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ksk@ぴよによるノンジャンルみだれ手記

仕事とモチベーションの話

過去に受けた研修で仕事のモチベーションをどう保つかって話を聞いたことがあるんですけど、フルタイム雇用なのにモチベーションで仕事するのっておかしくないかね、という話を(何度目かわからんけど)したいと思ってます。

 

なんでかっていうと、ちょうど電通社員の方の過労死に寄せて世間の超過勤務、ひいては働き方に関する関心が高まっているからです。

 

長い間働き方については考えているんですが、色んな言説を見ていると「個人が働くことについてどう考えるべきか」「個人が働くことについてどうあると合理的か」「法人が人を働かせることが合理的か」それぞれがねじれてるなという感覚を得ます。

 

自分が雇用側に回った場合を考えると、一定人数以上の雇用をする場合には、できるだけ超過勤務をさせるほうがマネジメントとして合理的だなという感覚です。理由は今でも一般的な働き方は終身雇用であり、終身雇用を標榜していないと一定以上のレベルの人を集めがたく、社会保険のシステムを考えれば人の入れ替えは面倒。そのようなシステム下では業務の最も激化するところに併せた人数で雇用すると、こんどは閑散期に人件費が割高になってしまいます。

 

なんで過去に終身雇用とか年功序列賃金だったのかって言ったら、経済成長が見込まれていて、そのくらいの条件を提示しての人材獲得競争があったんだろうな、と思うところなのですが、それが維持できなくても、制度だけが社会的に残っていると、結果的に支払える人件費は限りがあるわけなので、同じ人を長時間働かせるっていう考え方になるわけです。

 

一方で、働く側はどうかっていうと、単位時間あたりで報酬が決められている環境下では、時間あたりの稼働率を可能な限り下げるのが理想的な働き方と言えます。かつ超過勤務すればその分の割増報酬が出るわけで、そういう意味では超過勤務した方が合理的です。

 

そこら辺がねじれにねじれると、超過勤務することをモラルとして定着させることが人を使うのに最も安価で合理的になるわけで、巨大企業であればなおさら、扱う人が増えていくので、合理的な考え方になるわけです。

 

で、結局のところまだまだ年功序列賃金と終身雇用という幻想はそれぞれの労働者の頭の中にあるわけです。これがもっとも現れているのが、雇用されてする仕事に対して「モチベーション」という言葉を使うことが横行しているところだと思います。

 

そもそも雇用されているというのは「条件を決めて労働し、それにたいして賃金という対価を得る」ということなので、そこにモチベーションが入り込む隙はないと思うのです。もしあるとしたら「雇用されている事」自体がモチベーションを維持する最大の要因で、雇用されている以上モチベーションは不変であるべきだと思うのです。

モチベーションという考え方ができるということは、すなわち雇用されているという条件が動きっこない、という前提がどこかにあるからと考えられるのではないでしょうか。

もし自由に雇用と解雇ができるなら、とにかく仕事をすることができる人を雇いたいわけで、モチベーションが上がらないから仕事をしない、という人は不要なはずです。モチベーションを理由に仕事をしていないあいだは、無駄な賃金を払っていることになってしまう。

 

いまのような経済状況下では、雇われる側は、自分がいくらの賃金で何時間働く約束をしているかを意識して、それが不当だと思ったら職を変えることが必要だし「不当だと思ったら辞められてしまう」と雇用者の側に面倒な思いをさせないと、超過勤務も不当に低い賃金も変わりません。変える理由が雇用者の側にはありません。モラルを求めるなんてのは一番現実味の低い夢物語のような理由です。

 

一方で、自分にとって不都合な条件下でもその雇用状況下に居続けるのは雇われる側にとっては非常に合理的な選択であることも同時に言えます。不安定な雇用情勢、職を変え続けることが不利益になるような労働市場では、ゲーム理論でみんな自分が得をする選択をして、みんなで損をとっていくのは当然に起こりうる話です。

 

なので、雇われる側は、自分たちのグループ、労働者という集団では、労働力を提供しないこと、業務の維持を脅かすことによって雇用側から好条件を引き出すことが必要であるということを意識しつつ、一方で個人としてはその場に居続けることが合理的でその選択をしているのだということを意識しないといけない。

 

でも、それができていない。単純に自分が雇用され続けるという前提の下で、雇用者に対して労働条件を向上せよ、という意識だけを持ってしまっている。

そういう意識を持ってしまっていると「モチベーション」という言葉が出てくるのではないでしょうか。

 

仕事はモチベーションではなくて、それに使っている時間と得られた賃金が合理的かどうかで判断されるべきだと思うし、それを学校で教えて意識をつけることが大事だなと思うんですけど、ほかならぬ教師が一番、時間と単価の関係を考えると心を病みやすい労働環境にあるというのは皮肉な話です。

 

だもんで、教育で直らないと思うので、この関係については法整備でどうにかするしかないと思っています。つまるところ、超過勤務や労働災害を出すことについて強いペナルティを出すことで対策をすると。

ただ、それが整備されるのにはまだ数年以上かかると思います。

 

じゃ、個人ができる対策はなにか? というと、まずはモチベーションという考えをやめる、すなわち自分が働いている時間と単価の関係を常に考えることから始まるんじゃないかと思います。

 

それって時間と単価のギャップを感じて辛そうだなぁ、と思うかもしれないですが、おっきな会社ほど自分の直上の人は雇用に関する権利を持ってなければ事務も担当してない確率が高いと思うので、不当な業務量になったときに転退職をほのめかすのがいいと思います。やりすぎるとオオカミ少年扱いを受けるかもしれませんけど、冒頭に述べたように、人を解雇して雇い入れしなおすのは、かなりコストがかかります。しかもイレギュラーな時期に起こると、その一名のためだけに社会保険関係の手続きで書類づくりをしなきゃなりませんので、クソ面倒です。

なので、簡単に解雇はされませんし、できません。雇用側の縛りも結構大きんです。

 

というわけで、件の事件で労働に対する言説が加熱しておりますが、まずもって雇用する側にモラルを求めても仕方ないし、最適化された末の現状が今だと考えられるので、まずは自分の労働条件と得ている賃金の関係が妥当かを考えることからはじめる、モチベーションを理由に仕事のアクセル量を変動できる自分を疑うことから始めるといいのではないかな、と思っているのです。