ダンガンロンパV3のネタバレ感想をします。未クリアの人は見ない。
ついでにmoonっていうPSのゲームにも言及しますので注意してください。
ニューダンガンロンパV3 みんなのコロシアイ新学期 - PS Vita
- 出版社/メーカー: スパイク・チュンソフト
- 発売日: 2017/01/12
- メディア: Video Game
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ダンガンロンパV3のメインストーリーをクリアしました。
色々考察が捗るかもしれない! って思ってここでも色々書こうと思ったんですけど、ちょっと漁ればもうたくさん出てきたので、ここで追加でなにか書く必要もないかな、と思い、書かないことにします。
ただ、あんまり調べてないよって人は6章をやってから1章の冒頭をやるくらいはしましょう。すっごい嘘つきだ!
先に単品の感想から。
V3についていろいろあるとは思うんですが、思い出してみると、ダンガンロンパ(1)をやったときは、ものすごく面白い! とは思わなかったんですよね。おしおきの映像だったり、世界観だったり、そういうのはとってもよかったけど、お話としては逆転裁判シリーズなどのほうがすかっとできた。
ダンガンロンパが面白い! と思えたのは2で、こんなお祭りみたいなことをやるなんて、すごいゲームだな! と思ったものです。だってそうでしょ。怖くてできないですよ、あんなの。
ということで、V3もものっすごく面白いお祭りだったな、と全体的には思ったのでした。
では細部はどうか? というとひとつには、まだまだできそうだぞ、ということ。1より2のほうがお祭りだったし、2より3のほうがお祭りだった。じゃあ3より4のほうがお祭りだったかも。
一方で、本当に終わるべきなのかも。とも思ったわけで。それは受け手側がとやかく言うことではないな、と思ったのでした。
でもなぁ。キラーキラーも最初はダンガンロンパじゃないみたいな始まり方してるし、そう考えたら、ダンガンロンパを作ってる人達って遊び心たっぷりで、きっと予想しないところから何か面白いことをするんだと思うんですよね。
ま、それがダンガンロンパじゃなくても、面白いと思うんですけど「ダンガンロンパチームの完全新作!」とか銘打たれていたとしてもきっと「ダンガンロンパなんじゃないの?」って思ってしまうのだろう。それが楽しい。
moonとのかかわり
そういうわけで、プレイステーションのゲーム「moon」との関連性について言及したいと思います。これについて言及しているような検索結果はあまりなかった。
オマージュやパロディの多数みられるダンガンロンパシリーズですが、V3プレイ中に「あ、これはmoonのオマージュだ」と感じました。moonについてお話しましょう。
・スタート地点のおばあちゃんの家で流れる音楽が「月の光」
・ゲーム世界を蹂躙する勇者からモンスターと世界を救う、というメタな物語
・バッドエンド後にコンティニューするかで「いいえ」を選ぶ
ダンガンロンパV3ではラストの「セーブを選ばない」選択肢へと続く展開の直前で「月の光」でしたから、これはきっと、意識してやったことだと思います。
moonもダンガンロンパV3もメタフィクション。単純にそれだけの関係ということでもいいと思うんですが、自分としては、この対比はめっちゃくちゃ面白いな、と思ってしまいました。
何故か。moonとダンガンロンパには実に20年の開きがあるわけです。この20年の間に、日本における「フィクション」にはなにが起こっていたのか。
「moon」のエンディングは「ゲームをコンティニューしない」ことによって、プレーヤー自身が扉を開く(心理的、表現的な意味は解釈に任せます)わけですが、その後に流れるエンディングには、現実世界にゲームのキャラクターが出ていくような、そういう世界が描かれています。
20年前。世の中には「ゲームのキャラクターグッズ」というのはほとんど存在していなかったのです。現代でこそアニメイト、コトブキヤはもちろん、各種コンビニ、観光地、いたるところに「コンテンツ」が溢れている。だけど、20年前はそんなものはなかった。僕はGAMEバンドの活動をはじめたころ(※10年前)、ゲームのグッズを探しましたが本当に見つからなかったんです。ゲーセンのプライズとしてファミコン関連のグッズがちょこっと出たくらいだった。
だから、あの頃のmoonのエンディングというのは、フィクションから出ていくことで迎えるけれど、そのときにはまったくありえない、フィクションの外だけどフィクションの世界だったわけです。
では現在。現実とフィクションはどんどん溶け合いつつあります。VR、ARなどの新たなリアリティを生み出す技術が開発され、世の中にキャラクターグッズが溢れ、あっちのフィクションとこっちのフィクションがコラボするのはまったく珍しくない。そういう情勢下にあって、一方で人のコミュニケーションはどんどんフィクションに近づいていく。もう我々の生活は、かなりのレベルで、フィクションと融合してしまっている。
この中で、我々はダンガンロンパという作品を通してデスゲームを楽しんでいるわけです。だからダンガンロンパV3という作品のなかのテキストを「説教臭く」感じることができる。
それをダンガンロンパV3という作品を通してユーザーが説教されているというのならそうかもしれない。まぁ、それでもいいです。作品は別に説教臭くたっていい。そこは中心じゃない。
moonというフィクションから20年経って、moonのエンディングで描かれる図、フィクションとの境目がなくなる現代になりました。ダンガンロンパというフィクションが描かれてから何年で、ダンガンロンパというフィクションと現実は融和するでしょうか?
それを、つきつけられたような気がしたんですよね。それは「お前ら、デスゲームを楽しんでるなんて悪趣味だな!」じゃなくて「この未来、いつ来ると思う?」っていう感じで。
実際にmoonは来たよ。
僕たちは実際にVRでコロシアイをする日が来るでしょうか。いえ、多分来るでしょう。人狼がVRでインタラクティブになるまでそう時間はかからないはずです。
その頃にもう一度思い出しましょうか。これらのゲームのことを。月の光をBGMに流しながら。