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ksk@ぴよによるノンジャンルみだれ手記

漫画村のあれこれを見てて考えてた話

漫画村の擁護をするつもりは一切ありませんよ。

漫画村についての経緯あれこれも省きます。どこかで調べていただきたい。

 

その昔、自分が好きで読んでいた鈴木みそ先生の「おとなのしくみ」という漫画の中で、アジア圏での漫画の違法アップなどに際して、アシスタント氏の言葉として紹介された「しつけが悪い」というのが、何かを説明するのにはとってもいいと思うんですよね。

 

法と慣習はどんなときだってぶつかります。ネットではおおむね、漫画村著作権無視コンテンツとして忌み嫌われる状態にありますが、一方で著作権法遵守であるJASRACはこれはこれで忌み嫌われていたりします。

一般の人が著作権法について読み、その意図や運用について考えているかというと、そうではなくて、大部分が自身が持つ「慣習」と噛み合う部分においてのみ「法」を捕らえている、といった印象を受けます。

 

なので「しつけが悪い」という言葉はとても便利だと思うのです。少なくとも、自分の視点から見た誰かの著作物利用のありかたが「自分よりもよくない」ということを表すのには、エラーが少ない。

 

さて。

漫画村から始まって、コンテンツを無償で得る、という観点で見たとして、

・漫画をお金を払って定価で読む

・漫画を古本屋で買って読む

・漫画をひとから借りて読む

・漫画を立ち読みする

・漫画を違法アップロードサイトで読む

以上を単純に比べていくと、お金を払って定価で読む、意外には作家さんに対して直接的なメリットは感じにくい。

 

このそれぞれで「どれがどのくらい問題なのか?」は人によって見解も異なっていて、借りて読んでも周辺コンテンツへの関心が高まるからいいとか、中古で売り買いする権利は法的にOKとか、色んな考え方ができるんですけども。

 

でも結局この辺は「しつけが悪い」で片付けるしかないと思うんです。漫画村、という存在は「しつけが悪い」サイトだった。ここから先は司法や経済的に害を受けた権利者の領分。

 

漫画村があったかなかったか、ということは別として、クリック数回でデジタルコピーが成立する時代は訪れて二十年くらい経っている。違法コピーされたサイトがどうか、ということとは別として「コピーと流通がこんなに容易な時代の、出版社の形は現状のままで最適なのか?」ということはそろそろリアルな問題なんじゃないでしょうか、さすがに。

 

既にpixivやら投稿サイトで簡単に良質なインディーズの漫画がいくらでも読める時代で、未だに出版のモデルは、会社があって、編集が居て、印刷業者があって、問屋があって、流通があって、小売りがある。違法サイトで無料で見られるのが問題となってますけど、じゃあそれが無かったとして漫画家が儲かるのか。

 

いやそれ、漫画村と関係なくない? ってなるとは思うんですよ。ただ「漫画村のようなサイトを利用する」という「行動」は「しつけの問題」で「しつけの問題」は変えがたいんです。明日からトイレは全裸になって行わなくてはいけない、って言われたら抵抗感があるでしょ、そのくらい「変えがたい」んです、意識だから。明日から民放はお金払ってみてください、ということになった一方で、無料で違法で民放を流し続けるサイトが現れたらみんな見ると思うんですよ。「今まで無料で見れたじゃん!」つって。冒頭で触れた、漫画村は違法でNG、JASRACは遵法でこれもNG、ってのはやはり「しつけの問題」だと思うんです。

 

なので「漫画村のようなサイトを利用する」を止められないなら、それを封じて旧態モデルを強いるのは「すでに失敗しているしつけの問題」に取り組むことで、正直に言えばこれって営利企業のお仕事じゃないと思うんです。教育や慣習の問題なので。

それでもそれをやらなきゃいけないのは営利企業がそれでしか営利を勝ち取れないからなんですけども、でもそれって、ビジネスモデルの破たんではないでしょうか、ということで。

 

コピーが容易になった世界の割に、コンテンツの利用の「しつけ」は変わらないものだなぁ、と漫画村に端を発してあちこちに飛び火している議論を見ながら、そんなことを考えていたのでした。