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ksk@ぴよによるノンジャンルみだれ手記

アマチュア楽団とマネジメントの話

なぜ、吹奏楽コンクールの常勝校は常勝校でありつづけられるのか?

ということを考えてみました。

 

が、前提として言っておかなくてはならないのは、これを書いている僕自身はコンクールに参加したこともなければ、楽団に所属するという活動の数自体がそんなに多くはありません。

正式にコンサートまで参加した、という感覚で考えればせいぜい3団体。

経験した指揮者は20人には達していないと思う、そんな程度のキャリアです。

 

それでもなんでこんなタイトルの記事にしたんか、っていうと、おそらくこれからの十年、自分の音楽活動はそんなに長くならないだろうし、これはマネジメントの話で、マネジメントは気を遣って観てきたし、いまこうして残しておくことで誰かのプラスになったらいいんじゃないかなって思うので、メモっておく次第です。

 

最初の問いに戻ります。……が、その前に、この記事では「コンクールで好成績を出す=巧い」という前提にしておきます。

 

さて、大学や高校の吹奏楽コンクールなんてのはだいたい毎回同じような名前が連なります。

でも、その集団の奏者って三年から四年でほぼ総入れ替えされるんです。学校なので。じゃあ、なんでそれでも常勝できるのか?

 

このことから単純に想像できるのは「合奏の完成度は奏者に依存しない/奏者以外の要素に依存する」ってことです。

これを「巧い学校は巧い奏者が集まるんだ」と反論することはできますが、それは「マネジメントの話をするよ」という前提とずれるので掘り下げません。

でも、実感したことがある人は実感すると思いますが、人は人数が集まるほど個性、個人の能力が集団の性質に与える影響が小さくなります。

 

じゃ、巧拙は何によって決定されるんですか。それがマネジメントだと思いますよ、っていうのがしたいお話です。

 

で、アマチュア楽団におけるマネジメントっていうのは、ほぼほぼ指揮者に依存していると言って差し支えないと思います。

何故か、っていうと、アマチュア楽団の構成員が最も多く指示を受けるのが、演奏指導をしている人物(=少なくとも自分が経験してきた中では、だいたい指揮者)だからです。ほんとうにそれだけです。逆に言えば、何らかの形で指揮者もしくは集団の行動を制御する指揮者以外の第三者がいるか、指揮者そのものに大きな影響を与えるさらに上位の存在があれば、その存在がマネジメントをしていると言うことはありえると思います。ただ見たことはない。そんな存在は指揮者にしとくのがスムーズです。

 

演奏に限った話じゃありませんが、数十人の動きは、その数十人に対して発される「指示」で大体決まります。一人一人の能力なんて影響力は殆どないです。東大生50人集めるのと、公立の高校生を50人集めるのとでも、マネジメントが無ければ「集団」の能力はそんなに劇的な変化はありません。

 

演奏の話に戻ります。指揮者に責任があるんだよ、と言いたいわけじゃなくて、楽団というのは構造上指揮者にマネジメントを依存せざるを得ない形式になってしまっているのです。合奏の時間の支配者を指揮者以外に置いている場合を見たことがありません。

 

じゃあ、その指揮者のマネジメントが上手くなかった場合、指揮者を変えればいいのか? 言っちゃえばその要素はゼロではないと思います。ただ、アマチュア楽団のアマチュア指揮ではナンセンスであると思います。その指揮者が指揮をやることが望まれているからアマチュア楽団のアマチュア指揮は成立していると思うからです。

 

となると解決方法はなにかというと、指揮者の行動そのものを、団全体の責任物として指揮者の人格からある程度のレベルまで切り離し、検討し、変えていくことそのものがいちばん演奏に資するんじゃないすかね、と言うことです。団員に練習するよう強く言ったり、うまい奏者を探したりするより近道なんじゃないか、と思う。

 

プロの指揮者だと、食っていくためには必然やらなくてはならないことだと思います。奏者を好きに取り換えることはできない。成果がなければ食いっぱぐれる。となると、指揮者として振る舞っているその瞬間を使って最大成果を作るしかない。

 

逆にアマチュアの指揮者にその危機感はないし、もつ必要もない。悪い指揮者なら奏者が悪いことにして棚上げも究極、可能。この演奏会下手くそだったのはアイツらが上手くないからだよ、という発言をしたとして、検証が不可能だし、食っていくこととは切り離されている。

 

プロアマどちらでも、指揮者のマネジメントが演奏の出来を左右してしまうなら、そのマネジメントの「技術」は、アマチュア楽団の場合、指揮者個人の巧拙ではなく、集団の取り組むべき課題として取り扱っていくということもできるんじゃないでしょうか。

 

……と、書くと、自分の友人や知り合いの指揮者の方はムっしたり不安になったりすると思うんですけど、つまりは「指揮者」というものがなんなのか、指揮者の立場にない人も研究して、試して、集団全体が高められたらいいよね、っていうお話です。