読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

paper-view

ksk@ぴよによるノンジャンルみだれ手記

オチもなんもないけど家事とか男女役割の話

 データとったわけじゃないんで、自分の観測した視点からのお話で、つまりヨタ話ですよ。 なんてことなさそうな家庭のお話から社会的な命題引っ張り出しちゃうのは癖のようなものです。

 

 ツイッターを見ているとたまに、配偶者と家事や育児にかんする話とかが流れてきます。本人が言っているというよりもリツイートされているものが流れてくることが多い。中身は配偶者との家事分担が不十分で満足していないというものもあれば、どのように配偶者に家事をしてもらったかとか、どのように手伝ってもらって満足だったか、というものもあります。

 

 でもこの手のお話、今まで見たものの九割九分が「妻」が主体として家事育児を担当し「夫」を評価するっていうお話なんです。

 ここから色んな話に発展させることができると思うんですよ。「現在に至っても、家事育児の主体は女性側に偏っている現実」とか「視覚化されない男性の家事育児」とか。

 でも気になってることが一点ありまして。「夫」が主体として家事育児を担当し「妻」を評価する、という文章は、ひょっとしてそもそも、受け入れられない、拡散されないのではないだろうか? ということです。

 

 例えば、自分の家なんかは(自分が認識している限り)夫である自分が家事の主体です。理由は簡単で、自分のほうが帰宅時間と行動開始時間が早いからです。比較してスケジューリングが容易な自分がプライマリーで家事を回している。じゃあその状況下にある自分が仮に「妻」の家事っぷりに対して評価するようなツイートをするというのは受け入れられるのか。

 

 いや受け入れるよ、男女平等というお答えもあるんじゃないかと思うんですよね。そりゃこれだけクッション置いたからね。

 じゃ、そういう話をtwitterでぴゅーっと流したとして、それは一般に対してどういう受け取り方をされるのか。

 

 ちょっとズルい逆算ですけど、ツイッターをしていて自分のところまでRTで回ってくる誰かのツイートってのは、誰かのフィルターを通して少なくとも一回以上の選別がされおわったものなわけで、それが「妻が夫を評価する」お話だってことは、さまざまな発話があったけれど、RTのフィルターを通った結果それが残ったという可能性を考えるわけで。

 ってことは、やっぱり夫側が妻の家事っぷりを評価する記事みたいなのって、受け入れられない、もしくはストーリーとして存在しない、発話されないのかもしれないなぁ、と思うわけです。