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ksk@ぴよによるノンジャンルみだれ手記

個人的な話は社会的な話

こちらのエントリーを拝読。

 

mubou.seesaa.net

 

上記エントリーはさらにこちらのエントリーを引いています。

 

seramayo.hatenablog.com

 

非常に難しい問題なのでさいしょに明示しておきますと

「個人的なことは政治的なこと(The Personal is Political)」という言葉があります。

これはいわゆるフェミニズムジェンダー、そのあたりで使われた言葉です。いま「フェミニズム」というとすこし強い意味を持っているように聞こえますが、つまりどういうことか、っていうと、性役割という「個人的な問題」は、政治的な権力関係に起因しているのである、ということで、「社会問題」として扱ってもらうことができなかった性役割を社会問題のレベルに持ちあげてきた、という歴史があります。

 

いわゆる家父長制、男性の権力が強い時代から、いや、女性だって働いてもいいじゃないか、女性が虐げられるのはおかしい、という声を挙げることは、各「個人の置かれた立場」という非常に「個人的なこと」を政治的社会的な問題であるとして戦わなければならなかった時代があったのです。

 

で、その歴史の流れの先にこの二つのエントリーはあります。

家事労働の市場的価値、女性のキャリア、さまざまな問題がありますが、論点をシンプルに「京大出て専業主婦なんてもったいない」にフォーカスしたいと思います。

「個人的なことを一般化していくこと」は、ひとつには一般化する話し手が安心を得る手段であるという批判が当てはまると同時に、もうひとつ「そうすることによって社会的問題として扱い戦うことができる」手段でもある。

それが意識的になされたのか? を後者のエントリーから探れるかというとおそらくそうではない。しかし「京大出て専業主婦なんてもったいない」という語は、そのままイマの女性が置かれている政治的社会的立場を浮き彫りにするためのひとつの手がかりとなりうる。

 

専業主婦の家事労働の市場的価値については既に様々な知見がありますので、それはよいとして「もったいない」というのは「なにが」「どう」「もったいない」なのか。

その多くの評価軸に対して自分がとくに問題として主張するのは、キャリアの連続性を求める社会慣習、およびその際に特に女性が置かれている不利な立場です。

 

「京大卒」というキャリアそのものは、一度取得してしまえば喪われることはありません。ただし一般的に見てこのキャリアは「連続」であることが望ましいとされています。いわゆる無職等の空白期間をキャリア上のマイナスとみる習慣です。

たとえば、京大卒であったとして、一度専業主婦等を経験し、何らかの企業に京大卒のキャリアを活かして就職するのは、おそらく京大卒から間をおかずに企業に就職するよりも選択肢が狭まる。不利になる。

 

となると、女性はとくに不利です。生物的に、妊娠期間が存在するからです。一見問題とずれてるように見えますが、夫婦単位で生活を営む場合、妊娠期間を考えると、男性側のキャリアを継続させたほうが有利な選択と考えられるためです。

 

・日本社会ではキャリアに空白が存在すると、選択上不利となる

・専業主婦は多くの場合、キャリアとしてみなされていない

・妊娠した場合、強制的にキャリア的に空白が生まれる

 

と、いうのが「京大出て専業主婦なんてもったいない」ということばの裏側に存在している「政治的社会的なこと」だと言えると思うのです。

もしも「キャリア上の空白が不利にならない」ならば、選択肢としての専業主婦(主夫)は当然に成り立ちます。育児期間を経たあとに「京大卒」を活かして利を得ることができる。「京大出て専業主婦なんてもったいない」のうちの「もったいない」の根拠が消滅するのです。

空白を不利にしないことができないならば「専業主婦」が当然のキャリアと見做されることでも回避ができます。

 

この「キャリア上の空白に対する窮状」と「妊娠した場合強制的に空白が生じる」状況を政治的社会的問題として扱うには「京大出て専業主婦なんてもったいない」という言葉を一般レベルの問題として取り扱い、その発話者を「現実」として取り扱った上で社会に対して提言しなくてはなりません。「個人のモラルの話」にしてしまうと、その不均衡は不均衡なままにされてしまう。

 

と、いうことで、個人と個人の会話の話ですけど、とっても社会的な問題だなと思ったというお話でした。