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ksk@ぴよによるノンジャンルみだれ手記

この二年間でやっていたことの話

GAMEバンドに関する話題ですが、本筋ではないので分けます。

ここに書くべき話題かどうかも分かりませんが、ここにしておきます。

 

前回コンサートでも(参加時期の問題はありましたが)自分は演奏とMCだけをやっていました。その時の記事はこれ。

 

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その代わりにこの二年間で明確に計画をして、提案をしてやったことがありました。
それは下記の三点です。

・楽譜の締切りを管理し、試奏するという明確なタイミングを設ける
・全尺の音源の提出を必須にする
・練習回数を減らす


どうしてそれをしたかを述べていきます。
すべては、バンドを場として存続させていくために行いました。

 

なぜ楽譜の締切りの管理が必要だったか。
これには明確な理由があります。

 

理由は不満が噴出したからです。
さまざまな企画を盛り込むGAMEバンドのコンサートは基本的に、コンサートの軸となる「委員長」を中心として進めていきます。
この「委員長」の選出は民主的な手法をとっているため、
「みんなで選んだ委員長に従って頑張ろう」が基本的な約束のはずです。

 

つまり、コンサート(および、活動)に対する不満が生じた場合、
それは委員長選出過程に団員全体が関わっている時点で団員全員の責任でもあり、
そこに致命的な問題が生じるならば、団員そのものが不満の芽が出始めた時点であらかじめ声をあげる、方向転換のプロセスを模索する、そういうことが行われるべきだと思うのです。
が、実際にはことは起こりました。それについて語ることは本筋ではないので詳細は省きますが、後段に関係あるので「あった」ということだけ書いておく次第です。

 

不満の分解をしていきました。
結果として行わなければならないと思ったミッションが、合奏の場を最適化することでした。


団員が出せるリソースには限界があります。
特殊なステージはバンドのアイデンティティです。
特殊なステージにリソースを割くほど、演奏に割くリソースが減ります。
この全体のリソースのうち、最もブラックボックスなのが楽譜です。
楽譜が「いつ」完成したのか、「いつから」「どのくらい」合奏できたのかはなににどのくらいリソースを割けるかをはかる重要なファクターのはずなのに、これは最も不透明でした。

 

もちろん当初は「いつまでに完成しよう」という約束を設けていました。
楽譜は期日までに完成しませんでした。
オタマジャクシだけを置いた楽譜だけが出るようになりました。
前日の夜中まで編集をするので、事前に楽譜をさらって練習に臨むことができなくなりました。
楽譜の完成版が出てこないので、パート割りができませんでした。
このままずっと合奏だけをしていました。

 

まず前提として、楽譜を作るのは非常に困難な作業です。
すべての趣味のクリエイトは、趣味の範疇を越えた時点で苦痛になっていきます。
自分も一度楽譜を作るたびにもう二度と作りたくないと思っています。
このラインは人によって様々ですが、苦痛になったらやりたくなくなります。
多くの製作はこうやって頓挫していきます。楽譜に限った話ではない。
でも楽譜がないと我々の活動は成り立ちません。
必然、編曲者に対する圧力は緩くせざるをえず「いつ楽譜が完成するか?」は明確な期限がありませんでした。

 

以上のような状態にも関わらず、練習だけは常に確保されていました。
従前、バンドの楽譜が全て揃ったのは、演奏会のおおよそ半年前。
それにたいして練習をしていた期間はおおよそ一年間です。
この半年間になにをしていたのかは、実に常設楽団として動き出してから8年程度の間、整理されませんでした。

 

もちろんそれに意味がなかったわけではありません。
仲間たちと楽器を鳴らす、これだけで楽しい活動だし、
活動を続けていなければ団員募集もできない。

 

でも問い直しは必要だった。
活動がみんなにとって普通になった頃から、練習が辛いという意見が出始めました。
目標や新規性がないのでやむを得ないことだと思います。

 

実は、一度委員長に「楽譜が整わない前半は、曲以外の合奏をしてもいいんじゃないか」と提案したことがあります。
でも答えは「演奏会のための曲の練習をしてほしい」でした。
これはわかります。委員長の立場なら当然の意見だと思います。

 

さてでは最終的にどうなったか。
合奏の時間は足りなかった。
元から企画していたステージの準備は進められた。
後から難しい楽譜が来た。
演奏に力を入れられないことに対して、ステージが重いことへの不満が来た。
演奏会後、全部やり終えたあとに。

 

前提として委員長と調整をして、OKをもらって、情報を出しながら企画をして、全部終わってから「あれは不満だったね」と言われる可能性があるらしい。
これは恐ろしい事態です。


これが常態化すると、
演奏会企画を立てようという人がいなくなる。
ステージをやろうという人がいなくなる。
バンドはバンドじゃなくなる。

 

構成員は大人になっていくから、リソースは増えない。
意識の中に「このくらいの時間が確保できないと、バンド活動が厳しい」という意識が生まれる。

 

この二つに対処しなくては、近い将来、バンドはなくなってしまうようになる。
なにが問題だったのかをその時に振り返っても、もうバンドはない。

 

一方で、楽譜が遅いことには一切のお咎めはないのです。
楽譜が遅れても、製作が中断されても。
最後に出された楽譜がものすごく難しくても。
それは「そういうもの」として受け入れられる土壌ができてしまっていた。

 

楽譜制作過程を明確にして、一回一回の合奏での時間の使いかたを整備する必要がありました。
覚悟が必要でした。
聖域化している既存の状態を動かしたら絶対に反動があるからです。
ましてや、自分がやっているからわかっている、めちゃくちゃ辛い楽譜製作にスケジュール管理をするというメスを入れるなんて、
究極、一定以上のストレスをかけたら、楽譜の製作そのものが頓挫してしまう恐れだってある。

 

それでもやることにしました。
このまま時間を重ねれば「もう無理だから運営方法を変えようよ」よりも先に「イチ抜けた」の連続が始まり、そもそも人が居なくなる。
それなら多少憎まれたって、変えたほうがいい。
ここに痛みを伴ってもらうことにしました。

 

試奏をこのときにやりますということと、試奏で楽譜のチェックを明確にしてもらったこと、完成したかどうかを明記すること、催促をすること、そういうすべてのプロセスをつけることで「いま、何をしているか」をバンド全体に明確に考えてもらうことにしました。

 

演奏の全尺の音源を提出してもらうことにしました。
これにはもともと、とくに楽譜や合奏に強い人達からの反対がありました。
MIDIで出してもらうには表現の限界があるからです。
でも出してもらいました。人の楽譜に対する習熟度は様々で、楽譜から音がトレースできる人、元の音をきいてからじゃないとできない人、いろんな人が居ますが、基礎能力を一度に高い場所に持っていくことは不可能だと思ったからです。
たとえば今まではメドレー楽曲ではそれぞれの曲のバラバラの音源を聴いて考えるしかできませんでした。
各音源からその箇所を広い聴きして、つなぎを考慮して……自分でもできる気がしません。
表現に差があったとしても演奏の全体を全員が共有できればプラスがあると信じて出してもらいました。

 

練習回数を減らしました。
6thの練習回数はREと同程度、5thの約2/3です。
委員長に無理が言えるのをいいことに無理を言いました。
減らすという話をしているときに委員長の顔が色を失っていったのを今でも覚えています。
練習があれば出なくてはならないという意識が生まれます。生まれるレベルは様々ですが「練習出れないけどまだいっぱいあるしいいでしょ?」という言説は聴いたことがないですが「練習全然出れなくてごめんなさい」はよく聞くからです。
つまり用意された練習回数に十分に出席できないと落ち度を感じてしまう人がいる。
そういう人達のライフステージが進み、大量に用意された練習回数に対して、参加できる練習回数が限られていたら。
たとえば、家族のために時間を割く必要がある人が、練習に出れないというストレスを同時に抱えたら。
それこそ、辞めるしかなくなります。


と、いう対処がこの二年間でやっていたことです。
合奏のリソースを減らすことができたかの評価は人によると思いますのでお任せします。
いつもはこういうことは、今までよくこういう事務の根幹部分を考えていたメンバーと相談して、人に見えるところで詰めて、それからせーので先に進んでいっていました。
今はそれはできなくなりました。そういうことを考えられる人が去り、または去ることを余儀なくされ、自分自身も時間をかけてものごとを詰めるリソースが割けなくなってきました。

 

実行に移している間ずっと考えていたことは、一人は怖いな、重いなということで。
相談はしても皆の目のまえに出るのは自分だけだったから、究極的にはこれが思った通りにいかなかったら、それこそ去らなきゃいけないくらいだろうと思っていました。


それでも、バンドが存続できる方が自分にとっては良かった。
たとえば自分が大失敗して責任をとるような事態になったとして、皆が出会い、支え、楽しんで、人生の一部に数えられる場所が残るならその方が絶対いい。
自分が明確に間違っていて団を混乱に陥れただけの人物であったなら、すぐにでも更迭し追放するために動くべきだ。
と、思っています。マジですよ。


「後段で」と言った話がここに戻ってきます。
このバンドには明確に運営という線引きはありません。
自分は運営という立場ではありません。強いて言うなら企画を提案し実行した立場と言ったところです。
提案にあたっては団長委員長指揮者と相談をして行いました。
このバンドは声をあげ、企画提案したら検討し実行してよいバンドであったと思います。
だから「不満が出る」は変だと思うのです。
不満が見つかったら提案して変えればいい。自分自身が。割けるだけのリソースを割いて。
自分はそうします。

 

このバンドは(というか、学校や組織と紐づいていない多くの楽団は)代替わりはありません。できません。
たぶんこれからは委員長もそんなに数は出て来れません。
そろそろ自分の使える時間に限界が来たから、事務を担当するのが厳しくなってきたな、と思ったら、その事務そのものを廃止/軽減することしかないと思います。
そうじゃないと一抜けたが早い人から責任を回避し続けることになります。
代替わりして事務を担当できるような人なら、自分のバンドを立ち上げます。
是非、リソースをちょっとだけ分けてください。
厳しくなったら、維持するために事務そのものを簡素化しましょう。
自分はそうします。

 

これを書いたのは、自分が割けるリソースも、もう限界に来ているからです。
それでも、まだ先まで、楽しい活動をできるかたちでしていきたいので、ここにおいておくことにします。