするまで導かせたものを知らないです。今2019年です。最初のDQ5が発売されてから27年です。27年前の作品を「もう一度同じ形で」遊ばせようとしている。

 

その観点で見ていくと、いかにして「批判が生じた場合、"YSだけ"に集中させるか」に成功しているかに感心します。

批判文脈の中で「キャラクターのコレジャナイ」を殆ど見ていないんです。ビアンカもフローラも、そのほかのキャラもきちんと描かれている。エラーが少ない。

キャラクターの使用する魔法も原作に則っている。唯一、男の子が使う「ルーラ」だけが本編で使用できない。(YSに登場しない女の子がルーラを使うことができる)

アイテムの造形も完璧に原作通り。

冒頭のドット表現の箇所では、SFC版では存在しない幼年期フローラの画像を追加する。4:3の画面で。

 

そんなこと、「ドラゴンクエストを良く知らない人」とか「ドラゴンクエストを愛していない人」にはできないと思います。この映画、ものすごくドラゴンクエストを理解している。

 

8月、夏休み。3DCGアニメで作られた「DQYS」は、放映時間は103分。特撮ヒーロー映画やドラえもん等のファミリー向け映画と同等。監督チームはSTAND BY ME ドラえもん。ノベライズ版は集英社ダッシュエックス文庫集英社みらい文庫から。これは明らかにファミリー向け映画、当時プレイした親御さんと子供が観に行くための映画です。

そして映画が終わり、お父さんお母さんは財布のひもを開くでしょう。子供に、お父さんお母さん自身が体験した「DQ5」を伝えるために。「DQYS」である映画だけで終わらせないために。完璧じゃないですか。しかもそこで登場するキャラクターは映画とエラーがない。お父さんお母さんもお盆休みがあれば、DQ5をもう一度遊ぶ時間を取れるかも。

 

映画の最後で、自分にとっての確信は更に強まりました。

 

DQは5以降「エンディング後」が追加されていったゲームです。それまでエンディングを見て終わる「ゲーム」を拡張していくことを続けていました。

いつも斜体で「fin」または「The End」が表示されるところに、9以降では「to be continued」が表示され、エンディングが終わりではないことを明示してきたシリーズです。DQ11なんて最初のエンディングでは話が解決しない。

DQYSではこの最後のタイミングで「continue to your story」と表示されます。(※)このyour storyとは何か。「映画を観た人がプレイするDQ5」です。

映画は当然「あなた=観客のストーリー」ではない。映画の主人公になったプレーヤーのストーリーである。「あなたのストーリー」は"STORY"の内に"Я"(=ロシア語で「I=私」)が参画することで成立する。

※8/12 どうも continue your adventureのようなのですが、論旨に支障はないため訂正しないままとします。

 

 

DQYSの"リュカ"を演じた佐藤健さんのコメントを引用します。

そんなドラゴンクエストの主人公の声を務めさせて頂くということで責任重大なわけですが、どうなのでしょう、不安です。しかし佐藤なんかに任せてらんねえよという方にも是非この映画を観に来て頂きたいのです。何故ならこの物語の主人公は僕が演じた“リュカ”ではなく、紛れもなく今の時代を生きる“あなた”なのですから。

映画『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』公式サイト|COMMENTS

 

 

 

だから、"DQYS"の大人=現役で遊んでいた世代からの評価が低いことなんて何も問題じゃないです。DQYSを通ってもDQ5の評価は落ちません。

DQ5が発売されてから27年、こんなに人々が一斉にDQ5をプレイしはじめ、新世代にDQ5を伝え、DQ5が話題を席巻する。

DQYSはDQ5という「『私』が参画することで完成するゲームという媒体」をもう一度最前線に持ってくる映画なんです。しかも「正史」を作らずに。

 

それが「映画として正しいのか」は、その人の映画観にお任せせざるをえません。三幕構成だけが映画じゃないし、ドキュメンタリーや社会派など、映画単体だけで完結できない映画はいくらでもあると思うし、DQYSも多分そうです。

DQYSはきっとDQ5のメディアミックスとして異端に置かれるけれど、これ以上にDQ5という原典に導いたメディアミックスは、たぶん今後ないんじゃないかと思います。

 

総監督はこう述べてます。

それから是非ドラゴンクエストに触れたことがない人たちにも観てもらいたいです。この映画で「こんなに凄い世界があるんだ!」と感じてもらい、この映画をきっかけにゲームに触れて頂く。そんな“ドラゴンクエストワールドへの入り口”の役目も果たせたら嬉しいです。

 

きっと、見た人の中のDQ5の過去のプレイ、または再プレイ、または初プレイに繋がれば、映画の評価がどうでも、今こんなにDQ5=「私のストーリー」が語られてるだけで、DQYSの勝ちなんです。

 

 

余談を二点ほど。

またこの件で、小説版の作者久美沙織氏から物言いがありましたが、なんだか変だ、と思っています。久美沙織氏の公開されている訴状によると(経緯段階ですが)下記の通り書かれてます。

 

DRAGON QUEST YOUR STORY」のノベライズを出版予定の出版社が別にあるため、紛らわしくなり、また、その出版社に不快を与えるため不可、とのご連絡でした。

久美沙織氏が公開している訴状より)

 

でも、映画公式サイトの「関連グッズ」にはずっと久美沙織氏の小説が並んでいて、逆に公式ノベライズは、存在していますが関連グッズに挙げられていません。

これについては展望を待ちます。

が、上記のようなことを鑑みて邪推と憶測を深めると「小説版」が「正史」になるのもまた避けられてしかるべき。

YSの主人公が「リュカ」を主人公の名前に選択し、それが「小説を読んだことに起因」し、さらにそれが「毎回ビアンカを選んでしまう」理由なら、首がもげるほど頷けます。

これはもう、久美沙織氏との争いになっちゃったのは「製作委員会方式って、めんどくさいこともあるよね」でいいような気がしています。

ちょっと時間が経って、新規プレーヤーが「ゲーム」側の原点にしっかり触れたころに原作小説が売り切れ(8/5現在)から回復して、ゲームの補完、追体験、アナザーストーリーとして小説版が再度売れるのが良い流れではないでしょうか。

ついでにスタッフロールも更新されて。ニュースにもなって。てな流れで。YSを土台にして、新規参入勢の「your story」が出来上がった頃、久美沙織小説版も大いに再度話題になっていただきたいです。kindle版も出しちゃってさ。そういうプロレスだったなら最高だなぁ。

 

もう一点。これは「ゲームを映画化する」について「原点に触れさせる」ための成功例になると思います。(たぶん、ユーザーにはあまり届くことのないところで、数字が証明する)でも、気持ちとしてはこのパターンは今回だけで終えて欲しいところです。一つ素晴らしい例が出ると、その表面をなぞった劣化版が出てしまうのはよくあることで「低クオリティで作れば本編が売れる!」みたいな粗品乱造が起こると(ユーザーの精神的にも)よろしくないからです。

 

以上です。ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

最初にDQ5の思い出を述べました。これを読んだ方が最後にDQ5をプレイしたのはいつでしょうか。自分はたぶん11年くらい前のPS2版です。子供の頃にプレイした人は大人になってからプレイすると、世界に対する見方の変化を愉しめると思います。誰かにプレイを勧める人は、その人の初めてのプレイを楽しめると思います。

そういう素晴らしいゲームがDQ5で、発売から27年経った今、最大のチャンスが訪れています。

 

プレーヤー自身が参画しての「your story」です。よきDQ5を。

 

8/6追記/佐藤健さんのコメント引用を追記

8/7追記/放映時間等ファミリー映画部分を追記、表現を調整

8/12追記 continue your adventureのようだったため補記