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ksk@ぴよによるノンジャンルみだれ手記

映画「未来のミライ」の話

細田守監督の映画「未来のミライ」の批判的感想を書きます。

 

mirai-no-mirai.jp

 

ネタバレをしますので、未見の方は注意してください。

 

 

 

 

 

 

 

 

「面白いと思えなかった!」というのが大きな感想なんですが、基本、作品を見るときは「これは何をやりたかったんだろうか?」ということと「それに成功しているかどうか?」を主に考えています。

未来のミライ」は「何をやりたかったのか」が見えづらい作品でした。換言すると「何が山場だったのかよくわからない」。

「ひいじいじ」はかっこよかった。

 

 細田守監督の作品って「監督以外の人の意図が入ってそうだなぁ」と思うようなことが結構見えたんですが、それでも「ここが山場なんだな」は判りやすいようになってたと思うんですよね。キャラやその思想、家族の描き方にやいのやいの言う人は多いですし、ケモナーなんだろうみたいな話もありますけど、たとえば「嫌いだ」って思うならそれはそういうキャラがちゃんと描けてるってことだし、キャラがケモノだって物語と合致してたならいいじゃないかと。

 で、今回はその「山場」が分かりづらかった、ということなんですが。観終ってしばらく考えて、思い至ったのが「これは『”未来”の兄』である『くんちゃんのアイデンティティ』を獲得する話だったのか」ということでした。いや、そうでしょ、って人はそうだと思う。自分は注目するところを間違えました。

 でも、間違えやすいようにできてると思うんです。ではそれはなぜか。

 

・わざとタイトルをミスリードにしている

未来のミライ』はキャラクターたる「”未来”」の話ではありません。未来とタイムトラベルの話でもない。どちらかといえば単純に「時間」だけでとったほうがいい気がします。「未来から来た”未来”」だと思って"未来"に注目すると、見るべきところを誤ると思います。

 

・”未来”の伏線は全く回収されない

 未来の”未来”が持ち込む要素は全く活かされない。ことによると「バケモノの子」のときのヒロインよりもお話上要らないキャラである。

 

アイデンティティ獲得が主イベントであるにも関わらず、獲得までの困難はない/小さい

 くんちゃんが迷い込んだ空間は、ひいじいじのエピソードによって「目覚めるとベッドの上=夢のようなもの」と表現されているので、未来の東京駅のエピソードも当然夢、単なる悪夢として解釈されてしまいます。くんちゃんも"未来"も困難には直面しておらず、単純に精神的恐怖の描写があるだけになってしまうので、緊迫感が薄れてしまいます。「どうなるの!?」というドキドキはない。

 

 未来のミライは「くんちゃんがそれまで一身に受けていた愛を妹の"未来"に奪われたが、新たに『"未来"の兄』というアイデンティティを獲得する」というのがメインの話のはずなんです。が。

 

 ・そのために"未来"以外のキャラはフルネームが出ずアイデンティティは全部薄めてある。アイデンティティを獲得する主人公であるくんちゃんですら。

 ・その割に家族の家族らしいエピソードはしっかり描こうとするのでキャラは立ってしまっている

 この二点が混ざり合わない。

 

 さて、それらもみんな「途上だからね」ということであれば、まぁ中途半端な話になってしまうかもだけど、よかったのかもしれない。

 が、映画の中には完全にエピソードをしっかりと描かれきって”しまった”人がいて、それが作中時間ではすでに故人である「ひいじいじ」です。

 この「ひいじいじ」は「ひいじいじが居なければ、くんちゃんも"未来"もいなかった」というためにいるキャラのはずなんですが「ひいじいじ」の話だけが、伏線がきちんと回収され、きれいにおさまった。

 

 本線がもやもやしてしまったので、結果としてサイドストーリーのひとつにすぎないはずだった「ひいじいじ」が際立った。

 ということになると思います。

 最後にダメ押しみたいになってしまうのが、細田守監督作品はかならず最後にタイトルを大写しにしてからスタッフロールに入るという点で、今回の映画の流れで「未来のミライ」とバーンと出されても「結局それはなんだったの?」という感想になってしまうのです。

 

 例えば。くんちゃんが、両親の愛を争うライバルたる"未来"を嫌ってだだをこね、不思議空間に落ちてしまい、そこで未来の姿の"未来"と、人間になった犬=ゆっこと協力して脱出することになった。不思議空間では様々な、くんちゃんの血族の歴史エピソードが脅かされ、血族の危機に陥る。三人はそれを解決、修正しながら進むが、最後に家族の大切なアイデンティティ=名前が思い出せないことが致命的な弱点となりくんちゃんはピンチに陥る。しかし、くんちゃんは名前というアイデンティティの代わりに、新たに『未来のお兄ちゃん』というアイデンティティを獲得=兄として成長することで、危機を脱する。今まで協力してきた未来の"未来"と、人間になれた犬=ゆっことはここでお別れ。でもこれからも『家族として』一緒だから大丈夫。そしてくんちゃんは不思議空間から脱出し、血族の歴史を感じるのでした。

 みたいな感じだったら同じ材料を使っても判りやすくなるんじゃないかと思うんです。たぶん、本当は危機がないだけでそういうお話。でもたぶん伝わらないよぉ、という。

 

 以上、今まで観た細田監督の映画の中では一番、残念ながら面白さが伝わらなかった映画だったと思います。

 ただ、細田監督の映画ということで観に行く人は多いだろうし、自分の感じたもやもやしたことを文章化しておいたら、誰かの理解の一助になるかなー、と思って書いておくことにします。