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ksk@ぴよによるノンジャンルみだれ手記

コールクリスタルマナさんの演奏会行ってきた話

行ってきました。CCMの皆様お疲れ様でした。楽しかった。

 

www.chorcrystalmana.net

 

大方はここにまとまっているのでおまかせしちゃうとして。

togetter.com

 

ひとつ大いに刺さったことがありまして、それは「聖剣伝説LOM」のアレンジなんですよ。

このアレンジでは曲のメロディにオリジナルの「歌詞」がつけられていたんですね。

んで、これが、脳に届いたわけであります。

 

ゲーム音楽のアレンジってすっごく難しくて。変数がいっぱいある。雑な言いかたをすると「アレンジしていい(しても大丈夫な)曲」「アレンジしないほうがいい(すると大丈夫じゃない)曲」があると、感覚的には考えています。

たとえば「スーパーマリオ 地上BGM」「ファイナルファンタジーメインテーマ」あたりはアレンジしてもOKです。たぶん「ゼルダの伝説」あたりも大丈夫。

 

そうじゃない場合はいろいろと配慮したほうが「無難」になっていきます。

メドレーの場合は選曲を的確に。曲調を変更しない(原曲重視)。演奏する調を変えない。などなど。つまるとこ「原曲から極力変えない」のがベター。

 

なぜか。

 

自分としては「ぶつかるから」が答えです。

具体的には、プレーヤーの体験とぶつかる。

たとえば、ホルストめっちゃ好きな人に「木星だよ」つってJupiter(平原綾香)聴かせたら、響かないと思うんですよね。下手すりゃがっかりされるかもしれない。

ゲーム音楽は、それが演奏される場面と、場面でのプレーヤーの体験がそのままゲーム音楽を聴く動機になってしまうので、そこに対する配慮はどうやったって考えざるを得ない。

 

「音楽的に遊んでみました」とか「ここはあれをなにして」とか、工夫された場合に、それが技巧的にレベルが高かったとしても、プレーヤーの体験に響かないと、そもそも看板と違うもん聴かされたと思ってしまうわけで。

じゃなきゃ、作曲者の名義でアレンジしましたとアレンジ盤であることを明言して、中心をゲームそのものから作曲者に移していくとかが必要で。

 

マリオとかファイナルファンタジーでそれが起こらないのは、そのメロディがもう単一の体験ではなくなっているからだと思います。それはメロディだけがもう独立している。マリオの地上BGMを聴いて「マリオの地上ステージ」のみを思い浮かべる人はそう多くないはずです。付随するほかの多くの選択肢がある。

 

そういうわけで、アレンジは単純にすごくめんどくさいわけです。「これは曲の名前はこのゲームのこの曲だけど、でもそれは曲を引いてきたけど今回のアレンジの意図はこれはこうで、自分の思いはこうなんですよ」というところまで説明しなきゃいけないわけですから。それだってコンサート当日に現地で聴かされたって「聴きたいのそれじゃなかったんだよ」ってなるから。

 

で、話を戻しまして、CCMさんのアレンジに入る「詩」というのはこれは、通る! と思ったわけです。

 

それはぼくが比較的、詩は通す人間だからというのももちろんあると思います。世の中にはインストじゃないと聴けない人もいるらしい。

 

詩のワーディングはもちろんあると思うのですけども、でも「ことば」によって原題の体験が補強されるなら、それは絶対に楽しい体験だと思うわけで、そして同時に楽器演奏では絶対にできないわけで。合唱ならではの持ち味なわけで。

 

ということで、すごくいいLOMを聴きました。ちらっと言いましたけど、詩の全文を知りたいです。(よろしくおねがいします)

 

(よろしくおねがいしますよ!)

 

次回もそういうのを聴きたい!