シン・ゴジラを観ました。
8/1に観たのですが、観ている最中から映像中の情報量の多さにオーバーフロー状態になって、終了後も興奮の冷めることのないまま映画館を後にしました。
映画でこんなふうになるのはそうそうなかったと思います。
既にいろんなサイトでいろんなことが言われているのですが、自分としてはどうやってこの興奮を説明すればいいだろうか……ということをずっと考えておりまして、考えた結果8/12にもっかい観ました。二回目もよかった……
さて、ストーリー上のネタバレしないようにこの映画のなにがすごいかを話そうと思いまして、そのために存在しない(少なくともgoogleでは一致結果がない)語をつくっておくことにしました。
シン・ゴジラの魅力は「映像的機能美」である、という風に説明してみたいと思います。語をひっくり返して「機能美的映像美」でもいいです。
「機能美」という言葉は、僕はこれがスターオーシャン1(SFC:1996年)に平仮名でパラメーターとして出たときから好きな言葉なんですけれども、道具など、用途のための形態や構造を追求した結果現れてくる美しさ、といったようなものです。
ざっくりとした言いかたをすれば「工場萌え」の美的感覚なんかはこの分類だと思います。
この「機能美」に注目して「シン・ゴジラ」の映像を観ていくと、なんと一つ一つの映像中の要素の浮かび上がりが美しいことか。
映画やアニメ等の映像を観ていて時折「おっ、今のところカッコいいな」って思う瞬間はときどきあると思うんです。動画が滑らかだとか、アングルがいいとか、音楽とマッチしてるとか。
それが一つでも観れたとき、その映像全体の評価ってほぼプラスに落ち着くと思うんです。たとえば物語ががったがただったとしても、ひとつでもめちゃくちゃカッコイイ映像があったとしたら、加点法では「観てよかった」になる。
全編にわたってこの映像がかっこいいのがシン・ゴジラだと思います。
単純に映像が美麗だということではなくて、たとえばゴジラが映るシーンではゴジラがいかに大きく/美しく/恐ろしく映るかが追求されている。
道具、人間も同様です。物語中の細かい要素を説明するための映像イメージですら、それがかっこよく映るであろう工夫が尽くされています。たとえば、破壊された跡を説明するだけなら瓦礫を映せばいい。それだけで破壊されたという物語性は説明はできます。でも、その瓦礫をどのようなアングルと、どのようなBGMと併せて伝えれば、感情を最大限煽ることができるか、でその効果が異なってくる。
岡田斗司夫氏が同じこと言ってたらしいですが、コピー機ですらかっこよく撮られています。とにかく映される全部のものがかっこよく撮られている。
その中で是非意識して観てもらいたいな! というのが「会議」です。シン・ゴジラ中で行われる「会議」は、そのどれもが絶妙なテンポ感を持って描かれています。セリフのやりとりとその意味するところよりも、そのセリフ自体の情報量の多さに対しての時間の短さ、選ばれる語の複雑さ、セリフとセリフのあいだの間。
シン・ゴジラ中では会議を絶妙なスピードと情報量による「音楽」のようにして表すことで、会議そのものを「カッコいい映像」として描き出して、事態とそれに対応する人々のカッコよさを最大化しようとしている。
似ているものはスティーブジョブズに代表される「プレゼン」の技術ではないでしょうか。
さらに意識して観てもらいたいな! というのが「組織」です。組織は映像として実態が映るというものではなく、その構成要素である人だったりモノだったりを映すしかない。物語中かなり前半で、この「組織」については肯定的な発言がされていて「手続き」のプロセス、まさに組織としての「機能美」が映像で描き出されているんです。
恐らくですけど、この映像的機能美を感じるためには、それなりに素養が必要なように思います。たぶん普段から映像に慣れ親しんでいる人は、親しんでいるほど映像上の要素の多さを感じて楽しめるだろうと思うし、逆に子どもとか、まだ文脈を感じ取る力が未発達だったりすると、最大限の楽しみは難しいかもしれない。
(蛇足をすると、だから読解力の段階によって異なる感動をどの段階にも与えてくる宮崎駿監督映画って恐ろしいなって思うんですけど)
ということで、シン・ゴジラのお薦めポイントは「映像的機能美」ですよ、ということをお伝えしたいと思います。
ぜひ劇場で観よう!