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ksk@ぴよによるノンジャンルみだれ手記

2016年を振り返る話 その1 ゲーム音楽の話 の、補足

読み返したら思ったより悲観的だな、という印象を受けたので、補足します。

 

アマチュア楽団の出る幕はないでしょう、と書いた件についてですが、これは「ゲーム音楽を聴こうという人達」という集団の持つテンションを、アマチュア楽団がけん引できないところに来た、ということのつもりで書きました。

 

この中身をちょっと詳しく書きます。

 

作り手と受け手がいるものには、

・作り手側の自分のテンション(個人):1

・作り手側の他人のテンション(集団):2

・受け手側の自分のテンション(個人):3

・受け手側の他人のテンション(集団):4

 

の、四象限のテンションがあると思います。ゲーム音楽を聴こう、という人達の集団の持つテンションは4に相当します。

 

未開拓の分野では、1のテンションがまず高くなります。「こんなことやったら面白いんじゃないの!?」という段階。ただ、これは2、4の人にはまだ前例がないために伝わりません。

 

実際に動き出しはじめると、2のテンションが上がります。「これ面白いじゃん!」となるのは、それが手探りだったり、経験のないことだったりで、掘り進める楽しさがあるからです。

 

2のテンションが上がり、作り手の気運が高まると、4のテンションが上がります。新鮮な体験だからです。

4のテンションが上がると、1と2のテンションがさらに上がります。追い風を受けた状態です。

全体が盛り上がると「これ、お金になるかもしれないな」となって、資本が投入されていきます。

 

この辺までいくと、受け手の人達が慣れます。それがあって当然、という状態になっていくということです。それがあって当然、という状態になっていくと、これまで追い風のあった状態がなくなります。同じコストをかけたとしても、リターンが小さくなっていく。

 

そうすると、どうやったって2のテンションが下がります。人数が少なければ、主体が頑張ることでテンションを維持したりできるのですが、人数が多いと流石に全体を支え続けることが厳しくなっていく。

 

こういうことはどんな分野だって起こります。2ちゃんねるも、AAも、電車男も、FLASH動画も、ニコニコ動画も、ゲーム実況も、ボカロも、だいたいそんな流れです。ゲーム音楽もそういう流れになった。

 

ゲーム音楽はなかなかに特殊なジャンルで、世代差があります。ゲームをたくさん遊べた少年時代を中心に遊んできているものに偏りがあるので、演者にも観客にも、世代に偏りが生じます。

 

そうすると、アマチュアの活動はどうやったってライフステージの制限を受ける。自分と同じくらいの年代、自分と同じくらいの年に活動が始まった楽団は、いま結婚ラッシュが終わりころになり、そろそろベビーラッシュになってきているのではないでしょうか。子どもが生まれ、歳も取れば、過去ほどのリソースは投入しきれない。

 

過去ほどにリソースを投入できず、かつ観る側の慣れによって過去ほどのテンションの高さ、フレッシュさを維持しきれないときに「これまでゲーム音楽を演奏してきたのだ!」という過去の記憶で頑張ってしまうと、思うてたんと違う、と感じてしまうこともありそうだ、と。なぜなら、1が頑張っても、同じ理屈では2や4のテンションをけん引しきることは結構難しいことだからです。

 

と、なると「ゲーム音楽アマチュア楽団」みたいなのはどうなるか。動きとしては初めて突入するゾーンになるわけですが、状況としては「地域の楽団」がモデルとして参考になるだろう、と思うのです。

ゲーム音楽楽団は、地域の楽団とはちょっと成り立ちが違う。だけど、現代に来て、プロのゲーム音楽コンサートが蔓延したことによって、構造がクラシック音楽などのプロオケに対するアマオケの立ち位置に似てきている。

 

なので「維持する」や「ふたたび盛り立てる」ということを考えるときには、これまでみたいなゲーム音楽の文脈ではなく、地域楽団の文脈に寄った方がよいだろう、と思います。これは今までにたくさんの事例があるから、想像しやすいはず。

 

というわけで「ゲーム音楽を演奏してきた私たち、アマチュア」が今後楽しく活動をするカギは「ゲーム音楽についてアマ楽団が何かできる時期は過ぎた」からの「日々のストレスをちょっと軽減する、友達との活動としてのゲーム音楽演奏」への転換だと、思うのです、ということを補足しておきます。

 

ん? 補足のほうが長くない?